翔編 幸せの形

新暦〇〇三〇年十二月十五日。




なんていう俺のあれこれとは関係なく、しょう達は今日も元気だ。


そしてしょうの妹でありすいの兄であるあかりも元気だ。


特に今は、俺とシモーヌが結婚したことで上機嫌である。


俺のことを想ってくれてるというのも確かだとは思うものの、それ以上にシモーヌのことが気になってたんだろうな。


あかりは、アクシーズであるようの娘だから、俺の実の娘ではあるが、シモーヌとは血が繋がっていない。しかし、あかりを自分の子供だと認識できなかったように育児放棄されたことでシモーヌの娘として育てられ、あかりもシモーヌを母親と思って育ってきた。


その中で、ようが実の母親であることも教えたし、シモーヌが育ての母親であることも教えた。


それでもあかりは、自分には二人の母親がいることをむしろ誇りに思ってくれてる。


まあそれは、姉であるひかりひそかの娘であり、自分と同じように実の母親には育ててもらえずっていうことがあったから、自分も同じだったということが逆に嬉しかったんだろう。


ちなみにひかりの方はエレクシアを母親として育ってきてる。


ただ、ひかりの場合は、メイトギアであるエレクシアが母親代わりだったということもあって任せきりにはできなくて、膝に抱いて絵本の読み聞かせをしたりとかなり面倒を見てきたのはあったな。


そう言えばその絵本は元々は<コーネリアス号乗員、秋嶋あきしまシモーヌ>の私物で、今はあの不定形生物の中で生きてるから絵本を取りにも来られないということで、代わりにシモーヌがひかりにあげたんだよな。


と言っても、シモーヌもよくその絵本を読んでるから、ある意味では我が家の共有財産という形になってるのか。


さらには、今ではひかりまどかひなたれいに読み聞かせてる。


そのおかげか、まどかは最近では結構しゃべるようになってきた。ひなたも片言ではあるがしゃべる。


一方、れいの方は、姿こそ完全に人間だが元々がマンティアンだったからか、しゃべろうという気配があまり見られない。しかも母親代わりのイレーネにしがみついた上にまるで忍者のように気配を消すので、正直、時々素でその存在を忘れることがある。イレーネの姿は見えていてもそこにれいがしがみついているということが認識できないんだ。


いや、家族なんだから忘れちゃ駄目だし、母親代わりのイレーネはもちろんのこと、セシリアやエレクシアも当然ながら彼女の存在を把握してるものの、この影の薄さは、じんの息子でめいの弟のじょうを思い出す。


そういう意味でも俺の家族は本当にバリエーション豊かだな。


しかも、血が繋がってるとか繋がってないとか、そんなこともどうでもいい。


皆が仲良く元気でいてくれさえすればそれ以上は望まない。


とか何とか言いつつ、それに加えて幸せでいてほしいともついつい思ってしまうな。


ただなあ、これだけいろんな背景を背負ったのが揃ってると、幸せの形もそれぞれだろうなあ。


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