3-2

 おかしなことに、監獄の守衛たちは皆、泥酔しているかのように眠っていた。巡回中の奴さえも、廊下のど真ん中にだらしなく横たわり、よだれを垂らしながらいびきをかいている。きっとリーナの呪術か何かに掛かったのだろう。

 

 俺は素早く監獄を抜け出し、狭い廊下に出た。廊下の突き当りまで全力で突っ切り、食物貯蔵庫の中に入る。たまたま入ってきた使用人の視線を、大きな棚の後ろに隠れてやり過ごし、俺は部屋の隅にある地下水路のハッチ扉に何とかたどり着いた。


 宮殿の地下には、思いの他に広い空間が広がっていた。それに、予想以上に清潔だった。壁の上に一定間隔でクリスタルの明かりがついており、足元も暗くない。下水が流れているのはきちんと整備された排水溝で、行人のために通路が別に用意されている。ここは下水路を兼ねて、避難用か何かのために建てられた回廊のようだ。


 暗記した通りに進むと、程なくして行き止まりにたどり着いた。仰ぎ見ると、数メートル先の頭上にマンホールの蓋が見える。俺は壁に撃ち込んだ鉄のポールを掴み、頂上に目掛けて全速力で手足を動かした。


 マンホールの蓋を少しだけ押し開け、俺は周囲の様子を確かめた。外は住宅エリアの一角のようだ。深夜なので、道を出歩く人の姿は見えない。俺は地上に這い出て、ほっと一息ついた。


 (さて、これからどうするか、だなあ。)


 ホワイトストーンにとどまっている限り、すぐに捕まってしまうだろう。では城壁の外に逃げるのか。恐ろしい異形がうようよ居るとリーナが言っていたことが本当なら、それも得策ではない気がする。


「シュンメイ君」背後からヒソヒソと名前を呼ばれた。

 振り向くと、黒いフード付きマントで全身を隠した怪しげな人影がふたつ。リーナとシリアだった。俺が聞くまでもなく、リーナは事情を簡潔に説明した。

「一緒に逃げるよ。日が昇る前に、ホワイトストーンを出るの。スライムに頼んで、衛兵たちの食事に眠りの霊薬をこっそり入れたのよ。そろそろ効き目が切れるはずだ。さあ、早くして」

「一緒にって……」

 俺はリーナを憮然と見つめた。一人だけじゃないという安心感も束の間。胸をきつく締め上げられる感覚にひたすら息が苦しくなった。この感情は何なのかすぐには分からなかった。


 リーナなら俺を見殺しにするに違いない、それが俺の想定だった。端から俺をバカにしていたし、これで間違って召喚した最弱アバターとおさらばできる良い機会だ。


 (なのに、どうしてだ。)


 名声、地位、豊かな生活、あらゆるものを手放して俺を助けるのは、どうしても理解できない。俺のどこに、そんな価値があるというのか。


「そう、一緒に逃げる。シリアも」リーナは短く言い切った。

「はい、リーナ様のご意思となれば、シリアはどこまでもついていきます!」健気な声でシリアが二つ返事で答えた。

「お、おう……」まともなセンテンスも口にできず、俺は取り合えず頷いた。

「おっと」

 リーナが何かを思い出したように、俺に向かって手を一振りした。すると、俺の体を幻像が包み込み、街の至る所に居そうな素朴な住民となった。

「これで良し。その如何にも囚人のような格好じゃあ巡回に目を付けられちゃう。術が解けるから、絶対に喋らないでね」

 俺はごくりと唾を飲み、頷いた。


 リーナについて歩き出した俺たちは、何故か街の中心部に向かって行った。

(あの、方向逆じゃないか)

「城壁の門から出るつもりはないよ。夜な夜な道を急ぐ怪しそうな私たちを、衛兵が何一つ尋問せずに通すと思うか」

 俺の考えはリーナに忽ち伝わった。そういえばアバターと召喚主マスターは以心伝心だった。

(その可能性は高いなあ)

「とにかくついてきて。私は密輸業者たちが使う秘密のテレポートゲートを知っているから」

(ほほう……)

 手招きをするリーナはいつの間にか数メートル先を進んでいた。俺は慌てて彼女の後を追った。危機的状況だというのに、胸の中でほのかな希望が生まれた。


 路地裏を急ぎで進んでいると、俺たちは思いもよらないものに視線を吸い寄せられた。建物の隙間から見える大通りを、大きなガラスケースを担いだ衛兵たち物々しく通り過ぎた。衛兵たちはこちらの存在に気づいていないが、俺たちの視線は忽ちガラスケースの中身に集中した。

 そこには、スライムが閉じ込められていた。俺の脱獄を手助けをしたことがバレて、運悪く捕まってしまったようだ。


 衛兵たちが遠ざかってから、シリアは小さな声でリーナに尋ねる。

「あの子、どうなるのですか」

「城壁の外に放り出されるか、最悪、火あぶりの刑だろうね」

(火あぶり?!)咄嗟に俺が青ざめる。

「スライムに物理攻撃は無用だが、火には弱い」

「うぅ、そんな……」シリアの瞳が湿り出す。

「さあ、先を急ぐわよ。可哀そうだけど、異形に同情をしている余裕はないから」


 ぴしゃりと言い、リーナは更に足を速めた。彼女を追いかけながら俺は後ろを振り返った。衛兵たちの姿はもはや見えなくなったが、足音はまだ聞こえている。それも、どんどん遠ざかっている。俺は進む方向から外れ、大通りの方に向かった。背後でリーナが呼び止めようとしたが、無視した。


 建物の陰に隠れながら、俺は大通りの先で小さくなっていく衛兵たちを見つめた。人数はそれほど多くない。四人がガラスケースを重そうに担いでいる。彼らを擁護しるように、その前後を一人ずつ歩いている。

 スライムはガラスケースの蓋に触角を突き立て、体を震わせて懸命に押し開けようとしてる。その姿はもう、これ以上見ていられない。


 考える間もなく、俺の足が動いた。


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