長くても短くても(とことん)

あかりにとって自分の<母親>として実感があるのは、シモーヌの方だろう。ようのことも『ママ』と呼んではいるが、ニュアンス的にはひかりのことを『お姉ちゃん』と呼んでるそれに近いかもしれない。


だから母親だという実感はあまりなくても、<家族>だとは感じてるんだ。


その上で、実の母親だということは理解しているから、じんの時よりも心に迫るものがあるんだろうな。


「触っていい…?」


ようを驚かせないように静かに近付いて膝をつき、そっと手を伸ばす。その時にも、ちゃんとようが警戒してないか、怯えてないか、確かめながら柔らかく触れてくれた。


がさつで、場の勢いとノリを優先してるように見えても、あかりの本質は、ひかりとも通ずる、気遣いのできる優しい子なんだ。


だからか、ようも牙を剥いたりせずに、大人しく撫でられてくれた。


その姿は、人間の俺には、ちゃんと、まだ幼さの残る自分の娘を見る老いた母親と、それを労わる母親想いの娘に見えた。


瞬間、ぐっと俺の胸の奥から何かが込み上げてきてしまう。


我が子と認識できずに娘を捨ててしまった母。母に捨てられても、それを十分以上に補い愛してくれた育ての母親のおかげで恨まずにいられた娘。


正直、お涙頂戴の感動物語なんてものを、斜に構えて見て鼻で笑ってた時期もあった俺なのに、二人の姿には、素直に胸が締め付けられた。小賢しい理屈なんかどうでもいいと思わされた。


単純に泣けてきたんだ。


『ちくしょう……命ってやつは本当に残酷だよな……こうやって死に別れる為に生まれてくるんだもんな……』


なんて思ってしまう。


だけど…それでも……


『それでも、生まれてきたことを後悔しようって気にならないのは、なんでかな……』


たとえどんな人生でも、生涯でも、命を全うすれば、やり切ったと思えれば、そこには何かが残るのかもしれない。


生まれた意味とか生きる意味とか、そんな理屈はどうでもいいんだよ。長くても短くてもとことん生ききってみせれば、それ自体が意味なんだろうからさ。


あかりが、涙を流す俺を見て言う。


「…パパは、本当にママのことを好きでいてくれたんだね……だからさ、私、パパとママの子供に生まれてこれて良かったと思ってるんだ。こんな場所でも、私はちゃんと幸せだよ。ママも幸せだったんだなって分かるよ」


なんだよもう……反則だろ、こんなの。子供にこんな風に言われたら、親なんてひとたまりもないよな……


「えぐっ、えぐっ」って体が勝手にしゃくりあげてしまって止まらない。


「パパ……ヒドイ顔……」


笑顔でそう言うあかりも、ぽろぽろと涙をこぼしてたのだった。


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