3-3

「どこに行く?!」

 背後から腕を掴まれた。振り向くとそこにはリーナの険しい表情があった。

(スライムを助ける!)

「やめとけ。無駄に捕まるだけよ」

(奴は俺の命の恩人だぞ!)

「だから? せっかく助け出した人がバカな真似してまた捕まったら、元も子もないわよ! 諦めろ。スライムだって覚悟の上で私に手を貸したのよ」

「だからって、俺たちのために犠牲にするのか!」

 耐えられず口走った俺に、リーナがあからさまに目尻を立たせ、次には白けた表情をあらわした。

「何を今更キレー事言っている。世の中で誰かが犠牲にされるのは良くある事じゃない。かつてシュンメイ君も、私を犠牲にして学校生活を謳歌していたんでしょ。本当、うさん臭い男だね」

「うぅ……」


 俄かに言葉を失う俺、図星だった。


 正直に言うと、俺はリーナが思っているほど学校生活を楽しめなかった。罪悪感はもちろんあった。だが、それ以上に俺の心に影を落としたものがある。それは自己嫌悪だった。こんなことでしか、自分を守れない情けない男だと、心の片隅で俺は俺自身を見下していた。


「ああ、君の言う通り、俺はうさん臭い奴だ」それだけを言い残し、俺は走り出した。

「ちょっと!」


 呼び止めるリーナの声が背後で遠ざかっていく。俺は道の先で小さくなってゆく衛兵の列に向かって全力疾走している。


 ダサい。実にダサい。囚人の薄汚れたボロキレを身に纏い、藁くずの絡まった髪を乱しながら、追い詰められた猪のように俺は激走している。


 ナファリムで辛酸を嘗め尽くした俺の姿を、世界中に見せつける。さあ、とくとご覧あれ。「ダサッ!」とせせら笑うがいい。その事実は認める。ただし、命の恩人を見捨てて尻尾を巻いて逃げるのは、更にダサい。もはやダサさの極み。こんなダサいことをしたら、俺の自尊心はもう立ち直れない。


「のおおおおおお!」


 衛兵たちが身構える前に、俺は猛牛の勢いでガラスケースを担いでいる奴らの一人に体当たりを決める。硬い金属の鎧に身を強く打ち付ける。俺の全身に痛みと衝撃が襲う。ぶつけられた相手も勢いで吹っ飛び、隣の奴にぶつかって一緒に倒れた。奴らの持っていた長槍が落ち、それにつまずいて先頭に立った奴らも転んだ。

 俺の攻撃は予想以上に利いた。ボーリングでストライクを決めたように、衛兵の隊列は忽ち崩れ、鎧の大男たちはみな罵声を上げながら路上に転がった。


 ガラスケースは転がり落ち、路面に角を勢いよくぶつけた。「ミシミシ」と亀裂が全体に走り、やがて「ガシャーン」と派手な音を立てて粉々になった。自由になったスライムは、触角を腕のように曲げ、俺にガッツポーズを見せた。


 (ああ、やっちまったぜ。)


 地べたに横たわったまま、俺は夜空を仰ぎ見る。


 (人生はおろか、命をも棒に振ったぞ……)

 (でも、この胸の清々しさは何なんだ。)


 生まれて初めて味わうこの生々しい感動に、今までの人生が全て色褪せていく。これぞ、という感覚なのか。俺も晴れて、アドレナリン中毒者の仲間入りを果たしたようだ。

 

 ふっと、俺の視界にステータス画面が浮かび上がった。スキルスロットが光り出し、新しいアイコンが現れる。その名前は―


『激揚アドレナリンビーム』


 (はたまた、使え無さそうなやつじゃねえか!!)


「こらあ! そこの囚人!!」

 頭を抱えて懊悩する俺に、衛兵たちが一斉に飛び掛かる。


(ええい、何でもいいやとにかく使ってやりゃ!)

 俺は新しいスキルを発動する。すると、全身がビリビリと痺れ、流れる血が湧き立つように熱くなる。俺の体から、赤いオーラが湯気のように立ち上がった。


 俺の変化はそれっきりだったが、俺の様子を“見た”スライムが凄まじい変異を始めた。全身を危険なほど真っ赤な色に染め、「ゴゴゴゴゴ」と低く轟きながら体積が一気に膨れ上がる。俺に槍を突き立てようとした衛兵たちの誰もが、その異様な光景に目を剥いた。

 次の瞬間、スライムの体から、宙を埋め尽くすほどの触角が一気に射出した。それらは瞬く間に衛兵たちを捕らえ、一人残らず空中に掬い上た。広がるスライムの粘液に、武器や鎧が「ジュージュー」と音を立てて溶けていく。身を覆う金属が全て無くなると、今度は下に着ていた服まで溶けだした。


 あっという間に、衛兵たちは完全に武装解除ならぬされたのだ。男どもを地面に投げつけ、スライムは触手を引っ込めた。すっかり戦意喪失した衛兵たちは、今や股間を手で覆い、悲鳴を上げながら縦横錯綜に逃げ回る全裸の集団と化した。あまりの狼狽さに母親の名前を叫ぶ奴もいるほどだった。


「シュンメイ様、大丈夫で……す……か……」

 駆け寄ってきたシリアがこの一幕を目の前にして凍り付いた。下瞼が数回痙攣した後、彼女の口が大きく開いた。


『ぎゃあああああああああ』


 大気が震え、周囲の家屋の窓ガラスが一斉に吹き飛ぶ。寝耳を襲う爆音に住民たちは大パニック。シリアの声は壁と壁の間を跳ね返り、瞬く間にホワイトストーン全体を包み込んでしまった。


 まずい、と思った矢先、頭上に巨大なポータルが開いた。闇の円盤に見えるそれは勢いよく降ってきて、俺とシリア、そしてスライムをすっぽりと包み込んだ。


 


 

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