なんだか(小さい子供みたいだな)

新暦〇〇二三年八月二十日。




そうしてりんが巣立っていった一方で、ようは、急激に、確実に、衰えていった。


表情が分かりにくかったじんより明らかに表情に覇気がない。でもそれは、逆に、『小さくて可愛いおばあちゃん』って雰囲気を醸し出してた気がする。


そして、自分の<巣>でいる時よりも、俺に甘えるようにすり寄ってることが増えた。


『なんだか、小さい子供みたいだな……』


とか思ってしまう。


人間は歳を取ると子供に還っていくとも聞くが、これもその一種なんだろうか。


ああでも、それがどういう理由でも構わない。俺を頼ってくれてるのなら、それを受け入れるだけだ。


人間の場合は、甘えたくなっても『いい歳をしてみっともない』とか思ってしまってついつい我慢してしまうのかもしれないが、彼女達にはそういう体裁に拘るメンタリティはないからな。甘えたいと思えば素直にそうするんだろう。


不思議だ。遠目には子供のように見えつつもやっぱりよく見ると<おばあちゃん>って感じになってきてるのに、俺は今でもちゃんとようのことが好きだ。老いて醜くなったかと言われれば、まるでそんな気もしない。ただただ可愛いだけだ。


たぶん、ずっと素直でいられてきたからだろうな。


変に体裁や体面に拘って自分を押し込めて、素直な気持ちを表すことを『みっともない』とか言って見栄を張って顔をしかめていなくてよかったからか、表情が穏やかなんだ。


確かに気性の荒いところはあったものの、それはあくまで野生で生きていく為に必要な気質であって、そこに悪意はなかった。悪意で相手を傷付けようという醜さが、彼女達にはない。


そうだ。人間の場合は、『自分の気持ちに素直になる』というと、『悪意や害意に基いた気持ち』にまで素直になる場合も出てきてしまうが、彼女達はたとえ攻撃的な時でもそこに<悪意>はないんだ。ただ単純に、生きる為に必要なことをしようというだけで。


だから、攻撃的でいる必要がなくなれば、すごく穏やかな表情になる。それも道理というものか。


よう……幸せだったか? 俺はお前を幸せにしてあげられていたか…?」


飾り羽のような柔らかい羽毛に包まれた彼女の頭を撫でながら、俺は囁くように問い掛けた。


「……?」


もちろん、じんの時と同じで俺の言葉そのものは分かってないから不思議そうに小首をかしげるだけだ。


するとそこに、


「ママ……」


と小さく呼びかける声が。


声の先に視線を向けると、あかりの姿があった。ようも視線を向けるが、特に表情は変わらない。母親として娘に優しい表情を向けるとかいうのもない代わりに、牙を剥いて威嚇することもなかった。だから母娘の感動的なやり取りもない。ただ『敵ではない』と思っているだけである。


それでも、ずっとここで顔を突き合わせて生きてきた<仲間>ではある。ようの視線は、そういうものだったかもしれない。


あかりにしても、ようにはまったく育ててもらってはいないから、自分を生んでくれた母親とは言っても、その実感はないだろう。


だけど別れは辛いものなんだろうな。


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