第2話 虐待とトマト


 夏は開放的になります。


 心持ちもそうですが、私が開放的だというのは、夜中でも、風を室内に入れるために、網戸にして外の空気を取り入れるということなんです。


 どうも、私、冷房がダメで、特に、寝るときに冷房をかけると、まず百パーセント体調を崩してしまうのです。

 だから、どんなに暑くても、扇風機を回して、暑さを凌ぐようにしているのです。


 そんな日々を送っていますと、我が宅の周囲の、それとなく出されるさまざまな音が、否応なく入ってくるのです。


 ヒッチコックの映画『裏窓』では、殺人事件を主人公が垣間見てしまい、犯人に狙われるというサスペンスでしたが、もちろん、つくばの、のどやかかな街の一角にある我が宅の向こうにある三階建てのマンションでそのような事件が起ころうはずもありません。


 しかし、耳をそばだててしまうような出来事は、実は、しょっちゅう発生しているのです。


 例えば、深夜、大きな声で会話しながら、我が宅の前の道を闊歩していくのは、マンションの向こうにある出来たばかりのアパートに暮らす、あの中国人たちです。

 酒でもはいっているのでしょう、笑い声がきこえてくるのですが、あの中国語独特の何か怒ったような口吻が聞こえてきますと、私はニヤッとしてしまうのです。


 上海の旧租界の朝、朝食前にホテルを出て散歩をします。

 会う人ごとに、会釈をしたり、挨拶の言葉を交わしたりします。

 すると、相手も挨拶を返してくれて、さらに、ふたことみこと、必ずと言っていいほど言葉が返ってきます。


 あまり、言っていることは理解できないのです。

 上海人は、相手構わず、上海語を喋ります。普通語と言われる共通語は喋ってくれないのです。

 でも、その表情からは大体は察しがつきます。


 お前さん、わしのところの、油条を、買っていきなよ、おいしいんだからとか、これなどは朝食用の食材を作っている店先の忙しくしているおじさんのことばです。


 ワンちゃんを連れて、重たげな体をゆさゆささせている上海のおばさんは、こんなことを言っているに違いありません。


 どこからきたんだい。大方、ニッポンだろう。むかしから、このあたりは、ニッポン人が多かったからね。まぁ、上海での旅をたのしみなって。


 公園などに足を踏み入れますと、たくさんの人がああでもない、こうでもないとあちらこちらで唾を飛ばしながら議論に夢中です。


 夜の夜中、アパートに暮らす中国人の、あたりを憚ることのない会話を聞いていると、そんな上海での出来事が思い出されて、ほっこりするのです。


 ある時は、私が内緒であんちゃんと呼ぶ青年が、仲間を連れて、アパートに戻ってきます。

 何台も車を連ねて、やってくるのです。

 そして、路端で、特に、私がねているへやのすぐそばの空き地で、笑ったり、追いかけっこをしたりと、これまた遠慮無く振る舞っています。

 

 そうか、明日は休みだ。

 職場仲間で、楽しくしているんだと、私、扇風機の風を浴びながら、しばし、彼ら、若者たちの会話を楽しむのです。


 なに、くだらない話です。


 香港の若者たちのような切羽詰まった話などではありません。

 日本の若者たちは、本当に幸せだと思いながら、私はあんちゃんたちのくだらない話で、一人笑ったりしているのです。


 しかし、ちょっと心配だなってこともありました。


 それは、母親が幼児を折檻している声がきこえてきたときでした。

 夜中の十時ごろのことでした。


 オメエはよぉ、何回言ったら、わかるんだよぉ。


 そして、幼い女の子の、ごめんなさいという声と、泣き声が聞こえてくるのです。


 どうやら、玄関から外に出されたしまったようです。

 駐車場を挟んで、我が宅ですから、静かな夜更に、もろに、我が宅にその声と泣き声が襲来してくるのです。


 さすがに、私、起き上がり、ウッドデッキに出て、その泣き声のする方に耳を傾けました。

 あの品のない罵声が、さらに甲高くなって、続いています。


 次第に、私の中で怒りがこみ上げて来ました。

 

 私、家中の灯りをつけて、ウッドデッキに設置したライトまでもつけて、お前さんのやっていることを注視しているぞって、そうしたんです。


 駐車場の向こうの前の家の灯りがつき、煌々と輝きだしたのです。

 母親は、幼児を玄関にいれました。

 罵声も止みました。


 そして、私は、すぐに、灯りを消しました。


 あんたの叱責は尋常ではない、おいらはあんたの行いを見ているぞって、そんなサインが功を奏したようです。


 それにしても、どうして、あんな与太者のような言葉を、自分の子供にかけることができるのだろうかと、その晩は、少々、寝つきがわるかったのです。

 体にまとわりつく湿気と暑さばかりではなく、あの幼児のかわいそうな様子を想像して怒りが収まらなかったからです。


 あんな悪態をつく母親というのは如何なる人物かと、今度、その顔を見てやろうとそんあことを思っていたのですが、そのマンションからでてくる、親子たちはみな、にこやかで、子供に愛情をこれもでかって注ぐ親御さんたちばかりです。


 テメェ、コノヤロウなんて言いそうな母親の姿も見出すことはできないのです。


 あれは、真夏の夜のゆめだったのかしらって、そのうち、思うようになったのです。

 そして、しばらくして、今度は夕暮れ時でした。

 夕食をいただき、明日の朝、収穫する予定のトマトを眺めていたら、あのテメエ、コノヤロウの声が聞こえてきたのです。


 わたし、ウッドデッキから降りて、駐車場を横切り、マンションの境のコンクリートの塀のところまで行きました。

 どうやら、二階の踊り場でその声が聞こえてきます。

 

 お母さんは、相変わらず言葉わるく罵っています。

 あんたのこと、本当に心配してんだよと、諭すように優しい声が今度は聞こえてきたのです。


 何度言ったら、悪さをしなくなるの。

 畳に水を撒いたらダメって、あれだけ言っているでしう。

 家のなかで水を使っていいのは、キッチンとお風呂場だけ。お部屋で水を撒いちゃダメなの。

 いぃいっ、わかったっ。

 

 駐車場を挟んで聞こえてくるのは、相当に頭に来た母親の罵声だけ。

 近づいて、耳をすませば、母親の冷静に諭す声。


 この女の子、相当な「ヤンチャ」だと。


 私、さっきまでの怒りにも似た感情が、安堵の情に満たされて、その諭すこえを背にして、我が宅のデッキに戻っていったのです。


 そうだ、このトマト、いま、取ってあの親子に渡そうと、私、五つ六つのトマトですが、それを手にして、また、塀のところにもどっていったのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る