1-5

 俺のナファリム生活は数日間の休養という名の監禁から始まった。


 蘇った後遺症なのか、異世界移転にショックしたのか、俺はしばしば無気力に襲われていた。食欲がないし、何をする気にもなれない、かといってぐっすり眠ることもできない。


 俺はこの世界のことについて何一つ知らない。そのことが甚だ不安だ。俺は今後、どうなるんだろう。あのろくでなし召喚士女に奴隷のように扱われるのか。そもそもなんのために、俺をこの世界に召喚したのか。


 広すぎる部屋の唯一の窓辺で、俺は外を眺めながらぼんやりとしている。巨大な城とは対照的に、街の家々はこじんまりとしていて整然と並んでいる。高くそびえる城壁が街並みに大きな影を落とすした。なんのために立っているんだろうか。襲ってくる外敵でもいるのか。


「トン、トン」と軽いノックの後、鍵を回す音がして扉は外側から開けられた。

 メイド姿の女の子が一人、足音を立てずに入ってきた。淡い金色のパーマの髪に、モノトーンのワンピースとフリルが良く似合う、実に可愛らしい子だ。顔に幼さが残っているので、年は十台半ばなのだろうか。それにしても大人の女性顔負けの、豊な体つきだ。大きく膨らんだ胸元を引き立たせるように細いウェストライン、それからハイソックスによってセクシーさが増幅された、スラリとした形の良い両脚。


 ただし、目を凝らしてみると、俺は思わずギョッとした。


 (いや、あれは人間か?)


 少女の額の両側から、くるりと丸まった角が生えている。大きな耳はフサフサな毛におおわれ、顔の両端で可憐に垂れ下がっている。背中には、飾り物のような小さな羽が突き出ている。西洋絵画に出てくる、赤ちゃん天使のような、いかにも飛べなさそうな羽だ。


「初めまして、シュンメイ様」

 瑞々しい声であいさつし、少女はスカートの裾をちょいと摘み上げ、仰々しいお辞儀をして見せた。何層も重なったレースの裏地がふんわりと揺れた。


「だっ、誰? というか、何?」しどろもどろに俺が訪ねる。

「私、シリアと申します。羽翼種 “フェザーリン”です」

 シリアは自分の首にはめられた首輪を指さした。

「私はシュンメイ様と同じ、リーナ様のアバターです」

「君も召喚されたのか」

 シリアは背中の翼をばたつかせ、嬉しそうに目を輝かせた。

「はい、そうです。リーナ様は大変強くて頼もしい召喚士です。お仕えできてこの上なく光栄です」

(完全に洗脳されている……まるでブラック企業の新人社員じゃないか)


 俺の驚異な眼差しに晒され、シリアはちょこんと頭を傾げた。

「どうされましたか」

「その……」俺は頭を整理した。「リーナは君に何をしたの。そもそも、アバターって何をさせられるの」

「シュンメイ様は、ナファリムが初めてですか」

 俺の質問をそっちのけで、シリアが別の質問で返した。

「そりゃあそうだよ。普通に生活していたら、いきなり誘拐されてきたんだから」

 シリアは糸目になって含み笑いを聞かせた。

「リーナ様らしいですわ。強引に連れてくるなんて、シュンメイ様がお好きのようですね」

「あんなのに好かれたくねーよ! こっちはえっらい迷惑なんだよ!」

「えっ、そうだったんですか……」シリアがふっと悲しそうな表情を見せた。


 リーナと違って彼女はまともま感情の持ち主のようだ。俺の心に一筋の光が指す。

「なあ、シリア。君は家族がいるのか」

「はい、高齢な祖父母と、妹が一人います」

「俺も、家族がいる。構成は君とちょっと違うが、年老いた両親と、弟が一人。両親は病に伏し、弟は障害持ちで仕事に就けない」

 俺はうそをついてる。なるべく悲惨に聞こえるように。

「ああ、なんてかわいそうに」

 俺の思惑通りに、シリアの瞳が潤う。俺はすかさずに話を続ける。

「俺は帰らなければならないんだ。人間界に。じゃないと、俺の家族全員が路頭に迷うことになるんだ」

 俺は彼女の瞳をまっすぐ見つめ、ゆっくりだがはっきりと言い聞かせる。俺に念を押されて拒む女などいない、そう信じながら。

「あら大変、どうしよう……」

 すっかり俺に同情したシリア、泣きべそをかきそうになっている。

(よし、チャンスだ)

 俺は宥めるように言う。

「何か、元の世界に戻れる方法、知らないか」

 シリアの表情に難儀な色が浮かぶ。俺はシリアに歩み寄り、ライトブラウンの瞳を覗き込みながら確かな口調で続けた。

「本当に、知らないのか。君だって、この世界に召喚されて、家族とバラバラになっているんだろう。帰りたいとは思ったことないか」

「ううん」シリアが至って真面目に被りを振る。「私の家族はいま私と一緒に、ここに住んでいます。リーナ様にお願いしたら、一緒に召喚してもらったんです。シュンメイ様もお願いすれば、きっと同じように―」

「いや、それはやめておこう」俺は苦笑した。


 家族のことを思うと、俺の心にふっと一筋の寂しさが過る。


 父は今頃愛人ナースと病院のプライベートルームでチョメチョメしているだろう。母も社交ダンス教室の若い男先生とイチャイチャしているだろう。俺には兄がいるが、俺以上に完璧な奴で、父の跡継ぎが決まっているし、すでに家庭持ちだ。誰も、俺が異世界に閉じ込められたからといって助けに来ないだろ。

 俺の家族はそんなもんだ。世間体という張りぼてに囲まれて、“他人に迷惑を掛けない”という建前で自己中心に生きている。仮に皆をナファリムに召喚したところで、俺と苦難を共にするどころか、真っ先に殺しかかってきそうな気がする。


 俺は長い、長ーい溜息をついた。こりゃ無理だなあ。

 




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