なるようになる(なるようにしかならない)

そもそも、起動した時には既に完成された状態で生まれるロボットとかと違って、生物は<成長>するからな。


実は<変化>こそが生物そのものとも言えるらしい。


成長だけでなく、生物の体は<代謝>によって常に更新され、ある程度の時間が過ぎれば多くの細胞が入れ替わってしまい、実はそれ以前とは違うものに変わってしまってるとも聞く。


むしろ生物の場合は、変化し続けなければ生きていけないということでもあるんだそうだ。


<停滞>や<現状維持>は、生物にとっては死を意味するとも。


人間が宇宙にまで進出し拡大し続けるのも、一部の思想家達は<傲慢>とも言うが、もとよりそれは生物としての本能そのものという説もある。


二十世紀前後の頃のような過剰な急拡大は危険ではあるものの、かといってその後に起こった、


『拡大路線の否定と、徹底した管理による現状維持』


というムーブメントは、それこそ<人間という種>を絶滅の危機にまで陥れたんだと。


変化を否定したことで個人個人が自らの生活環境の変化を嫌って非婚化が進み、それに伴って少子化がさらに加速。<人口爆発>ならぬ<人口爆縮>が起こって、たった百年の間に人口が半減したと歴史で習ったよ。


だが皮肉なことに、その危機感から、戦争によるさらなる人材の損耗を恐れたこともあって、地球での戦争の全面禁止に結びついたという説もあるとか。


『平和を求めた』というよりも、貴重な人材が戦争によって失われるのを恐れたという実利的な理由で戦争が禁止されたっていうのが何とも人間らしくていいじゃないか。


もっとも、これを言うとまた一部の思想家達は烈火のごとく怒りだすそうだ。


「平和を求める人の心こそが戦争を否定したのだ!」


とか言って。


まあ、表向きはそういうことにしておいた方が確かに綺麗だし体裁もいいだろうな。


とは言え、現在の人間社会の治安が、『普及したAIによる徹底的な監視によって維持されている』という面もあるように、良い治安も平和も、綺麗事だけじゃ成立しない。単なる道徳教育や平和思想を唱えるだけじゃダメなんだろうと今ではすごく感じるよ。




なんて、話が逸れてしまったが、とにかく、<変化>自体は生物にとって必要なことなんだそうだ。


その変化が吉と出るか凶と出るかは、実際に結果が出るまでは分からない。いや、一時的に何か悪いことのように見えたとしてもさらにその後に別の結果に繋がったりすることもある訳で、流れの一部分だけを切り取って是非を論じようとすること自体に無理があるのかもしれない。


めいじょうえいボノボ人間パパニアンを襲って食べない』


という<変化>が今後にどういう影響を与えるのかも、現時点で結論は出せない。


結局は、『なるようになる。なるようにしかならない』ってことなのかもしれないな。


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