第2話 はあとチャーハン

 広告はちょっぴり、チョウチン記事は満載っていう、いかにもヤラセくさい地域グルメ雑誌「グルメルヒェン」は、季刊ながら今夏で三冊目の発行が決まっていた。

「しかし副編集長の理不尽かつ奇妙キテレツにして不可解なダメ出しに、あたしはハラワタが煮えくりかえって、この腹熱を冷ますためにも極上の料理を一刻も早く胃袋に放り込んでおきたいってわけ」

 文章の呼応を大切にする阿仁崎(あにさき)は、ついつい頭に浮かんだ言葉を口で確認してしまう。

 一般的なランチタイムはとっくに過ぎていて、あたりの店にはまとめて「準備中」とか「まごころ込めて支度中」の札が並んでいる。

「ってなると、ここしか開いてないのかしら」

 一度も入ったことのない古びた中華料理屋の前に、彼女は立っていた。

「……クッ。いつか戦うとは思っていたけど、ついにこの日が来たのね!」

 これはかなり危険な賭で、分の悪さと言ったら目も当てられない。

 なにしろショーケース内の食品サンプルはすっかりホコリをかぶって変色し、室外機の湿った熱風は戸口の客にデリカシーなく吹きつけている。

 ハズレを引くのは明々白々だ。

「グルメライターの端くれとしちゃあ、超能力なしに店の中が容易に想像できるわ」


 昔ながらの店といえば聞こえはいいが、まさにスープは昔から、それこそ三日くらい前から使いまわされ、風味などとっくに逃げ出した薄茶色の酸っぱい液体に変化しているだろう。

 べちゃべちゃした高粘着質のチャーハンは、歯の弱った年寄りが喜ぶどころかノドに詰まらせて窒息死しかねない。

 人肌にぬくめられた水道水は、猛烈な塩素臭とサビ臭さを発散し、湿気に誘われた小バエが我が物顔で店内を飛びまわる。

 首が痛くなるような高さに置かれたテレビは、どの席からも見えそうで見えない絶妙な配置であるはずだ。

 ようやくベストな視聴ポジションを発掘したかと思ったら、店員がポチポチせわしなくチャンネルを変えまくって走馬燈のごとし。

 とぎれとぎれに厨房からは演歌が聞こえて、しかし時代が昭和初期から平成までと実に統一性がない。

 ぐしゃくしゃに畳まれた読み古しの新聞紙は、油でべとべと。

 食べかすがつまって膨らんでいるマンガ雑誌は、数週間前のものばかりだ。

 愛想というものを海の向こうに忘れてきた若い女性店員は、日本語が通じない。

 そういった忌避したい禍々しいものすべてが、可能性として彼女の前に寝そべっていた。


「グググウウ」

 先ほどの怒りを思い出したのか、彼女の胃袋が武者振いをした。

「ああ、腹を決めるかどうかは、腹が決めるってわけね」

 我が身にうながされた彼女は、引き戸に手をかけ、渾身の力で横へすべらせた。

「ゴガッゴゴココゴ」

 固すぎて上下に暴れまくったが、なんとか人が入れるくらいのスキマはこじ開けられた。

 そのわずかな空間から、いきなり猫が飛び出し一瞬たじろぐ。

「気を取り直して」

 小口に指を引っかけて、さらにスキマを広げる。それが限界だったようで、彼女はさきほどの猫にならって、服をこするように中にもぐりこんだ。


 冷たく、しかし湿った空気が顔にまとわりつく。

 くもった古ガラスからは見えなかったのだが、薄暗い店内にはわりと多くの先客がいた。

「へい、らっシャぁぁぁあぁぁいッ!」

 伝票の束をもったオヤジが、明らかにフロア面積を勘違いした大音声(だいおんじょう)をあげた。

 しかし声だけだ。彼はテレビを見つめたまま、戸口に顔を向けることすらしなかった。

「なんと、ふてぶてしい」

 このイビツな貫禄は、店長に違いないと彼女は確信した。


 それだけで座敷に上がるのも億劫になり、彼女はがら空きのカウンターにどっかりと座ると、つまようじの残った灰皿を脇にどけて、パウチされている脂で薄汚れたランチメニューを手にとった。

 あらゆるものが気だるく感じる空間だった。


「はい」

 たたき付けるように、氷ひとつない水がもたらされた。

 店長が早くしろといわんばかりに、伝票を片手にしたまま脇に立っていた。

 彼女は傷だらけの樹脂製のコップから目を離さず、

「チャーハン!」

 イラ立ちを隠さず、不作法に注文した。

「チャあハン! いっちにんまえー」

 オヤジは厨房に向かって奇妙な節をつけて叫ぶと、すたすたサンダルを鳴らして、どの客よりもテレビがよく見える自分の定位置に戻っていった。

「おいおい、その伝票、なんで持ってたんだよ。使ってねーじゃん」


 できあがりまでにずいぶん待たされそうなので、肩こりをほぐすふりをして店内にそれとなく首を巡らせた。

 他の客は誰もが示しあわせたように、ラーメンと半チャーハンと、さらにギョーザのセットを受け取っている。

「こんなピークを過ぎた時間帯は、厨房も人が少ないのにね。よくもまあ、面倒な注文ばっか大量にこなすわ」

 彼女が社会人生活で習得したのは、「腹を立てるよりも、同情した方がストレスにならない」という考え方だった。

 自分が聖者になったつもりで、厨房の人々に気持ちを寄せる。さあ、どんなにマズいメシがきても許せるぞ。


「仕事も同じなんだよなー。理屈の通らない難クセつけてきた副編も、とらえようによっては時流の読めない可愛そうな年寄りなのよ」

 そう納得することで、かすかに胃にわだかまっていた溜飲をようやく下げることができた。

 よし、食欲がわいてきたぞ。

「お待ち」

 タイミングよく正面に置かれたチャーハンを見て、彼女は目を見張った。

「これは……」

 ハート型に盛られた黄色いごはんだった。


 なんと慈愛に満ちた盛りつけであろうか。

「イヤ待て、厨房のむさ苦しいオッサンが、セクハラ目的でやったとしたら、そのまま食うのはよろしくない」

 再び周辺の客の手元を見渡すと、どうやら誰もがハート型のチャーハンをあてがわれている。

「食うか」

 疑いを挟んだ自分を少し恥じ、ちょっぴり冷めかけた食事にとりかかる。

「まずくはないな」

 少々べたついてはいたが、おおむね許容範囲である。腹も減っていたし。

 なによりこのチャーハンを作ったのが誰なのか大いに興味が湧いて、味などどうでもよくなっていた。


 会計をすませて外へ出ると、彼女はさっそく炒め音のする裏通りに入ってみた。

 勝手口が半分開いている。

 中華鍋をカタコトゆらす音が聞こえる。

「幼女?」

 そこで働いていたのは、小学生の女の子だった。

 アニメキャラのプリントされたエプロンをして、小ぶりな中華鍋を一所懸命に両手でふるって、タイマーがなると火を止める。

 手が小さいので、使うおたまも子ども用だった。

「だから、山が二つになったのか!」

 ふつうの料理人は、おたま一つで一人前のチャーハンを全てすくいうけ、それを皿にポンと乗せる。きれいな丸い山が一つできる。

 彼女はそれができず山が二つになって、さらに取り残しを手前に盛るせいで、しぜんにハート型になっていたのだ。


「あんな小さい子が必死に調理しているから、うまかったのか」

 彼女はさっそく会社にもどると、今日みたことを感動的な筆致で描写した。

 そのチャーハンのすばらしさを褒めちぎり、その文章の熱さに副編集長も目を見張ったのだった。

「なんだ、書けるじゃないか。ストーリー性もあるし、読み手の心を打つ」


 そしてこの雑誌が書店にならんだ数日後、年少者に過酷な労働を強いていたとか不衛生だとかの告発が相次ぎ、店主が警察に呼び出された。

 それがきっかけとなり、保健所の指導もあって、その店は「あれよあれよ」という間につぶれてしまったのであった。

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