ママの味

 麻梛は、尊の帰りを待ち侘びていた。


 目の前の大きな鍋では、トマトスープが湯気を立てており、玉ねぎ、人参、キャベツが躍っている。

 大きな違いは骨付き肉が入っている事だが、見た目には奈美子が作る『ママの味』によく似ている。

 食べた直後、尊がどんな顔をするのか、麻梛は楽しみでならなかった。


 玄関から、鍵を開ける音が聞こえる。


 幸せを運ぶ音だ。


「お帰りなさい」


 麻梛の声は弾んでいた。


「たまには、外で風呂に入るのもいいね」


 尊の声も弾んでいる。


「スーパー銭湯っていいね。次はママも連れていってあげたいよ」


 スーパー銭湯に初めて行った事を、子供のように喜んでいる。

 麻梛は、そんな尊の姿をやはり愛しいと思った。


「なんで家の風呂、使えないの?」


 尊は、当然の疑問を口にする。


「少し散らかってるのと、汚れがなかなか落ちなくて」


 麻梛は器を取り出しながら答えた。


「明日、ゆっくり掃除する」


 自分が聞いたのに、尊は「そう」と生返事をして、ネクタイだけを外し、さっさと食卓につく。


 それを見て、麻梛はとっておきのスープを尊の前に出す。


「お義母さんに協力してもらって作ったの」


「トマトスープだ! 嬉しいなあ。ママは帰ったの?」


「お義母さんは、もう……」


「今日は帰っちゃったか。しかし、麻梛がママの味をねぇ」


 尊は満足そうな表情で、繁々とスープを眺めている。


「せっかく覚えたんだから、また作ってよ」


 麻梛は「またなんて無理よ」と心の中で呟きながら、尊がスープを口にする瞬間を待っている。


 尊は期待に目を輝かせ、スープを口に運んだ。


 一呼吸置いた後、尊は強烈にむせ返した。

 椅子から転げ落ち、大袈裟にのたうち回っている。


 麻梛はそれを見て、思わず声を上げて笑ってしまった。

 どこまでも、尊は子供のようだと思った。


「何だよ! このスープ生臭くて食べれたものじゃないよ!」


 尊は声を荒げ、怒り心頭といった顔で、麻梛を見上げる。


 麻梛は、尊と同じ目線になるようにしゃがんで言った。



「あなたの大好きなよ」



 麻梛は、尊の素っ頓狂な顔を見て、また声を出して笑ってしまった。


 尊が真相を知った時、どんな行動を取るかを想像してみた。


 それは、喜びに満ち溢れていた。



 私が、駅向こうのスーパーに、青酸カリ入りの牛乳パックを仕込みに行ったあの日のように。


 陸橋から突き落とした時ように。


 その愛しい手で、背中に触れて。


 今度はもっと高い所へ行くから。


 今度こそ、私を殺して。


 お義父さんの時みたいに、自分とお義母さんの為じゃなく。


 私を殺す為だけに。


 その愛しい手で、背中に触れて。


 私を殺して。


 そうすれば、貴方は永遠に私だけの物になる。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ママの味 まっく @mac_500324

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ