交・環編 ゆがみ

『技術は目で盗め』


とは今でも言われることだが、それは実際には、


<教える技術>


がない者がそれを誤魔化すために使われる詭弁だというのはすでにしっかりバレている。


ただ、ある特定の技術に特化した才能を持つ者に<教える技術>まで期待するのも酷な話だということも、同時に分かってきている。


そして、


<見ただけで技術を習得する才>


を持つ者は現に存在する。


<教える技術は持たないがある分野においては優れた自技術を持つ者>


と、


<見るだけで技術を習得する才を持つ者>


とをマッチングできればいいんだろうな。


が、現実にはそれがなかなか難しい。二百億だか三百億だかいる人間でも、そういう者同士を引き合わせるのは容易ではないというのが現実だ。


とは言え、どちらか片方だけならというのは案外、いるものなんだろう。


斗真とうまは、まさに、


<見るだけで技術を習得する才を持つ者>


だった。


まあ、彼の場合、


『そもそも『言葉で教える』ということが成立しないから見て学んでもらうしかない』


というのが実情ではあるものの、それでも間違いなく非凡な才能の持ち主であることは間違いないと思う。


だからすごく楽しみなんだ。




とまあ、斗真とうまの<伝説>はまだまだ始まったばかりなので本格的な部分については『乞うご期待!』といったところだな。


なので、続いては、しんの子供達であるこうかんについて、振り返り触れていきたいと思う。


なにしろ、結局ここまでロクに触れてやれなかったからな。


とは言え、こうかんについても、すごく平穏な毎日だったから、これといって際立ったエピソードがないんだよ。


れんのことを除けばな……




れんは、こうかんと共にしんの子供として生まれてくるはずの命だった……


しかし実際には、産声を上げることもなくしんの胎内にいた時点で亡くなり、死産。そして、母親であるしんに、胎盤と一緒に食われてしまった。


人間にとってはショッキングなそれも、ここでは割と日常茶飯事だ。出産によって失われたエネルギーや栄養素の補充として胎盤を食うことも普通で、死産で生まれてきた子供であれば、野生の動物にとってそれは胎盤と変わらないだろうからな。


死と隣り合わせに生きる野性の動物に、地球人(人間)の感覚は通じない。彼女達に地球人のそれを当てはめようとするのは、傲慢だと俺は思う。


むしろ地球人は、自分に都合のいいものしか見ようとしないだけだろうな。


ゆえに、余計にゆがみが生じる。現実に即してない考え方がはびこる。


だから朋群ほうむ人達には、そういう部分もちゃんと向き合っていってほしいと思う。


取り敢えずひかりあかりは基本的にそれができてると思う。まどかひなたも大丈夫そうだ。


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