第261話 邂逅
私、アルス・ローベントは、自室の天井の辺りをふわふわと浮遊していた。
……どういう状況?
と思うかもしれないが、そう説明するしかない。
毒に侵され、夢か
恐らくだが、霊体だけが体から離脱しているのだと思う。
幸いなことに、この状態だと一切苦痛を感じないので、かなり楽である。
……いや、幸いなことではないか。こんな状況になっているということは、今私は死にかけているということである。
というか、こうなった時点で、魂は体に戻れず、死ぬのが確定しているのかもしれない。
一応、今のところ医者が私の死を宣告したりはしていないようだ。体は生命機能を維持しているようだが、それもいつ止まるかは不明である。
見下ろすと自分の体が見える。
見るからにやつれている。顔色は蒼白だ。今にも死にそうな病人のような顔をしていた。体に魂が入っていないとでもいうか……現に入っていないのか。
さっきまでリシアが私の側で看病していたようだが、今はいない。どうやらずっと私を看病していたので、体調を崩してしまったようだ。
自分のためにリシアが体調を崩してしまったのは、非常に申し訳ない。
リシアの代わりに、医者のマイクが看病をしている。
幽体である私は、自分の体から離れることができないようで、この場所から動くことができない。
あと、高度も下げられない。
天井付近にふわふわ浮くことしかできず、床の辺りに行くことはできないようだ。
しかし、私はどうなってしまうのだろうか?
正直、自分の体を見ると、そう長くはなさそうに見える。というか、このまま意識を失った状態で体が持つわけはない。
意識がないのだから食事が取れないし、点滴とかもこの世界にはない。食事を取れば、多少は寿命を延ばせるかもしれないが、食べなければすぐに死んでもおかしくない。
とは言え、体に戻る方法は分からない。まあ、戻って食事を取ったところで、毒が消えるわけではない。苦しむ時間が長くなるだけであまり意味のないことである。
私は一度死んでいる。
唐突な死で、気付いたら転生していたので実感はあまりないが、間違いなく日本で生まれ育った私は、あの時死んだのだ。
この世界での人生は、本来はなかったものだ。
そう考えると、死についても仕方ないと受け入れることができた。
弟のクライツはまだ幼いので、いきなりローベント家を率いるとかは無理だろうが、家臣たちは有能だし、私がいなくなってもローベント家は大丈夫だろう。
リシアを残していくのは、非常に申し訳ない。かなり悲しんでいた様子だし。
でも、彼女ならきっと乗り越えるはずだ。
もう二度と会えないと思うと、非常に悲しい気持ちになる。
涙がツーと、頬から流れてきた。
涙は地面に落ちる前に、光の粉となって霧散した。
今の私でも泣くことは出来るようだった。
「……アルス」
背後から突然、名前を呼ばれた。
聞き覚えのある、懐かしい男の声だった。
驚いて私は振り返る。
「……!?」
金髪の髪、鋭い目つき、体格が非常に良く、見るからに強そうな見た目の男。
私の父である、レイヴン・ローベントの姿がそこにあった。
「父上!?」
流石に驚いた。
私の知っている父の姿より、少しだけ若い。だけど、見間違えるわけがない。間違いなく父だった。
「アルス……! 私が見えるのか?」
父は驚いた様子で、そう尋ねてきた。
私は頷いた。
「そうか……お主の魂が肉体から出てからも、ずっと近くにはいたのだ。見えていないようだったが、見えるようになったのか」
「そ、そうだったんですか?」
どうやら、父はずっと近くにいたようだが、今まで全く見えていなかった。
父は数年前に亡くなっている。
というのは、目の前にいるのは霊である。
私も死が近づいたので、見えるようになったのではないかと予想した。
「アルスよ。大きくなったな」
少し優しい目つきで、父はそう言った。
父に再び会えて嬉しいと思ったが、しかし、すぐにその考えは変わった。
父に代わって、ローベント家を背負っていくと誓った。
その誓いはとても果たせそうにない。
「すみません……父上、すみません……」
私は項垂れてただ謝ることしかできなかった。
「なぜ謝る」
「なぜって……こんな形で会うことになって……」
「別に問題なかろう。魂が出てしまっているようだが、まだお主は生きておる」
「し、しかし……」
「毒に関しては、お主の見つけてきた優秀な家臣たちが何とかするだろう。自分の家臣の力を信じられぬようでは、当主失格だ」
私が当然生きるはずだと、父は思っているようだった。
しかし、私は父のようにはポジティブにはなれなかった。
確かに、ロセルたちが必死で解毒剤を作ろうとしているようだが、上手くいっておらず、毒の症状を抑えることは出来ていない。
自分の家臣たちの力は信じている。
しかし、それでも出来ることと出来ないことは当然あるだろう。
「さて、久しぶりに会えたのだし、少し話でもするか。どうせすぐに会えなくなるしな」
父はそう切り出してきた。
すぐ会えなくなると言うことは、私があくまでも生き残ると信じているようだった。
聞きたいことは色々あったので、父の提案に私は応じた。
「はい。父上はずっと私の側におられたのですか?」
「そうだな。死んだ後、物凄い力に引っ張られて、別の場所に連れて行かれそうになったが、何とか気合いで踏ん張ってお主の近くに残ることができた」
「踏ん張ってって……」
本来は前世の私が死んで、この世界に転生したように、父も普通なら転生しているはずが、それを気力で拒否しているのだろうか。相変わらずとんでもない人だな。
「お主にいくら力があると言っても、流石に当主としては若すぎたからな。行く末を見守らずにはおれんかったのよ。見るだけで、何か手出しは出来ぬがな」
「そうですか……でも、父上に見てもらえていただけで、嬉しいです」
「お主のおかげで、ローベント家はかなり大きくなったようだ。カナレ郡長にまで成り上がるとは。普通なら考えられないような出世をして……流石は私の息子だ」
父は私の活躍を手放しで褒めてきた。
生きている頃は、そんなに褒められたことはなかったので、少し照れくさい気持ちになる。
ただ、それと同時に何処かモヤモヤした気持ちが胸に残っていた。
褒められて嬉しいはずなのに、どこか喜びきれなかった。
「これからも、お主はローベント家を導かねばならん。こんなところで死んではいられんだろう」
「……父上。確かに私は、家臣たちの才能を見出しましたが、人を見る目以外の長所はありません……その力も、完全に信用はできないと、今回分かりました。優秀な家臣たちはすでに十分いますし、もう私の力は必要ないと思うのです」
父の前で本音が出てきた。
今までの功績は、ほとんどは家臣たちのおかげと言っていいものだ。
私自身は、家臣たちに任せたにすぎない。
さらに、鑑定結果を偽装する何らかの方法があるとなると、力すら完全には信用できない。
もはや、私の存在はローベント家には必要ないように思えた。
「クライツはまだ幼いですが……しかし、成長すれば必ず立派な領主になります。それまでなら家臣たちが支えていけば、問題ないでしょうし……別に私がこのまま死のうとも……」
「アルス……」
父はおもむろに拳を上にあげて、それを私の頭にゴツリとぶつけてきた。
「ぃたっ!?!?」
強い衝撃が走る。霊体でも、痛みは感じるようだった。
父に拳骨を食らったのは、初めてのことだった。
「な、なにを……」
「何をではない。全く呆れたな。立派な当主になったと思っておったが、まだまだ家臣たちの心を読めておらんとは」
呆れた様子で父は言った。
心が読めていない?
確かに私がいなくなって、混乱するし、悲しみはするだろうが……
皆、優秀な人材だし、立ち直ってくれるだろう。
父の言葉は間違っている。そう思っていると、部屋の扉が開いた。
誰かが入ってきた。
「坊や〜、元気かい〜、って元気なわけないか〜」
ミレーユだった。酒瓶を片手に持っている。顔が真っ赤で、明らかに酔っ払っている。
「あの女はミレーユか……奴のことは以前から噂に聞いていたから、家臣にしたときは、私も流石に驚いたぞ」
「え? ミレーユの事、知ってたんですか?」
「ああ。詳細は知らないが、領地経営でさまざまな不祥事を行い、追放された女だと聞いている。かなり昔、一度見かけたこともあるのだが、血に飢えた猟犬みたいな目つきをしていたのを覚えているぞ」
「ち、血に飢えた猟犬? ミレーユが?」
今のミレーユも、少し怖い部分はあるが、基本的は表情は朗らかである。
若い頃のミレーユは、結構怖い人だったのかもしれないな。
「えーと、ちょっと席外してくれない? 坊やと二人っきりで話がしたいんだよね」
ミレーユが部屋にいた医者のマイクに頼んだ。
「え? しかし、アルス様は今意識を失っておられますよ」
「いいからいいから〜」
「は、はい」
追い出されるようにマイクは部屋を出ていった。
ミレーユは私が寝ているベッドのそばに腰掛けて、酒をグビグビと飲んだ。
「ぷはー!! やっぱ酒は美味いねぇー」
と美味しそうに酒を飲む。
「あの女は何をしにきたんだ」
「わ、分かりません」
私と父は、ミレーユの意図を図り兼ねていた。
ミレーユに私たちは見えていないし、声も聞こえないだろうから、尋ねることは不可能。
このまま見守るしかない。
ミレーユはその後、私の顔をじっくりと眺める。
「うーん、死相が出てるねぇ。体に魂が入ってないって感じだ。これは思ったより不味そうだね」
結構鋭い。確かに魂は入っていない。
「魂が入っていないんじゃ、この体に話しても意味ないか。でも、近くに坊やの魂は浮いてるに違いない」
勘なのか分からないが、見事に私の状況をミレーユは言い当てた。
「坊やの魂がいる場所は……あそこだ!!」
部屋の角を指差す。
私と父が浮いている場所とは、全く真逆の方向だった。
「ぎゃ、逆だ逆!」
声が届かないので無駄ではあったが、思わず指摘してしまった。
「切れ物なのか、何なのか分からん女だな」
父は呆れた表情を浮かべる。
ミレーユはそのまま何もない天井に向かって話を始める。
「しかし、坊やがこうなるとは、予想外だったね~。まあ、何が起こるかよく分からない世の中とはいえ」
酒を飲みながらミレーユは話す。いつも通りの声色だったが、どこか寂し気な印象を感じた。
「坊やがこのまま死んじまうと、ローベント家もお終いかね~。リシアちゃんは多分あの感じだと、坊やが死んじゃうと、心労が祟って倒れちゃうだろうね。リーツは多分暴走しちゃうかな。今も倒れちゃってるし。シャーロットちゃんとロセルに、ローベント家を纏め上げるだけの器量はないし。ごたごたしてる間に、サイツに攻め落とされそう」
私の死後のローベント家の展望を、ミレーユは他人事のように語った。
私の予想していた未来とは、大きく違っていた。
ミレーユの予想が外れている可能性もある。だが、彼女の方が私より頭が良く、先の物事も良く見えているのは間違いなかった。
「アタシは知っての通り、あんまり他人に慕われるような性格じゃないからね。今のアタシがローベント家を率いるって言っても、付いてくる奴は少数だろう。弟のトーマスは、坊やが死んだら見限ってどっか行くだろうし……それとクランも坊やがいないローベント家を、カナレ郡長の地位に付かせたりはしないだろう。うーん、こりゃ詰んじゃったかなぁ。アタシもなるべく早く、ローベント家を出ることになるかもね」
ミレーユは少し残念そうな表情を浮かべた。
嘘や冗談を言っている様子ではなかった。
本気でそう思っているようだった。
私はミレーユの予想を否定したかった。
しかし、現在家臣たちがどうなっているのか見に行けない以上、否定もできない。
「坊やは、もしかしたら自分がいなくてもやっていけるだろう、って思ってたかもしれないけど、無理だよね。結局、坊やが家臣にした奴らは、坊やが見出さなければ、何者でもなかった奴らなんだ。アタシにしたって、坊やがいなければ、今頃は酒飲みながら放浪の旅を続けてただろうね。悪評のついたアタシを家臣にしようなんて、酔狂な貴族は坊や以外いないだろうし。坊やが死ねば、皆、本来の何者でもない奴らに戻るだけさ」
ミレーユはつまらなそうな顔をして、酒を飲む。
「あーあ、つまんない事になったもんだね〜、アタシはどうすっかね〜。これを機に、サマフォース帝国の外に行くのもありかな〜」
私が死んだ後のことを考えているようだ。ローベント家が駄目になるのは、彼女の中では確定事項のようだった。
「……ミレーユの方が、お主よりローベント家のことがよく見えておるようだな」
「……」
父にそう言われ、私は反論することができなかった。
「アルスがこのまま死ぬと確信しているところは、気に入らぬがな。この程度の毒で、我が息子が死ぬはずがないというのに」
怒ったような表情を父は浮かべた。
死んでから、ちょっと親バカになってないか……?
「父上、絶対に私は生き伸びなければいけないようです」
先ほどまでの迷いは完全に消えた。
自分が生き残らなければ、ローベント家は壊滅するだけでなく、家臣にした皆が不幸になってしまうかもしれない。
勧誘した者の責任として、ここで自分が死んでまうわけにはいかない。
……と言っても、自分ではどうしようもない。
魂だけの状態で、肉体には入れないし、自分の肉体が死ぬ前に、ロセルが戻ってくるのを待つしかない。
何とか肉体に魂を戻せれば、寿命を延ばせるかもしれないが、肉体に近づくことすらできないし。
「まだ迷っておるのか!?」
「え? ち、違いますよ! 戻り方が分からないだけです!」
父に怒鳴られて、私は反論する。どうやら、戻り方を考えているのを、迷っていると勘違いされたようだ。
「戻り方? そんなもの、生きたいと強く願いながら、肉体に戻ればいいだけだろう」
「……は?」
「私も生前、大怪我で大量に血を失い、魂を飛ばした経験がある。その時は、こんなところで死ぬものかと、願い続けて肉体に向かって進んでいったら、戻ることができた。そして、生き延びた」
完全に精神論だった。
まあ、魂だけの存在になってしまったので、気合いとかで解決するしかないんだろうな。
「まあ、最後本当に死ぬ時は、何をしようと戻れなかったが」
その言葉を聞いて、父が死んだ時のことを思い出し、胸が痛んだ。
戻れなかったらこれから絶対に死ぬということだろう。
「分かりました。やってみます」
「うむ」
父は頷いた。
「父上は、これからも私のことを見守っていてください」
「……それは無理だろうな」
申し訳なさそうな表情を父は浮かべた。
「無理って……なぜ?」
「さっきも言ったが、私は自分を引っ張る何らかの力に抵抗して、霊としてお主の近くにいたのだが、もうすぐ抵抗できなくなるだろう。まあ、今の状態が自然ではないので、自然な状態になるだけなのだろうが」
「……」
恐らく父も、転生して別の存在になろうとしているのだろうか。記憶が私みたいに残っているとは限らないが。
「男たるもの、一度は死ぬような目にあって、成長していくものだろう。私がそうであったようにな。今回の件で生き残れば、お主は真の意味で一人前の男になるだろう。私が見守る必要などないはずだ」
「……父上」
私を見て父はそう言った。
鋭い眼光だったが、優しさが溢れていた。
「さあ行けアルス」
父にそう促され、私は「はい」と言いながら頷いた。
「行って参ります。父上」
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