翔編 勇気と無謀は

井戸掘りマシンも順調だし、あかり達チームBブラボーの調査もこれといって問題はない。あかりが目の前に落ちてきたトカゲ(に似た小動物)に驚いてすっ転んだくらいだそうだ。


俺よりも強いのは間違いなく強いあかりだが、やはり野生の感覚を強く残してるだけあって、臆病な部分もちゃんとある。


幼い頃には少々好奇心の方が上回ってしまっていたらしく無謀な行動も見られたものの、今ではかなりわきまえてくれてる。親としてはその辺りの成長も嬉しい。


よく言われることだが勇気と無謀はまったくの別物だ。


勇気というのは、万全を期してでもなお竦んでしまう自分を奮い立たせて実行に移せる心の強さであって、万全の状態でもないのに根拠のない自信を元に危険に飛び込むことじゃない。


と、ここで暮らしてみて俺は実感してる。


根拠のない自信を元に危険に飛び込んでたりしたら、命がいくらあっても足りやしない。


臆病なのはむしろ<生きる強さ>だ。臆病だからこそ生きるために最大限の努力をする。俺はそれを忘れたくないし、子供達にも心掛けてもらいたい。


だからその辺をわきまえててくれれば、徐行してるローバーから飛び降りる程度のことはお小言くらいで済ましてもいいさ。


『それは危険なこと』


とだけ理解してもらえれば。


とは言え、それはあかりの身体能力ありきの話だから、今後も注意はさせてもらう。あと、


「身体能力的に俺と変わらない子が生まれてきたりすれば、その子が真似しちゃ困るからちょいと厳しめに言わせてもらうぞ」


とも言ってあるけどな。


「うん。分かってる。私も気を付けてるつもりだけど、つい調子に乗っちゃうこともあるからさ。その時にはちゃんと叱ってくれたらいいよ」


あかりはそんなことも言う。


つまり、俺の前でふざけて見せるのはただのレクリエーションで、それが正しいと、この子も思ってないってことだ。


いい子だよ。ホントに。


おちゃらけてるように見えてちゃんと考えてくれてる。


シモーヌの思慮深さを受け継いでくれてるんだ。


自慢の娘だな。


実の母親のようには育ててもらえなかったとしても、この子にもしっかりと生まれてきた意味はある。自分でその意味を作ってくれてる。


俺は思うんだ。<生まれてきた意味>ってやつは、元々備わってるわけでもなくて、誰かが与えてくれるものでもなくて、自分で作っていくものだってさ。


『自分には生きる意味なんてない!』


みたいに嘆く奴もいるけど、そりゃそうだ。自分で自分に意味がないって思ったら、確かに意味なんてない。


野生の生き物が<生きる意味>なんて考えなくても生きていけるのは、自分で自分に『意味がない』なんて考えないからだろうな。


生きる意味を考えたいのなら、それは自分で作り上げていくものだと俺は教えたい。


ただ同時に、親の立場からするとな、生きてそこにいてくれてるだけでも意味があるというのも事実なんだ。


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