明編 親としての喜び

「なあ、ひかりは自分が生まれてきて良かったと思うか?」


ひなたを胸に抱き、背中からはまどかに抱きつかれて穏やかな表情をしているひかりに問い掛ける。


すると彼女は、


「そうだね。大変なこともあるけど、私はお父さんの子供に生まれてきて良かったと思うよ。だからまどかひなたにもそう思わせてあげたい。そう思わせてあげることが私の役目だって気がする」


俺と同じことをひかりは言った。俺から学び取ってくれてるのが分かる。


『子供に生まれてきて良かったと思わせてあげるのが自分の役目』なんて、基本的には決して楽な考え方じゃないにも拘わらず、だ。


人間はとかく、享楽的で自分にとって都合のいい選択をしてしまいがちだ。『子供の為に生きる』なんて、


『綺麗事だ』


『馬鹿馬鹿しい』


『そんなこと本心から思えるわけがない』


と嘲る者も多い。


だがそれは、自分の親を思い浮かべてるからか? 自分の親を思い浮かべたから、


『そんなことできるわけがない』


『どうせ口先だけだろう』


と思うということか?


いくら自分の親が尊敬できないような人間だったからって、他人もそうだと思わないでもらいたいんだが。


俺が『子供達のために生きる』と素直に思えるのは、結局、両親の姿を思い浮かべればだというのが分かる。両親は間違いなく俺と妹のために生きてくれていた。そしてそれを本人達自身が望んでいて、幸せを感じていた。だから俺もそれを見倣おうと素直に思える。


ひかりが俺と同じ考え方に至ったのも、俺が彼女にとっての<見倣いたいと思える親>でいられたからだろうな。


これが、


<親としての喜び>


自分が生んだ子に自分の選択が間違いじゃなかったと肯定してもらえる充足感。しかも、意図してそれを得ようと思っていないから実感できたときに余計に嬉しいんだ。


俺も、ひかりにそう言ってもらえて嬉しかった。俺自身はただ俺の勝手でこの世界に送り出してしまったこの子達に生まれてきたことを後悔して欲しくなかっただけなんだ。後悔させたくなかっただけなんだ。


それを果たすことができていた。


もちろんこれから先にも、


『生まれてくるんじゃなかった』


と思ってしまうような苦しいことがあったりするかもしれない。俺も妹のことでずっとそう思っていた時期もあった。妹自身もそう思ってたかもしれない。


でも、それでもなお、


『生まれてきて良かった』


と思える時も確かにある。そしてそう思える時の方がずっと多い。


俺が就職する少し前に両親が亡くなり、俺が就職してすぐに妹が病気を発症し、それから二十年、醜い怪物のように変わり果てていくあの子を見ながらかさんでいく医療費の支払いに追われ、何度も何度も、


『生まれてくるんじゃなかった』


そう呪ったが、今じゃ、


『生まれてきて良かった』


なんて思ってるんだもんな。


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