私って薄情なのかなあ(それを言うなら)

そうして滞りなくふくの葬儀は終わった。


ただ惜しむらくは、ひかりがまだ治療カプセルの中で眠っていて立ち会えなかったということだが、こういう間の悪いことが起こるのも人生というものだろう。


むしろ、実の母親であるひそかの時じゃなかったのが幸いだったかもしれないな。


あかりもさすがに今回は、ようの時ほど派手には泣かなかったし。


それについてあかりは、


「私って薄情なのかなあ……?」


なんて訊いてきたが、


「それを言ったら俺なんて全然泣いてないぞ。こういう時に必ず泣くものだというのはただの思い込みだよ。人間、喪失感が大きすぎると逆に泣けなくなることもあると聞くし」


と答えさせてもらった。するとあかりもホッとしたような様子で、


「そっか。別に変じゃないんだね」


って。


そうだ。別に変じゃない筈だ。むしろ、


『こうであるべき』


などと押し付けてくる方が変だと俺は思う。


人間以外の動物でそういう時にやたらと泣いたりする方が珍しいくらいだ。と言うか、殆どいないくらいだろう。


『人間は動物とは違う!』


と思いたいから、


『人間はこういう時は悲しみ、涙を流すべきだ』


なんてことにしたいのかもしれないが、それがもう歪んでいる気がするな。分かりやすく悲しんでいなくても心の中ではきちんと悼んでる場合だってあるだろうにな。


と言うか、やけに大袈裟に泣いてみせてる人間だって本当に悲しんでるのかどうか怪しい場合も少なくないと思うんだよ。


結局、その人の心の中なんて、本人にしか分からないだろう。勝手な思い込みで決めつけられると本当に迷惑だ。


あかりも、『悲しいのに泣けないから変なのかも?』って思ったんだろ? つまりそれはあかり自身は悲しいと感じてるって意味だよな。悲しくなかったら泣けないのはむしろ普通だろうし」


そんな俺の言葉に、


「お父さんには何でも分かっちゃうんだなあ」


ってあかりが。


「何でも分かるっていうのはさすがにあれだけど、あかりひかりのことなら、赤の他人よりは分かるとは思ってるかな」


それも正直な気持ちだった。


「とにかく俺は、あかりふくのこともちゃんと家族だと思ってくれてるのは分かってる。だから泣いてるか泣いてないかだけでどうこう言う気もないよ」


「…ありがとう、お父さん……」


そうだ。こういう時に泣いてるかどうかだけで自分の子供を『薄情かそうでないか』の判断をする親がいるとしたら、俺はそれが悲しいと思う。それってつまり、子供のことをよく見てないって話だろうからな。


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