第3話 こおろぎヘッド

 この界隈は、若者向けのしゃれたブティックや喫茶店が増えていくにつれ、劇的に治安が改善されていった。

 今では、犯罪行為といってもホコリまみれの自家用車のボンネットに指で「そうじしろ」と落書きされるくらいだ。

 そんなワレカラ商店会に、まさか焼き討ち事件が起きるとは、いったい誰が想像できただろう。

 

 その昆虫ショップは通りから少し離れた場所にあり、戦後まもなくから開業したため店構えも古く、もとより客足などほとんどなかった。

「この立地じゃあ、虫だけでは儲からないでしょう」

 グルメ雑誌の見習いライターであるロイ子は、生まれ育ったこの商店街をなんとかして盛り上げたがっていた。

「名物グッズとか売ってみる?」

 怪訝そうな顔をする店主は、どことなく黒コオロギに似ていた。

「たとえば、奈良の鹿のふん……って知ってます?」

「鹿せんべいじゃなくってか?」

「いえ、鹿のふんです。お菓子の名前です」

 ピーナッツ菓子の一種で、黒色・褐色の見た目が、まんま奈良公園に散らばる鹿のフンに見える。

「ああ、そういえば子どもが修学旅行で買ってきたな。俺は食わなかったが、いやはや、すごい商品だ」

「それとは別に、ゴリラの鼻くそというお菓子もあるんです」

「なんだって?」

「上野動物園の売店で初めて知ったんですけど、島根の会社が作ってるらしいですね」

「島根かあ。こういっちゃ何だが、へんぴなイメージがある」


 しばらく沈黙して考えにふけっていた彼は、おもむろに顔をあげた。

「そうか、そうだな。ああ、できるともさ」

「なにかアイデアが?」

「ああ、うちは虫屋だ。その線でいろいろできるさ」

「なんでしたら、包装までまるごと引き受けてくれそうな製菓会社を紹介しますけど」

「いや、商店街の知り合いに頼むさ。凝ったもんじゃなければ、そんな難しいことじゃない」

「原材料は……そんなに量も出ないから大丈夫でしょうか」

「ああ、任せておけ。俺なりのルートがあるんだ。バカ売れしたって、すぐに増産するアテはある」

 どういう皮算用をしたのか、店主の顔はすでに欲まみれの亡者といった感じで、ありもしない電卓を空中でパチパチとはじきはじめたのがわかった。

「ぐふ、ぐふふ」

 背中に毛虫が這うような違和感を覚えて、ロイ子は適当にあいさつをして、その日はそそくさと店を退いた。

 それほど彼の雰囲気は異様だったのだ。


 そのあとは、ぽつぽつと進捗状況がケータイにメールで届いた。

 週明けには保健所にも相談し、店内で調理をしなければ販売そのものは委細問題なしとのお墨付きももらったという。

 詳しい説明はなかったが、どうやら黒糖アメのような商品らしい。


 最初の朗報が届いたのは、一週間前のことだった。

「すごい売れてる」

「テレビ局が取材に来た」

「ついったで話題になってる」

 来客が大人……とりわけ恐いもの見たさの若いカップルばかりで、肝心の昆虫はほとんど売れなかったようだが、お土産の菓子のほうは、当日用意した五百袋が完売したという。

「五百も用意したんだ。すごいなあ」

 なかなか遣り手だったのだとロイ子は感心した。


 しかし、一躍話題になったそのショップが放火されたのは、つい昨日のことだった。

 示し合わせるまでもなく集まった男女が、恨み骨髄の形相で手に手にガソリンや灯油、バーベキュー用の燃料を持ち寄り、次々と窓ガラスを割って店内に火を放ったのだという。


 ロイ子が詳細を知ったのは夕刊を読んでからだ。

 記事によれば、店主はほとんど説明なしに、本物のコオロギの頭に水飴をかぶせて販売していたらしい。

「そりゃ怒りますわ」

 ロイ子は消防署の知り合いにも聞いてみたのだが、店舗内から発見された彼の遺体は、昆虫のように手足を縮こまらせていたという。

 そして全身が炭化して、その姿はまるでコオロギのように真っ黒だったとも。

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食物語(タベモノガタリ) モン・サン=ミシェル三太夫 @sandy

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