第262話 光明

 ――生きる。


 ――必ず生き残ってやる。


 私は強く願いを込めて、自分の肉体に戻ろうとした。

 中々前に進めない。

 しかし、徐々にだが肉体への距離は近づいていく。


「ぐうううぅ……!!」


 進むたび苦痛を感じた。

 先ほど父にゲンコツを食らった時に分かったが、魂だけの状態でも痛みは感じるようだった。


 ――これ以上進みたくない。


 ――楽になりたい。


 後ろ向きな気持ちが自然と心の奥底から湧き上がってくる。


 その気持ちを強引にでも、沈め込んだ。


 家臣たちの顔、クライツとレンの顔、そして妻のリシアの顔を思い浮かべた。


 このまま死んでも問題ないなんて、馬鹿なことを考えてしまったものだ。


 ――このままでは死ねない。死ぬわけにはいかない。


 ――――生き残る、生き残ってみせる!!


 一切の雑念を排除して、生きるという事だけを念じ続けた。


 襲い掛かる強烈な苦痛に、必死の思いで耐え続ける。


 ゆっくりだが、着実に自分の肉体に近付いているのが分かった。


 ――――――生きる、生きる、生きる、生きる、生きる!!


 無我夢中念じ続けた。

 そして、肉体に手が届く。


 触った瞬間、真っ白い光が視界いっぱいに広がった。

 先程までの苦痛が綺麗さっぱり消え去る。


 直後、自分の肉体に魂が引っ張られているような感覚がした。魂が肉体に戻っているのだろう。

 もちろん抵抗はしない。


 つま先から順に、魂が入り込んでいるようだった。

 腰、腹、胸と、徐々に魂が肉体に入り込んでいく。


 最後に頭に魂が戻った。

 完全に魂を肉体に戻すことに成功した。


 手をグーパーさせ、目を開ける。

 体が動くことを確認する。

 私は上半身を起こしてみた。


 魂が戻ったとはいえ、毒は消えていない。

 正直、かなり体はきつかった。この苦痛に耐えかねて、私の魂は肉体から逃げ出したのだと思い出した。

 ただ、魂を肉体に戻すときの苦痛は、今感じている苦痛より一段階強い物だったので、逃げ出したくなるほどの苦痛は感じなかった。


 ――父上、ありがとうございます。無事、戻ることができました。


 私は天井の隅を見つめて、そう心の中で呟いた。


 視線を下ろすと、ミレーユがぽかん、としたような表情でこちらを見ていた。


 本気で驚いたような表情だった。

 あまりこういう顔は見せないので、新鮮だった。


「おはよう」

「……お、おはよう」


 私が挨拶をすると、ぎこちない様子でミレーユは挨拶を返してきた。


「一つ言っておくが」

「な、何だい?」

「私は死なないぞ」

「もしかして、さっきまで独り言聞いてたのかい?」


 驚いたような表情を浮かべて、ミレーユは聞いてきたので、私は頷いた。


「いや〜、さっきまでほんと死にそうな顔してたからね。でも、今は目に力はあるね。顔色は悪いけど」


 ミレーユはニヤリと笑みを浮かべ、


「やっぱりアンタは面白い男だね」


 そう言った。



 ○



 意識を取り戻した後、空腹は感じていなかったが、何とか気合いで食事を取った。医者が作ってくれた薬を飲むと、体の苦痛が少しだけ楽になった。


 下手したら昨日のうちに死んでいたかもしれないので、何とか寿命を延ばせた。

 もちろん、このまま解毒法が見つからなければ、死ぬしかない。

 毒に侵された状態では、まともに動くことはできないので、家臣たちが何とかしてくれるのを信じて待つことしかできない。

 それでも、何とかしてくれるだろうという、確信みたいなものがあった。


「アルス!!」


 部屋にリシアが飛び込んできた。

 そして、私に抱きついてきた。


 強い力で抱きしめられ、痛いくらいだった。


 リシアの体は小刻みに震えて、目から涙が溢れていた。


「アルス……死なないで……死なないでください……わたくしを置いていかないで……」


 リシアの声は震えていた。

 物凄く心配をかけてしまったようだ。


 リシアは強かな女性だと思っていたが、まだ10代の少女なのだ。

 年相応の弱さも持っているだろう。


「大丈夫。私は死なない」

「……本当ですか?」

「ああ。まあ、私は何もできないが、家臣たちが何とかしてくれる。皆、優秀な家臣たちだからな」

「……」


 私がそう言うと、リシアの震えが少しずつ治まってきた。


「そうですわね……アルスの力で見つけてきた家臣の皆様ですもの。信じないといけませんわ」


 不安そうな声色ではあったが、気休めにはなったようだ。気づけばリシアの震えは止まっていた。


「相変わらず、ラブラブだねぇ」


 とまだ部屋の中にいたミレーユが、ボソッと呟いた。


「ミ、ミレーユさん!? なぜここに!?」

「何でって、看病してたんだよ」

「う、嘘ですわ。看病なんてする方ではないでしょう」

「いや、ほんとだよ。なあ坊や」

「ああ」


 私は頷いた。

 ミレーユの言葉に嘘はなかった。

 あの後、帰らずにミレーユは私の看病を手伝ってくれていた。

 かなり意外な行動だった。ただの気まぐれなのか、意外と優しいところがあるのか、どっちだろうか。


「いま坊やに死なれたら、アタシも困るからね。看病くらいはしてあげるさ。医療の知識はないから、解毒剤の作製とかは手伝ってあげられないけどね」


 打算的な考えもあるようだった。

 まあ、その方が理由がわかって安心できる。ミレーユみたいな女に、理由もわからず親切にされると、あとで何をされるか分からなくて怖いからな。


「そうですか。何か妙な真似を考えてはいないですわね?」

「妙な真似って何だよ~。疑り深いな」

「普段の行いから当然ですわ」


 リシアは厳しい口調で言った。

 ミレーユに関しては、少し敵意を持っているようだった。


「こんにちは~」


 と元気な声をあげながら、部屋に誰かが入ってきた。入ってきたのはヴァージだった。

 大きなリュックを背負っている。

 何を持ってきたのだろうか。


「あ、ミレーユ様とリシア様、今日もお美しいですね~。と、アルス様、ちょっと顔色良くなりましたか? このまま毒なんて吹き飛ばして、元気になりましょう!」


 相変わらず調子よくしゃべる男だった。

 普段は若干うるさく感じる時もあるが、病気で精神的に辛さがあるときは、元気づけられる。


「はいはい。で、君は何でここに来たんだい?」


 目に見えたヴァージのお世辞をミレーユは受け流して、そう質問した。


「あ、そうですね。リーツ様に仕事を預かっており、こなしてきたのですが、そのリーツ様が倒れてしまっており、誰に報告しようかと迷っておりまして。アルス様の部屋にミレーユ様がいると聞き、報告しに来た次第です」

「アタシに?」

「はい。リーツ様も動けず、アルス様も病気に伏せているとなると、一番頼りになるのは、ミレーユ様で間違いありませんからね。アルス様の部屋に行くのは、騒がしくして失礼になると思ったのですが、なるべく早く報告した方が良いと思い、足を運びました」

「……ほう。中々見どころのある男だねアンタは」


 まんざらでもなさそうな表情をミレーユは浮かべていた。

 案外チョロいのかこの女は。


「それで、リーツからどんな仕事を預かっていたんだい? そのリュックに良い物が入ってんのか?」

「えーと、リーツ様から解毒薬や、毒について情報が書かれている書物などを、大量に仕入れて来いと命令されまして、気になる本とか、効き目がありそうな薬とかを持ってきました」


 とリュックから色々な物を出していく。


「これがあらゆる毒に効くという伝説の万能薬……そして、これが、毒に対する抵抗力を上げる薬で……これが……何だっけこれ……えーと、毒に対する苦痛をゼロにする薬だ」


 次々に薬を取り出していくヴァージ。

 何だか胡散臭い。騙されているのではないかと思った。

 というか、最後の薬に関しては、解毒薬じゃない。安楽死の薬じゃないか。


「薬に関して色々試してるから、今更効くかねぇ」


 ミレーユも怪しむような目つきで薬を見る。


「そうですわね……下手に試して悪化させるとまずいですし」


 リシアもあまり乗り気ではなさそうだ。


「う……ま、まあそうですよね……使うなら誰かが毒見するしかないかも……あ、そうだ! あとこれですね。結構高かったのですが、役に立つかもと思って持ってきました」


 ヴァージはリュックからまた何かを取り出した。

 少しだけ光っている、紫色の液体だった。

 とても薬には見えない。逆に毒に見える。


「それは何だい? 薬なのか?」

「これは毒の魔力水です! これを使って毒魔法が使えるんですよ。もしかして、アルス様の毒は毒魔法の可能性があるかもと思って、買ってみました。毒の魔力石はキャンシープ州でしか採れないらしく、ミーシアン州内では貴重な品で、市場には滅多に出回らないらしいのですが、少量ですが運良く売ってたので買う事が出来ました」


 毒魔法か。


 最初ナターシャは、ステータスを誤魔化していた時の魔法兵適性はCだったが、偽装が解けて本来のステータスが出た時、奴の魔法兵適性はAだった。

 魔法兵適性Aは滅多に見かけない。

 Bあれば魔法兵になることが可能なレベルだ。

 Aはめちゃくちゃ魔法のセンスがあるということである。

 Sはシャーロットしか今まで見たことがない。そこまで行くと、サマフォース帝国内でも、両手で数えられるくらいしかいないかもしれないな。


 とにかく魔法兵適性Aということは、魔法の扱いはかなり上手である可能性が高い。

 毒魔法を操る事も出来るだろう。


「ヴァージ。ちょっと、毒魔法についての勉強が足りないみたいだね」


 ミレーユが諭すような口調でそう言った。


「確かに毒魔法で毒を生成することができる。だけど人を毒殺するような強力な毒は作れない。毒の効果が切れるまで、動きを止めたり、毒にかかった人間の体調を崩して、能力を一時的に下げたりみたいな毒は作れる。相手の行動を妨害すると戦では有利になるから、戦には使われることがあるけど、暗殺とかに使われることはあまりないね」


 そうだったのか。

 あまり詳しく調べたことはなかったので、知らなかった。ミーシアンの戦で、使われるケースも少ないし。


 話に聞く限りでは、デバフをかける魔法みたいだな。毒殺はできなくても、弱くはないだろう。


「なるほど……い、いやでも、リーツさんに見つけたら一応買って来いって頼まれてましたけど……」


 ヴァージは言い訳をする。


「リーツが……? 妙だね。魔法についてはあいつも詳しいとは思うけど……」


 少し考えるミレーユ。


「あの……素人的な意見ではあるのですが、周知されていない人を殺めることのできる毒魔法があって、それを暗殺者さんが知っていて使ったという可能性はありませんか?」


 リシアがそう尋ねた。


 ミレーユはすぐに返答せず考える。


「……魔法については結構アタシも知っているんだけど、世間に周知されてない魔法ってのは存在してもおかしくはない。それを使うには、通常の触媒機以外に、特殊な触媒機を使う必要がある。通常の触媒機では、周知されてる魔法しか使えないからね」

「なるほど……あり得ないわけではないんですね」

「ただ、毒の魔力水ってのは、総量があんまり多くなくて、開発はし辛いはずなんだよね。ただでさえ新魔法の開発は難しいからね。可能性はそんなに高くはなさそうだけど……リーツとしてはどんな小さな可能性でも試してみるべきって思ってたのかな?」


 ミレーユの話では、毒魔法である可能性は低いようだが、ただゼロではなさそうだった。

 ナターシャは兵器適性もAだったはず。

 自分で作ったという可能性も十分にあり得た。


 毒に詳しいであろうファムも、どんな毒が使われていたのか、全く分からなかったようだし、誰も知らない毒魔法が使われたという可能性は意外とあるかもと私は思った。


「もし、毒魔法が使われていたとしたら、どうやって解毒すればいいんだ?」

「毒魔法の中には、解毒をする魔法がある。まあ、解毒と言っても毒魔法の毒を解毒するって効果だけど。普通の毒には効果なし。仮に坊やの毒が、毒魔法によるものだとしても、効果あるとは断言はできないね。解毒するには解毒する用の特別な触媒機を作成しないといけないかもしれない」


 流石に解毒用の触媒機を今から作れとなると、詰みである。

 いくらなんでも、そんな長い期間、私の体が持つとは思えない。


「とりあえず、普通の触媒機を使って解毒が通じるか、試してみませんか? もしかしたら効くかもしれません!」


 リシアがそう提案した。


 確かに一応試してはみるべきである。


「確かに、物は試しだね。解毒の効果は魔法を使う実力が高い人ほど上がるから……シャーロットちゃんが使うべきだと思うよ」

「呼んできます!!」


 ヴァージがそう言って、シャーロットを呼びに部屋を飛び出していった。

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