みんな懸命に(生きようとはしてくれてる)

新暦〇〇一一年十一月二日。




インモラルなフィクションのネタとして<兄と妹>ってのは定番の一つなんだろうが、ほむら達のそれは、やっぱり人間の思う道徳だのなんだのいう話とは違う気がする。


だから、あいつらのことを面白おかしくウケるように<インモラルな話>のように語るのは違うと思うんだ。


あいつらにとって自然な気持ちで選んだパートナーがたまたまそうだったというだけで。


で、安全なここでなら、早々に最後まで至ってしまえると。


と言うか、しんだってげんと付き合いだした当初はむしろさらに幼かったよな。やれやれだ。


「実に興味深いです」


シモーヌがいてもお構いなしだから、シモーヌの方も学者根性丸出して二人の様子を食い入るように観察してる。


……平常心、平常心。これはこういうもんなんだ。うん。


と自分に言い聞かせるものの、正直、疲れる。


ただ、ほむらさいも、幸せそうではある。安全なこの場所で、自分が選んだ相手と心置きなく睦み合う。単純にそういう風に見ると、あたたかい光景か。


もう自然には帰れないとしても、ほむら達がそれを選ぶなら。


あたたかく見守っ……




って、見守れるかーっっ!!


気になってしょうがないわーっっ!!








新暦〇〇一一年十一月二十七日。




なんて、最初は思ってたんだが、人間、慣れるもんだな。どんなことにもだいたい。


一ヶ月も経てば、すぐ横でやってても気にならなくなってたよ。


だから今じゃ『見守ろう』って素直に思えてる。


それに本当に仲がいいんだ。どたばた暴れまわってケンカみたいになってることもあるが、かと思えばイチャイチャしてるしな。


仲がいいんならよろしい。


しかも、さいあかりのことも可愛がってくれてる。獣の気性を持ってるから扱いが乱暴に見えても、タカ人間アクシーズの形質を受け継いでいるからか小柄なあかり自身が六~七歳くらいの人間の幼児そのものの外見をしててもやっぱり頑健で、さらに咄嗟の時の動きなんかでも、しっかり体をひねって衝撃を逃がすような感じで転がって見せて、本当の人間の子供とは違うんだなと思わされる。


さいが特に仲が良いようだが、ほむらあらたりんも、特に意図的に避けてるような様子もない。


むしろ、ほまれしんの時のひかりよりも、よっぽどちゃんと<兄妹姉妹>って感じに見えるんだ。


それは、ほむらさい達がこのままここで暮らしていくなら、大事なことかもしれない。


群れの仲間として、上手くやっていってもらう為にもな。


巣立っていった組と、居残り組と、どっちが幸せかなんてのは俺には分からないが、少なくとも居残った方が不幸せに見えないようにはしてやりたい。


生きる場所が違ってるだけで、みんな懸命に生きようとはしてくれてるはずだからな。


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