麻梛の過去①

 尊の転勤が決まり、尊の実家近くのこのマンションへ引っ越して来た。

 ここからだと、通勤に一時間以上は掛かって大変だし、もう少し会社に近い所で探してもと、麻梛は思っていた。

 だけど、尊が良いなら、どこでも良かったし、専業主婦の身で、そんな贅沢を言うつもりはなかった。

 合鍵は双方が持っているが、いくら歩いて十分程度の場所だといっても、お互いの生活もあるし、頻繁に行き来するわけではない。

 実際、尊の父、成貴しげきが生きていた頃は、そうだった。

 たまに四人で外食に出掛けたり、冬にはお互いの家で鍋を囲んだりと、傍目にもいい家族に映ったはずだ。

 奈美子の突き刺さるような視線が気にならない事もなかったが、麻梛は家族とは良いものなのかもしれないと思い始めていた。


 麻梛は幼少期から、あまり家族というものを知らずに過ごしてきた。

 物心がつく前に父を亡くし、母は仕事でほとんど家にいなかったからだ。

 そして、母も麻梛が十六歳の時に癌で死んでしまった。病院へ行った時には、もう手の施しようがない状態で、それから、三か月もしないうちに、あっさりと息を引き取った。


 人って、簡単に死ぬんだな。


 そんな事を思ったくらいで、とうとう、涙は出てこなかった。


 それなのに、小さい入れ物に入れられた、灰になった母に触れると、不思議と胸の中に舞っていたおりが、腹の底へと沈んでいくのが分かった。今まで感じていた漠然とした不安感が嘘のように消えて無くなった。

 死を意識する物が身近にあると、心に安寧がもたらされる。そういう御守りのような物が自分には必要だ。

 その事を教えてくれた母には、今でも感謝している。


 程なくして高校を中退し、十六年間を過ごした街を離れた。

 バイトを転々としながら、なんとか生活しているという感じだったが、そうやって死ぬのを待っていればいいと思っていた。

 大体の生き物は、そうやっているし、何も人間だけ特別ではない。

 無理に死ぬ必要もないし、しゅを繋ぐ手伝いをする必要もないだろうと麻梛は思っていた。世界に人は溢れている。


 二十歳の時に働き出したメッキ工場は、劣悪という言葉がぴったりの仕事環境だった。

 一緒に働いている従業員は、あまり日本語が達者じゃない外国人労働者が大半を占めていた。

 仕事は楽ではなかったが、寮に住まわせてもらえたし、煩わしい人付き合いも皆無。

 男達のねっとりとした視線に嫌悪感を覚えはしたが、茶色い小瓶に入ったが心を安定させてくれていた。

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