明編 病んでたんだよ

新暦〇〇二九年五月九日。




人間の中には、


『この世界には辛く苦しく悲しく痛いことが多すぎる。だからそんな世界に子供を送り出すのは可哀想だ』


と言って子供を作らないと決めてるのがいるそうだ。


正直、俺も昔はその考えに近かったと思う。なにしろ、両親は事故死。妹は難病で苦しみながら死んでいったからな。こんな苦しいことばかりの世界なんて生まれてきちゃいけないだろとも思ってた。


けど、人間ってのはその時その時に自分が置かれてる状況によって考え方が変わるのも当然なんだよな。


ここに来てひそか達を見て、


『そんな世界に子供を送り出すのは可哀想だ』


なんて考え方は、今ではここで生きる者達への冒涜のような気さえしてる。


それに、そういう考え方をしてる奴の中にいるんだよ。


『これこそが真理だ! これを理解できないような奴はバカだ!』


みたいなことをいう奴がな。


って、実はかつての俺自身なんだが。


病んでたんだよ。あの頃は。自分の考えこそが正しいってことにせずにはいられなくて、それを精神的な支えにしようとしてた節はある。


今から思えば滑稽な限りだが。


しかし今ではそんなことなかったかのように人生を満喫してるんだから、人間ってのは本当にいい加減なものだ。


が、それでいいんだとも思う。状況により自分を更新していかないと、変化する環境に適応していけないからな。


既に合理性を欠くほどにその時点での状況と乖離しているにも関わらず自身の考えに固執して軋轢を生むとか、愚の骨頂だと思うよ。


ましてやそれで自分が追い詰められることになるなど、何をしているのか分からない。何のために自分の考えに執着しているのか分からない。自分の心の拠り所なのかもしれないが、そのせいで精神的に追い詰められたら、それこそ意味がないじゃないか。


ただ、そうやって柔軟に対応することを教わらなければ、たぶん、できるようにはならないんだろうな。それができる人間の多くが、本人も覚えていないかもしれないがどこかで学んでるんだろうと思う。


思えば俺も、両親から教わっていたんだ。両親は、懐の深い、物事を柔軟に捉えることができる人達だった。いろいろ苦しいことがあって忘れていただけだ。精神的に落ち着いたことでそれを思い出せて、自分が置かれている状況に自分を合わせることができるようになった。


両親には感謝だよ。


『なぜ俺を妹を残して勝手に死んだ!? バカヤロウ!!』


などと思っていた時期もあったが、今から思えばただの八つ当たりだな。


俺も、ひかりあかりじゅんまどかれいひなたにはそれを伝えていきたい。自ら手本を示すことで、それを学びとっていってもらいたい。


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