2-7

 シリアの喉から発せられているのは、もはや泣き声ではなく、破壊力を伴った波動だ。あまりの大音響に俺はすでに聴覚障害を起こしている。「キーン」という突き刺すような音以外、全てが遠のいて聞こえる。大気が震え、俺の頭蓋骨の裏から体の芯までもがそれに激しく共振している。


 辛うじて起き上がり、耳を両手で力いっぱいに塞いだが、無益な行動だった。暴力的な音波にこれ以上晒されると、体が風船のように弾けてしまうのではないか。幾度となく死の恐怖に晒されてきた俺も、さすがにこれには参った。


「リシア、落ち着いて」

 リーナが宥めようと、辛うじてシリアに歩み寄ろうとするが、あっけなく吹き飛ばされた。

『びぇぇえええええ……男のを見ちゃったよ……もう私、お嫁に行けなくなっちゃったよ……』

「大丈夫だよ、お父さんやお爺さんのは見たことあるでしょ、それだと思って……」

 何とか立ち上がろうともがいているリーナの姿が、少しばかり滑稽に見えた。

『ええええええええん』

「ちょっと、シリア!」


 猫撫で声で一生懸命あやしているリーナ。いつもの鼻高いムカツク面に、困窮を極めた表情が浮かんでいる。どこか悲しそうで、愛おしそうな気配も混ざっている。

 きっとシリアのことが大事なんだなと、俺は些か感心し、そして安心した。少なくともリーナの心はどこまでもどす黒い訳じゃないようだ。


 後で知ったことだが、羽翼種フェザーリンは結婚するまで、家族以外の異性のを決して見てはいけない習わしがあるそうだ。俺は不本意にも、シリアのを奪うようなことをしてしまったのだ。


「そんなことない、ほら、俺がお嫁に貰ってやってもいいぞ」

 ふらつきながら立ち上がり、俺が咄嗟に思いついたアイデアを口にする。もちろん、本気じゃない。一刻も早くこの爆音地獄から逃れたいあまりに、完全に理性が欠如している。


 シリアがピッタリと泣き止み、涙に濡れた瞳で俺を見つめ、何も言わないまま複雑な表情を浮かばせた。


「今、なんだって……」シリアの代わりにリーナが口を開けた。

「いや、その、を見せてしまったからには責任を―」

「バカ!!」


 俺の顔面にリーナの拳が直撃する。彼女は目にも止まらぬ速さで俺の前まで移動し、渾身の一撃を俺に打ちこんだ。残念ながら、バリアはすでに消えている。鼻をへし折られ、体は地面を消しゴムのように転がった。草葉をまき散らしながら、関節と関節がバラバラになりそうだった。

 

 (何でリーナが怒らなければいけないんだよ。奴を娶るなんて言っていないし、ていうか、そんなこと死んでもできない!)


 俺の体はしばらく地面を滑ってからようやく止まった。視界が急に暗くなった。全身の激痛に顔を引きつらせながら、俺は辺りの状況を確認した。


 頭上を飾るのは、柔らかなシルクの布地とむっちりとした太腿、そしてその間に広がる狭い暗黒空間。布地の色はショッキングピンク、リーナでもシリアでもない。だとしたら残りの可能性は一つ。


 俺は思わず息を飲んだ。勢いよく地面を滑っていた俺は、偶然にもナナコ様の足元に頭を突っ込んだ形で止まってしまった。恐怖がヒリヒリと全身を駆け巡る。にもかからわず、俺の眼球は股間に広がる小宇宙を凝視する。


 彼女のパンツの下は、不自然に膨れ上がっていた。その形を俺は良く知っている。そう、俺も同じがついている……


 ナナコ様はさっと俺の上から体をどいた。俺を見下ろすナナコ様の顔は、怒りを通り越して直視し難い様態を呈していた。

 ナナコ様は勢いよく片手を上げた。俺は思わず目を瞑り、身を縮めた。


 何も無かった。ビンダの嵐も、それよりもっと恐ろしい行為も。


 目を開けると、俺は地下訓練所のロビーに戻っていた。長槍を構えた衛兵たちが、隙間一つなく円を作って俺を囲んでいる。


 霹靂のようにナナコ様の声が轟く。

「ハヤカワシュンメイ!!」

「はひぃ」思わず身が竦む。

「なんたる、不快極まりない不遜者よ! 未成年に猥褻物を見せつけた挙句、あたいの秘境に頭を突っ込んで直視するなど、冒涜にも程があるわい!」

「ほ、ほんとうにわざとじゃ―」長槍の矛先に囲まれた俺は、涙と鼻水が顔面を一斉に急降下する。

「皆の者、この者を捕らえて牢屋にぶち込め!」

「はは、ナナコ様」


 図体の大きい衛兵が数人、俺の腕を掴むと無理やり背中に拘束した。それからくねくねともがく俺を軽々と担ぎ上げ、訓練所の外へ運び出た。リーナとシリアはどうすこともできずに、呆然と立ちすくんでいた。

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