義務感(それを持ち続けられること自体が)
新暦〇〇二六年三月三十日。
『自分を責めすぎないで』
と、俺が言ったことを諭されて、でも決して不快じゃなかった。むしろ俺の言ったことをあの子がちゃんと理解してくれてるのが嬉しかった。
だから
そうだ。人間は義務感や使命感や建前だけで自分を律することはできないんだろうな。それができる精神的な余裕があればこそっていう気がする。そしてその精神的な余裕を生むのが、自分のすぐ身近な人間との良好な関係だと思うんだ。
普段から顔を合わせてる、特にプライベートに深く関わる人間との関係が良好じゃないと、精神的に疲弊してしまって余裕が失われてしまうだろう。
日常的に長くその状態が続いてる人間には実感できないかもしれないが、身近な人間、特に<家族>との関係性というのは、精神的な余裕がもてるかどうかってことに密接にかかわってるんだろうなっていうのが俺の実感だった。
ここで俺が正気を保っていられたのも、家族と仲良くできてたからっていうのをすごく感じるんだ。
だからこそ、
『忘れられるくらいなら憎まれた方がマシ』
映画だったかドラマだったかで確かそんなセリフを聞いたことがあった気がするが、なるほど今ならその気持ちも分かる気がする。
自分が愛してる人に忘れられるというのは、こんなにキツイことだったか……
確かにこれならたとえ憎まれても強く気持ちに残ってることの方がマシと思えても仕方ないか。
だがそれは、自分勝手な想いだな。相手のことなんて何も考えてない。そういう奴が好きなのは結局のところ自分自身であって、相手のことは自分の気持ちを押し付ける為の道具でしかないんじゃないかな。
俺は、そういうのは嫌だ。
そんなことをしたらそれこそ俺は自分を許せなくなる。『自分を責めすぎない』とかそんなことじゃ誤魔化せない。
だから俺は、
『<認知症>を患って自分のことも分からない、ところかまわず糞尿を垂れ流すような奴を愛せるとか嘘くさい』
とか言う人間もいるかもしれない。
いや、他でもない俺自身が、かつて、妹のことで精神的に疲れ切ってしまってて、ただ義務感だけであの子の面倒を見てたことから、
『こんなのを愛せるとかありえない!』
と思ってたんだ。
でも、今ならこうも思う、
『その<義務感>を持ち続けられたのは、何より彼女のことを家族として愛していたからじゃないのか?』
ってね。
そうだ。本当に愛してもいない相手にいつまでも義務感を抱き続けられるほど、人間の精神は強靭じゃないと思う。
愛していたからこそ、見捨てることができなかったんじゃないのかって、な。
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