2-3
どうすればよいのか分からずに立ちすくんでいると、頭の中でリーナ声がした。
「本当につまらない男ね。もうちょっと考えてみて。就職活動のときも散々自己分析してきたでしょ」
「そう言われても……」
「仮に勉強もサッカーも仕事もしなくていいって言われたら、何をするの」
「俺は……」
薄汚れた罪悪感が俺の中で燻っている。社会からの抱負を無くしたとき、人間の本能が剥き出しになるのだ。
(俺は、エッチがしたい)
まずい。これだけは口が裂けても言えない。俺は唇を結び、ゴクリと唾を飲む。
「それはただの欲求。いい、よ・き・ゆ・う! 好きなことじゃない」
「げぇ、今の分かったの?!」
俺はぎょっと振り向き、そこに居るはずもないリーナの姿を探そうとした。
リーナの重いため息が聞こえた。
「当たり前よ。あなたの考えていることくらいお見通しよ。ねえ、一番幸せだった時はどんなときだった? そのときに何をしていたの」
リーナの言葉を頼りに俺は記憶の中を探った。目の前にふっと、幼いころの光景が浮かび上がった。
期末試験の成績表を握りしめ、誇らしげな俺がいる。両親も祖父母も、有名俳優が登場したかのように拍手と喝采を上げている。背後に兄の恨めしそうな視線を感じる。俺はそれを身に沁み通る快感として噛み締めている。
ついに、あの完璧すぎる兄に勝った。俺はようやく、日の目に出ることができる。同じ腹から生まれ、同じ家庭で過ごしているにもかかわらず、俺はいつも兄の引き立て役だった。兄はいつもうまく俺を踏み台にし、自分を見せびらかしていた。
親の愛情には限りがある。世間では無償の愛と歌われている崇高な感情だが、俺はキレー事だと思っている。鷹が体の大きい雛を選んで育てるのと同じ、人間も優秀な子孫だけに精力をつぎ込むのだ。
これは、生存競争だ。だから俺は絶対に負けない。
ああ、このやり切ったあとの達成感、爽快感、充実感。ありとあらゆる快い感情が混ざり合い、発酵し、秘蔵の美酒の如く薫り際立つ。俺はすっかり自分に酔っている。兄の渋い顔を睨み上げ、人生を謳歌している。
あの時の俺は、どんな表情をしていたのだろうか。鏡があれば覗いてみたいものだ。きっと、世界一にイケている。太陽みたいに燦々と輝いている。
「ん?」
視界の端で瞬く光が、思い出に浸っている俺の意識を呼び戻した。スロットにスキルのアイコンがひとつ浮かび上がっているのではないか。俺は待ちきれずにそれを読み上げる。さっきまで盛り上がっていた情緒が一気にどん底に突き落とされる。
「超絶ドヤ顔ビーム……ナンダコレ……」
「つまりシュンメイ君は優越感が好きなんだね。くくくっ、ふはははは……」
頭蓋骨の中でリーナの爆笑が炸裂する。俺は耳鳴りに襲われる。
「何だよ、ふざけやがって!」
「別に私は何もしてないわ。魔法の定めなの。あなたがしょうもないことが好きだから、変なスキルがついちゃったのよ」
「うぅ……くっそぉ!」
草を蹴散らし、一人で暴れ回っていると、シリアとスライムが起き上がった。
「シュンメイ様にスキルがついたのですか?」
純粋な瞳で俺を見つめるシリアにどう返事していいのか分からない。
スライムの表面からニュルリと触角が伸び出した。それを俺に突き出し、「かかってこい」と言っているかのように、先端をヒョイヒョイと上に振って見せた。
「ええい、こうなったら……」
俺はスライムに向かって意気込みをする。すると、アイコンが光り出し、体が半ば勝手に動き始める。
深く息を吸い、胸を張り、顔を仰げ、俺は意気揚々とスライムの前に立った。蠢く緑色の塊に、ブラックダイヤモンドの瞳から眩いばかりの光が降り注ぐ。俺の口角が僅かに反り上がる。
(さあ、拝めるがいい、この俺の最強ドヤ顔を!)
スライムの触角が鞭の勢いで飛び、俺の顔面に直撃した。顔の穴という穴からドロドロした粘液が侵入する。
「ふぐおおっ」無様な悲鳴を上げる俺。
更に数本の触角が体に絡みつく。俺を完全に拘束したスライムは、いとも簡単に自分の中に引きずり込んだ。
視界の中で、緑色に曇った景色が高速回転を始める。スライムは自分の中で、ドラム式洗濯機のように俺の体を転がしている。
今度こそしょんべんちびっちゃったかもしれない。息もできず、音も聞こえないまま、俺の意識が吹っ飛び始める。覚えているのは全身に纏わりつくひんやりぬめぬめしたスライムの感触と、一生忘れられないであろうスライムの“味”。数種類の危険極まりない化学薬品を石鹸水で煉り合せたような、生命を脅かす不味さ。
ああ、世にあまねく存在する偏食家たちに、是非ともこの味を知ってもらいたい。すぐに何でもおいしく食べられるようになる。この俺が100%保証する。
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