第265話 歩く

 サイツが攻めてきたと報告があった後、緊急で軍議が開かれた。


 私は軍議に参加したかったのだが、体を治すことを優先するようにと言われ、ベッドで寝ていた。


 正直、歯痒い気持ちだったが、有能な家臣たちのことだ。きっと最善の戦略を見つけ出すことだろう。


 しばらくすると、リシア、リーツ、ロセルが寝室に入ってきた。


「アルス、先ほど軍議は終わりましたわ」

「そうか、ご苦労だった。本来なら私も参加するべきだったが、すまなかった」

「いえ、大丈夫ですわ」

「それで、どういう状況なんだ? サイツはどれくらいの軍勢で攻めてきている?」

「えーと、それなんだけど……」


 リシアの代わりにロセルが現状の説明を行った。


 サイツは、精鋭部隊に先陣を切らせており、クメール砦を素早く陥落させるつもりで、さらにカナレに私が死んだという噂を流し、動揺を誘ってきているようだ。


 その計略はうまくいっているようで、すでに私の死を信じている領民も多いらしい。


 なるほど、確かに領主が死んだとなれば、民は動揺するし、兵士の士気も落ちるだろう。

 噂は嘘だと言うだけでは、払拭しきれない可能性も高い。一度信じたことを変えるのは、言葉だけでは難しい。

 私が実際に姿を見せるというのが、一番効果的なはずだ。


「体調的にはどうでしょうか? 外を歩くことはできますか? もちろん難しいようなら、安静になさってください。アルスの身が一番大事ですので」

「うーん……」


 リシアに尋ねられて、少し考える。

 出来なくはない……と思う。体調は確かに良くないが、一番酷かった時に比べれば、かなり楽である。


 ただ、最近あまり歩いていないので、運動したらどういう感じになるのかは疑問だ。

 歩いている最中に倒れでもしたら、噂を払拭するどころか、正しいと証明してしまうことになりかねない。


「決して無理はなさらないでください」


 リシアが心配そうな表情で言ってきた。


「いざという時は、この身を賭してでも敵を殲滅するつもりですので、アルス様はご無理をなさらなくても大丈夫です」


 そう言ったのはリーツだった。

 彼なら本気で自分を犠牲にしてまで、敵を倒しに行きかねない。


 ここでずっと寝ているのは、流石に領主として気が咎める。

 元々は自分が鑑定能力を過信したせいで、毒を受けてしまったのだ。そのせいで戦になり、大勢の兵士を死地に追いやってしまうのは、領主として失格である。


「私なら大丈夫だ。町を歩こう」


 結論を出した。



 その日、私は急いで準備を終わらせて、町の中を歩いた。


 遅ければ遅いほど、噂は広がるし、私の毒も進行していくので、時間を遅らせることにメリットなど一つもない。

 やると決めたらすぐにやるべきだと思い、実行に移した。


 私の隣には妻であるリシアがいる。

 仲良くデートと言う感じで歩く。

 もちろん、護衛の兵士も数人付いている。

 ブラッハムとザットたち、リクヤ、タカオなど腕に覚えのある者たちだ。


 一般人に紛れてベンも近くにいるはずだが、何処にいるかは分からない。


 サイツの刺客が町中に潜んでいる可能性もあるので、警備に気を抜くことは出来なかった。


 正直、体はきつかった。

 毒の苦しみもあるが、最近はずっと寝ていて、体力が著しく低下していたと言うのも大きい。


 それでも領民たちに悟られないよう、何とかいつも通りに歩く。


 私たちの姿を見ると、領民たちはざわついていた。


「あれ? アルス様だ!」「亡くなったんじゃなかったのか?」「なんだデマだったのかよ!」


 驚く者や、怒りを露わにする者など、反応はさまざまだ。


 広場に行くと、人が結構集まっていた。


 話を聞きつけてきたのだろう。


 予定とはちょっと違うが、一旦ここで領民に向かって話をした方がいいかもしれない。


 私は何とか体力を振り絞って、大声を出した。


「何やら私が死んだと噂が流れていたようだが、見ての通り嘘である! 足を怪我してしまったせいで、まともに歩けず街に行けなかったが、死ぬような怪我ではない!」


 言い終わるとどっと疲れたが、外に出ていなかった理由も説明したし、この話が広まれば、私が死んだというデマ認定されて、消えてなくなるはずだ。


 その後、すぐには帰らずに街中を歩き回って、姿を見せ、2時間ほど歩き続けて城に戻った。


 城の中に入った瞬間、気を抜いて私は倒れそうになり、ふらついた。何とか足を踏ん張って耐える。


「ア、アルス! 大丈夫ですか?」


 リシアが支えてくれた。



「大丈夫……ではないな……正直、体力の限界だ。でも、これで噂はなくなるよな」

「はい、ありがとうございます。よく頑張ってくれました。早く寝室へ行きましょう」


 私はリシアに支えられながら、何とか寝室へと戻り、ベッドに入って休息を取った。



 ○



 プルレード砦。


 ボロッツは、部下から報告を受けていた。

 現在のカナレについての報告だ。


「アルス・ローベントが、街中を歩き、死んだという噂は消え去りました。どうやら、アルス・ローベントは生きている上に、解毒も成功している様子です」

「本当に本人だったのか?」

「声も聞きましたし……妻のリシア、また有力な家臣たちの姿も確認できたので、本人で間違い無いかと」

「……ゼツめ、解毒はできぬと……嘘ではないか」


 声は冷静だったが、その表情は怒りに満ちていた。部下はその表情を見て、気圧される。


「それから、ローベント家から書状が送られてれてきました」

「書状?」

「はい、こちらです」


 送られてきた書状をボロッツは見る。


 アルスは健在であるということ、それから戦は行うのはお互いのためではないので、停戦すべきという提案、最後に兵を引いても追撃はしないと約束する、ということが書かれていた。


(……こんな書状を送ってくるということは、ゼツを雇ったのは私だということと、今回の戦略について全て理解はされているということだろうな。戦をするつもりはないというのは、本当のことだろう。兵を引かせるべきか……)


 ボロッツは考える。

 今、兵を引かせても、大きなデメリットはない。

 計略が失敗したのにも関わらず、戦を仕掛けたら、大敗するリスクはあるので、ここは停戦の話に乗るのが無難だった。


 アルス暗殺という目的は果たせなかったが、二度目の大敗を喫するよりは、だいぶマシだった。


(いや……そもそも暗殺が失敗したと考えるのは早計か? 一時的に症状を緩和させただけで、解毒事体には成功していないかもしれない。ゼツのあの自信から、そう簡単に解毒ができない毒を使ったのは明らかである)


 怒りを鎮め、冷静にボロッツは思考を巡らせる。


「返答の書状を書く。書き終わったら、ローベント家に届けてくれ」

「かしこまりました」


 ボロッツはそう言って、筆と羊皮紙を取り出し、ローベント家に向けた書状を書き始めた。

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