翔編 中の世界 その5

『もうイヤ! 何もしたくない! 何も食べたくない!!』


そう言って錯乱状態になったクラレスは、仲間が用意してくれる食事にも手を付けず、水さえ飲まず、絶食を始めた。それによって自分の命を絶つつもりなのは明白だった。


だけど、<本当の異変>はこれからだった。


なにしろ、一滴の水さえ口にしないようにしていた彼女なのに、数日が経ってもほとんど衰弱している様子が見られなかったから。多少はやつれたようにも見えるものの、意識もはっきりしてるし血色も異常を感じさせるほどじゃなかった。


「なにこれ……どうして死ねないの…?」


さすがに数日じゃ死ねないのは当たり前でも、体調さえそんなに変わらない、意識が朦朧とするようなことさえないという事態に、彼女は混乱し、私達も困惑した。


それを見て、レックスとシモーヌは確信したようだ。


「やはり…これで確証が持てたよ」


「レックス……」


そう言って顔を見合わせるレックスとシモーヌに、仲間達は問い掛けた。


「どういうことだ……?」


それに対して、レックスがゆっくりと応える。


「実用化されていないはずの、しかも受信機さえない<転送>。


水さえ補給していないのに衰弱しない体。


不自然なまでに生物に適した、いや、『文明の利器さえ持たない裸の人間でもさほど苦も無く生き延びられる』ほどに生存に適した環境。


僅かこれらの事実からでさえ、私はある推論を立てずにはいられない……」


「だから、もったいぶらずにはっきり言えよ!」


順序立てて説明しようとする彼に、仲間の一部が苛立つ。


だから彼も、結論を急いだ。


「私達は、いや、正確には、<人間としての肉体を有した方の私達>は、すでに死んでいる。


……ということだよ」


「……な……!」


「バカな…っ!?」


そう言って絶句する仲間もいたけど、でも、半数以上の仲間はむしろ『やっぱりか……』と言いたげな様子だった。


「つまり今の私達は、<シミュレーターの中の情報>、<データヒューマン>に過ぎないというわけだな……?」


あくまで冷静に、久利生くりうがそう言った。


「そうだ……そう考えるのが最も辻褄が合う……」


レックスがそんな風に言ったことには、実はこの時点で判明してること以上に大きな根拠があった。と言うのも、人間自身が、もうすでにこれに限りなく近いレベルの<高度シミュレーター>を実用化していたからだ。


何も知らされずにそこにアクセスさせられると、現実と全く区別がつけられないほどに、高度で緻密なシミュレーターが。


実際、シミュレーターにアクセスして、その中での暮らしの方がいいと、現実世界に戻ってくるのを拒む人が続出し、問題にさえなっていたからだった。


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