虐待とトマト
中川 弘
第1話 すっとこどっこい
車の運転をしていると、前を走るノロノロ運転の車にイラっとすることがあります。
きっと、誰もがそんなことを感じ、それでも、我慢して、ハンドルを握っているのではないかと思います。
運転を始めた頃、誰だかに、人はハンドルを握ると、本性の悪なる部分を見せると、言われたことがありました。
だから、前を行くのんびり屋の運転手の緩慢なる運転にも我慢して、愚かなる行為に及ばず、というのではなく、己の本性を、それも、悪なる部分の本性を、たかが車の運転ごときで見せてなるものかと、奇天烈な意地を張って、それがために、愚かなる行為に出ずに済んでいるのかもしれないと、そんなことも思っているのです。
ノロノロであったかどうかはわかりませんが、前を行く車を追いかけて、悪態をついたり、挙句に、その車を止めて、ドライバーに殴りかかるという、とんでもない輩が、この夏、日本中を騒がしました。
さらに、それを写真に撮っている同乗の女もいるのですから、なんだか、いい加減嫌になってしまいます。
余談ですが、あの話題の男女、いまだに二人して、スマホではないことにも驚きでした。
まぁ、私は、これまでそのようなことは、やっても、されてもいないので、ガラケーを持つあの方々は、よほど気が弱いか、あるいは、己の心を制御するに十分な理性を保つことができている、なんともさもしい奴だと思っているのです。
テレビで、その手の事件が報道されて、かなりの時間が経ちました。
だから、その馬鹿さ加減に呆れて、もはや、そのようなことをするのは愚かなることと、日本中のドライバーが思っているかと思いきや、それでも、この手の事件が減らないのですから、よほど、己の心を制御する理性を持てないでいる人間が、この国には多いものと呆れ惚けているのです。
ついには、エアガンを発射する愚か者まで出てくるのですから、開いた口が塞がりません。
そんな愚かなる人間が運転をしているとわかれば、ハンドルを手にして、ひとたび道路に出れば、命がけだなぁと思うのです。
私には、こんな思い出があります。
その方は、私の勤務していた学校に子を通わす保護者であり、同時に、生徒の情報を交換しあう関係にあった塾の代表者であった、そういう方でした。
私が、やんちゃな子が多くてねと、何気にいいましたら、普段はおとなしいその方が、ちょっと言葉を荒げて、そんなことはない、自分の子供も含めて、この学校の生徒は、至極立派だと、そんなことを言うのです。
あれあれ、私、なんか不都合なことを言ったかしらと、その方の語勢に圧倒されてしまったのです。
そして、わかりました。その行き違いの感情の交差が、どこにあったかが。
やんちゃという言葉には、実は、二種の意味合いがあったのです。
一つは、私の念頭にあった意味合いで、子供の駄々をこねたり、いたずらを好んでやったり、そんな幼さ、可愛らしさを表現するものです。
私は、そんな意味合いで、自分の学校の生徒たちを表現したのですが、相手の塾長さんは、それをもう一つの意味合い、つまり、若者の素行の悪さ、不良と捉えたのです。
そうなれば、話が噛み合わないのは当然です。
しかし、相手も教育携わるもの、あえて、やんちゃの二種の意味合いを説いて、ここで議論することもないと、すっとこどっこいと小さくつぶやいて、別の話題に入っていったのです。
煽りをするドライバーだって、前を行く車の運転手と、そんな気持ちのかけ違いがあったに違いないと、だから、冷静になって、一呼吸おいて、自分と前を行く車の運転手のことを客観的に思えば、さほどのことでもないと、そんなことで思い出したのです。
えっ、「すっとこどっこい」ってなんだって。
これが私にもよくわからないんです。
でも、いい加減頭にきたときとか、やることなすこと何もかもうまくいかない時に、私、よくこの言葉を吐き出すのです。
寝坊をして、その日の予定をこなすことに支障が出た時など、何やってんだよ、このすっとこどっこいなんて自分に怒りをぶちまけたり、あるいは、ノロノロと走る前の車に、聞こえるわけはないのに、このすっとこどっこい、いい加減に早く走りやがれなんて、この言葉を発するのです。
こんなことを振り返れば、私も、結構、ハンドルを握って、素っ頓狂なことを叫んでいるなぁって、実におかしくなります。
つまり、この言葉を吐くことで、幾分、私の気持ちが落ち着きを取り戻す、そんな働きをしてくれている、私にとっての魔法の言葉なのです。
漱石先生の小説あたりにでてきたのか、あるいは、母の実家に詰めていた鳶の男たちが、テヤンデェ、このスットコドッコイと与太を飛ばしているのを、子供心に聞いてそれが口癖になっていたのか、そこらあたりは皆目見当もつかないのです。
先ほどの塾長先生とは、二種の意味のある言葉の捉え方で、言うなれば、ボタンのかけ違いのような感じで、意思の疎通ができなかったのですが、ボタンならぬジッパーを使った、新しい交通運用の話題を先だってニュースで見ました。
ジッパー法という交通ルールです。
高速などで、横から入って車をジッパーのように交互に噛み合わせて、流れに入れ込むと、渋滞にならないというのです。
意地でも、俺は横から入り込む車は入れないぞと頑なにそれを拒むドライバーをまま見かけることがありますが、それでは、渋滞が増えるばかりだというのです。
皆が、相手を先に送り込むことで、何でもかんでも順調にいくというのです。
これはぜひ広めなくてはなるまいと、それに、駅などのエレベーター、時間に追われているのはわかりますが、私の横を、かばんをぶつけながら、走り去っていく青年を見ますと、テヤンデェ、このスットコドッコイ、エレベーターでは走るなって言われているだろうにって、気の弱い私は、心の中で叫び倒すのです。
世界からその行いを賞賛される日本人ではありますが、そんなこんなを見ますと、赤面することばかりです。
とりわけ、ハンドルを握った時に、人はその本性を丸出しにします。
それも、悪なる本性です。
それは、恥ずかしいことです。
カナダは、ビクトリアの町、ジ・エンプレスという優雅な名を持つホテルの前で、ヨットハーバーからそのホテルに戻ろうと信号のない横断歩道を前にして佇んでいますと、カッコいいスポーツカーに乗った、リーゼントをかっこよく決めたアンちゃんが、粋な微笑みをして渡りなさいを車を静かに止めてくれたのです。
つくばのアンちゃんは夜の夜中と言わず、轟音を響かせて、我が宅の前の道路を疾走し、私からすっとこどっこいという言葉を浴びせられますが、随分と違うものだと、そんなことも思っているのです。
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