光の想い(ここまで考えてくれてたんだな)

いつものことだがまた話が脱線してしまったな。


しかし脱線ついでに正直な話をさせてもらうと、そう考えれば俺が今まで抱いてきたいろんな違和感が腑に落ちてしまうんだ。


特に、


『親とか大人って、本人が言ってるほど偉かったり立派だったりするか?』


ってことが。


自分が<大人>と言われる年齢になってみて実感したんだが、大人って言うほど<大人>じゃないんだ。立派でもないし、無条件に尊敬したり信頼したりできる大人って、そんなにいるか?


いない気しかしない。


なのに世の大人達は、『自分を尊敬しない信頼しない相手が悪い』って考えてるのがすごく多い気がするんだよ。特に子供に対しては。


<尊敬>や<信頼>って、『そうしろ』と言われてするものか? そいつのことを見ている誰かが、『こいつは尊敬できる。信頼できる』って感じたから尊敬したり信頼したりするんじゃないのか?


むしろ、


『自分を尊敬しろ。信頼しろ』


とか言ってる人間のことなんか、胡散臭いと感じたりしないか?


それって、親でも同じなんじゃないかって思うんだよ。


『子供は親を尊敬しろ、信頼しろ』と命令されて尊敬したり信頼したりっていう気分になるもんか? あくまで親自身の言動とか振る舞いとかを見て、『これは尊敬できる親だ』『信頼できる親だ』って判断するものなんじゃないか?


命令しなきゃ尊敬も信頼もしてもらえないなんてのは、その値打ちがないって周囲から見抜かれてる証拠なんじゃないのか?


その点で言えば俺は、たった一人の妹も守ってやれなかったダメな人間だから、尊敬も信頼もしてもらえるとは思ってないんだ。ただ、自分から見て『こんな親にはなりたくない』と思う親にだけはならないでおこうと気を付けてただけって覚えはある。


『実際には大した人間じゃないのに偉そうにして命令してくる』


そんな親にだけはなりたくなかったな。


だいたい、身体能力的に、五歳くらいの外見になってた頃にはほぼほぼ勝てないのは分かってたからな。それでいくら偉そうにしたって尊敬も信頼もしてもらえないって。


俺が子供達に勝てそうなのは、知識と、『何があっても見捨てない』っていう気持ちだけなんじゃないかな。


ひかりが言ってくれたんだ。


「お父さんは、お母さんや、じんや、ふくや、ようや、私達のこともちゃんと愛してくれてる。大切にしたいって思ってくれて、実際にその通りにしてくれてる。決して口だけじゃない。だから私もお父さんのことを愛せてるんだ。


そのお父さんが愛してくれてる私が、じゅんを見た時に『彼なら』って思ったんだ。


ちゃんとお父さんに愛されてる私が、お父さんに負けるような相手を選ぶ訳ないって思えるんだ。


それっておかしいかな?」


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