3-5

 リーナの言った通り、村を出てからしばらく歩くと荒野が見えた。枯れかけた低木と藪が疎らに散らばっていることろを除けば、緑がほとんど見えない。乾いた大地の表面を冷たいが吹き抜け、巻き上げられたガラス質の砂塵が、地平線の向こうから覗かせる太陽の光を反射してギラギラ輝いている。リーナが鞄の中からスカーフを3枚取り出し、俺とシリアに配った。俺は礼を言ってそれを受け取り、顔に巻いて鼻と口を覆った。覆面した俺たち三人は、砂漠の旅人のように見える。残念ながら、スライムを覆うものはない。奴の体は時間が経つにつれて、細かい砂粒がどんどん張り付いていき、しまいには動く砂の塊と化した。


 俺たちは時折木陰を見つけて休み、水分補給したり、携帯食を口に運んだりした。リーナが背負っている一つだけの鞄から、物理の法則を無視しているかのように様々なものが出てくる。これもきっと召喚士の魔法に違いないが、その用意周到さに俺は感激した。彼女は俺を脱獄させるために、予め準備していたとしか思えないのだ。


「なあ、リーナ」俺はクラッカーをボリボリと齧りながら尋ねた。「城壁の外は異形がいっぱいって言ったじゃん」

 俺から少し離れところに座っているリーナが鼻を鳴らした。食べ物にありつく俺とは違い、彼女の視線は常に地平線の方に向いていた。俺は構わず続けた。

「この荒野を歩いてそろそろ丸一日だけど、野鳥や小動物以外、何も現れていないぞ」

 地平線に沈みゆく太陽の光を吸い込んで、リーナの瞳が柔らかく灯っている。俺の言葉を聞いて、その灯りが鋭い閃きに変わった。

「危ないのは日が沈んだ後からよ。感じる。ここ一帯の空間にいびつな力が掛かっている。近くのどこかで、次元の裂け目が開いているに違いない」


 俺は飲み込みかけたクラッカーと水の混合物にむせ返った。ゲホゲホと咳をしていると、シリアが心配そうに背中をさすってくれた。咳が止んでも、息が落ち着くのを待たずに俺は喋り出した。

「ちょっと、それじゃあ休んでる場合かよ。逃げるなり迂回するなり、ここを離れようよ」

 リーナが冷ややかな視線をこちらに向けた。

「裂け目の近くを通って行った方が一番の近道なの。スチールレギオンの領地内に入りさえずれば、ナナコ様の手下は私たちに手も足も出ない。二つの国は今、不可侵と不干渉の条約を結んでいるから」

「でも異形がぁ……」

「不死身のアバターが弱音吐くんじゃないわよ」

「実戦経験はゼロだよ」

「じゃあ、良いスタートが切れるといいね」

 この言葉を締めくくりに、リーナは俺に背を向け、視線を地平線に戻した。俺は言葉を失い、口をパクパクさせていた。彼女の強気すぎる態度がいつも手に余るのだ。

「大丈夫ですよ、私とスライムが居ますから」リシアが明るい声で励ましてくれた。

 スライムは砂だらけの体を揺すっているが、付着した砂粒はいっこうに落ちない。


 日が沈むと、リーナは鞄から寝袋と折り畳まれたテントを取り出した。野宿の用意まで彼女はしていた。

 テントは地面に触れると、中から見えない何かに支え突き上げられるようにして自動で立ち上がった。二人用のこじんまりとしたテントだ。入口の隙間からランプのオレンジ色の光が漏れ出している。夜の訪れとともに外の気温が段々と下がっていくなか、その色合いがいかにも暖かそうに見えた。


 疲れ果てた俺は何も考えずに入ろうとしたが、リーナが呼び止めた。

「あんたはシリアと替わり番で見張って頂戴。異形が寄ってきたら迷わずやっつけてくれ」

「俺は丸腰だぞ!」突拍子もなく危険な指示に、俺の声が思わず高くなる。

 シリアは思い出したかのように、スカートの下をモゾモゾと手探り始めた。鼻血誘発シーンの第二弾に俺は思わず顔を背ける。

「はいこれ、差し上げますよ」シリアはかつてデュアルヘッドとの対決で俺に貸してくれた同じ剣を差し出した。

「いいのか……」柄を受け取りながら、俺は堪えがたい恥ずかしさを隠すために質問をした。

「私は沢山もってますから」シリアはにっこりとし、テントの入り口を広げた。「時間になったら替わるから、しばらくの辛抱をお願いします」

 

 俺はテントの奥に姿を消すシリアとリーナを見守った。もらった剣を胸に抱えると、じんわりと体に温かさが広がるような気がした。彼女たちは間違いなく、俺が出会ったことのある最恐の女二人だ。でももう、彼女たちのことは嫌いにはなれない気がした。


 俺はリーナが座っていた場所に行き、地面に尻を突くと同じように地平線を眺め始めた。日が沈むと、疲れも相まって眠気が襲ってくる。自分を覚ますために、俺はかつて住んでいた人間の世界に思いを馳せた。


 仮に、婚約者である真奈美に俺の現状を伝えたらどうなるのだろうか。投獄されていてかつ死ぬ羽目になった俺を、彼女は助けに来るのだろうか。それとも、さっさと婚約を取り消して、他にステータスと金を提供してくれそうな男と縁を結ぶのか。

 考えれば考えるほど、俺は侘しくて惨めな気分になっていた。俺は頭を振って、婚約者の可愛げだがどこか人工的な笑顔と、バービー人形のようなスリーサイズを脳裏から消し去った。今となっては、彼女の存在意義など俺にとって取るに足りない存在となった。そのことに気付いたのは、今夜が初めてだった。


 辺りはすっかり暗くなり、銀の砂をまぶしたような星々が広がっている。電灯の明かりに染め上げられた人間界の地上から滅多に見れない美しい光景だ。俺は深いため息をつき、退屈で単調な見張りの仕事を始めた。

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