義父の死

 尊の父、成貴が転落事故で死んだのは、今から三か月前。尊と麻梛が引っ越して来てから、一か月後の事だった。

 その日、麻梛は夕食の買い物の前に、のんびりとテレビを観ていた。すると、滅多に鳴らない家の電話が、少し控えめな音を立てた。麻梛は、また何かの勧誘かと思いながら、受話器を上げると、抑揚のまったく無い声色で、相手はこう告げた。


「成貴さんが動かないの」


 奈美子からの電話だった。麻梛は、すぐに成貴と奈美子の家に向かった。

 そこには、庭先で仰向けに倒れている成貴と、呆然と立ち尽くす奈美子の姿があった。

 麻梛は慌てて救急車を呼び、到着までに奈美子から状況を聞いた。奈美子は、どこかに感情を置いてきたかのような口調で、淡々と答える。

 大きな物音がしたので、庭に見に行くと、成貴が倒れていて、揺すっても、ぴくりとも動かなかったという。雨樋あまどいの修理をする為に脚立に上っての作業中バランスを崩し、転落して後頭部を強打したみたいだと。

 それで、どうしたらいいか分からず、すぐに麻梛へ電話を掛けたというのだ。


 麻梛が電話をして、十分程で救急車が到着した。その時には、尊も駆け付けており、救急車には奈美子が同乗し、麻梛と尊は一旦家に戻り、自家用車で搬送先の病院へ向かった。

 治療の甲斐無く、その日の夜、成貴は一度も意識を取り戻すことなく息を引き取った。


 麻梛は、特に最近、義父との会話をよく思い出していた。その頃が一番幸せだったとしみじみ思う。


「本当は娘が欲しかったんだ」


 そう言って、旨そうにビールを飲む成貴の横顔を、麻梛は今でも時々思い出す。

 父親を知らないで育った麻梛にとって、初めての父親だった。

 尊と結婚して良かったと、改めて思った瞬間だった。


 奈美子も尊も、ろくに話を聞いてくれないと、ぼやきながら、よく尊の昔話をしてくれた。

 その時は、微笑ましい話だと思いながら聞いていたが、今考えるとゾッとする話だ。


 小さい頃の尊は、何をするにも奈美子の後をついて回って、一日中べったり。幼稚園のお迎えバスに乗せるのも一苦労だったらしい。

 それは小学校高学年になっても変わらず、寝室を別にしたにも関わらず、朝には奈美子のベッドの中といった具合だ。


 成貴は、さすがにこのままではいけないと思い、尊を県外で全寮制の中高一貫校に入学させた。

 奈美子は最後まで反対していたが、それでは尊の為にならないと、成貴が半ば強引に決めたのだった。


 ひょっとしたら、尊と奈美子を近付けてはいけなかったんじゃないかと、麻梛は思っていた。

 成貴も同じように感じたからこそ、無理にでも尊と奈美子を引き離そうと考えたのではないか。

 そういえば、こっちへ引っ越して以来、成貴から、尊に変わった所はないかと、頻繁に尋ねられていたことを麻梛は思い出した。

 何か、とてつもなく大きな厄災が、自らの身に降り掛かるのではないかと、そう思わずにはいられなかった。

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