明編 驕れる人も久しからず

生き物は必ず死ぬのと同じで、


『驕れる人も久しからず』


というのも人の世の常というものだろう。


どんなに隆盛を誇ったものもいつかはその勢いを失い消えていくものだという話だな。


それは同時に、上手く歯車が噛み合っている時は調子良くいって、しかし一度それが噛み合わなくなるとすべてが上手くいかなくなってグダグダになっていくということでもあると思う。


英雄譚や立身出世の物語も、ある時点までは上手くいっててそこで『良かった良かった』で終わっているから爽快にも思えるかもしれないが、実際には『良かった良かった』のその後まで見てみると、ほぼすべての事例でとても爽快とは言えない状態になっているだろう。


企業なんかでも、大きく成長している時には好調でも、それが無限に続くわけじゃない。


俺が人間社会で生きていた頃にはJAPAN-2ジャパンセカンドという大企業があって、それは既に数千年の歴史を誇っていると言われてはいるものの、


JAPAN-2ジャパンセカンドという看板>


がそれだけの長きに渡って引き継がれているだけで、実際には内部では衰退と再生を繰り返しているそうだ。


そもそも、JAPAN-2ジャパンセカンドという企業は、多種多様な企業が寄り集まってできた一種の<国家>のようなものであって、それを構成する各企業が<国民>のような存在だな。


そしてその中で勢力を伸ばして実権を握る企業が現れては消えていくということが起こってるというわけだ。


ちょうど、様々な戦国大名が現れて天下を取ってはまだ次の戦国大名に取って代わられるという形に近いだろうか。


しかし逆に言うとそのおかげで<JAPAN-2(ジャパンセカンド)という看板>もしくは<JAPAN-2(ジャパンセカンド)という国>が残っているとも言えるんだろうな。


そうして大きく成長してJAPAN-2ジャパンセカンドの実権を握ってはやがて次の企業に取って代わられるというそれぞれの詳しい経緯を見ると、やっぱり歯車がうまく噛み合っている時は調子良く行っていて、それが噛み合わなくなるとグダグダになって消えていくという形なんだ。


現実とはそういうものだ。


フィクションでハッピーエンドを望むのは結構だが、それはあくまで現実を受け止めた上でのことでないと、


『自分が上手くいかないのは世の中が悪い所為だ』


とか言い出すことになるんじゃないのか?


現実に即した、


<主人公達が途中までは立身出世を果たしていくが、その後、すべての歯車が噛み合わなくなってグダグダになっていく姿を描いたというフィクション>


を見た程度のことでキレてそれを罵ったりすることになるんじゃないのか?


現実を受け止められている人間なら、たかがフィクションの中で描かれた<現実を模した話>程度のことにムキになったりしないと思うんだけどな。


自分が期待してる通りにならなかったからと言っていちいちキレていたら、現実で生きるのは辛いだけだと思うよ。


俺の子孫達にはそうなってほしくないと思う。


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