どっちが良いとか悪いとかじゃなく(それぞれの、だな)

新暦〇〇二二年三月十日。




じゅんの、ひかりに対する熱心な<求愛>は、今も続いてる。人間なら余裕でストーカーとして訴えられるほどのしつこさだ。


が、野生の生き物にとってはパートナーを見付け己の子孫を残すことはそれこそ自分の命以上に重要なことなのかもしれないと、ここで暮らしてみて思うようになった。


人間は十分に数もいるし、そこまでムキになる必要もなくなったから『結婚する・しない』とか『子供を持つ・持たない』とかは個人の自由にしていいという<余裕>もあるが、野生はそうじゃないからな。


これも、どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、それぞれの状況に応じて判断すればいいことだと思う。


それに、今の人間の場合は、ムキになって数を増やす方がリスクが高いだろうし。


高度なロボットが実用化されたことで労働力の問題もほぼ解消された。社会保障ですら、ロボットのおかげでそれまでの矛盾の多くが解消された。だから、結婚したい者、子供を残したい者が残せばいいという余裕ができたんだ。


もっとも、『それは、ロボットの存在に依存しきった非常に危ういものである』と指摘する専門家もいたりするものでもあるが。


それもまあ、<人間という種>が本質的に抱える矛盾だろうから、おそらく、種としての終焉を迎えるまでつきまとうことなのかもしれない。人間は、自分達が抱える根源的な問題と付き合っていかなきゃいけないんだろう。


ひょっとするとそれが、<人間という種として生きる>ということなのかもしれない。


完全に自然のままに生きる野生の種だって、それぞれが色々なリスクを抱えて存在してるんだろう。人間だけが特別に業が深いって訳でもないと、今では感じる。


俺自身がそうだから身につまされるが、人間はどうも自罰的な一面も持つ生き物だからな。しかしそれも、人間という種が暴走しないように仕掛けられたものかもしれないという気もしている。


人間が傲慢に振る舞えばどんな問題が起きるかというのは、歴史が証明してくれてるしな。自罰的なくらいがちょうどいいんだろう。


まあそれが行き過ぎて<人口爆縮>みたいなことも起こったのかもしれないが、結果としてそれも乗り切ったんだし、人間にもその辺りのバランス感覚はそれなりに備わっているということじゃないかな。


考え過ぎてもいけないし、考えなさ過ぎてもいけない。そういう辺りをわきまえるのも人間にとっては大事なんだろうなあ。


なんてことを、あかりじゅんも立ち去った後の池に釣り糸を垂らしながら、俺はぼんやりと考えていたのだった。


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