03 悪夢を知る悪魔は、新たな夢を見る。



 クリスがボク、ジェット・アンバーではなく、あの女を選び、友達になる世界線。


 確かにその世界線で彼女は心が歪むことはなかった。しかし、その先の未来も結局は同じものだった。


 この世界線であの女が選んだ男は、彼女の大好きな人、シヴァルラス。


 彼女は失恋をしても友人であるあの女と大好きな人の婚約を祝福した。今までの世界線とは違い、失恋は致命的な傷にはならなかったが、あの未来はやってきた。


 セレスチアル家の秘密を誰かがばらし、社交界中に広まった。平民育ちで平凡なあの女がその噂を知って平気な顔をしているわけがなかった。


 あの女はクリスに対してよそよそしくなり、そのうち彼女を遠ざけるようになった。聡い彼女が自分を遠ざけていると分からないはずがない。言葉にしないながらも自分を拒絶しているという事実が、クリスの心をえぐっていき、あの女の魔力が彼女の心を侵していった。


 ボクは8年制の学院を飛び級して異例の卒業を果たし、彼女に婚約を申し込んだ。ボクが彼女に婚約を申し込んだのは1度や2度じゃない。たとえ、ボクが申し込まなくても、それは確定されていた未来だった。

 辺境公爵へんきょうこうしゃくとなったボクは療養という名目で彼女と共にアンバーの土地に移り住むことになり、それなりに穏やかな時を過ごした。


 しかし、あの噂はボクの国にも流れてきた。完全に居場所をなくした彼女は、屋敷に閉じ籠り表舞台に出ることはなかった。


 互いに成人し、結婚式が明日に控えた日の夜、ボクは彼女に尋ねた。



「ねぇ、クリス。殿下と結婚できなくて……ボクと結婚するの……嫌じゃない? 不幸じゃない?」



 歪んでしまった心のせいで彼女は社交界どころか人前に出ることもできなくなり、笑うこともできなくなった。それなのに、彼女はボクに笑顔を作って見せた。


「……ええ、もちろん。私は不幸じゃありません」

「……っ」


 彼女の心が黒く蝕んでいく。軋む音が聞こえてきそうなほど、彼女の心はさらに歪んでいった。


「そっか……良かった」


 ボクはそう言って彼女を抱きしめた。

 彼女はボクが国のために仕方なく婚約したと思っている。


『魔法で容姿を整えられた自分は気持ち悪い存在だ。好んで誰かが娶るわけがない』


 そう、彼女は思い込み、とうとう社交界に出ることもできなくなった彼女は、『婚約者としても、夫人としても役目が果たせない』と自分を責め立て続けた。

 ボクがどんなに愛を囁いても、褒めたたえても、微笑みかけても、ボクの言葉が彼女に届くことはない。


「明日は早いから、ボクはもう休むね。君も早く休むんだよ?」

「ええ」


 ボクは彼女の部屋を後にし、また世界をやり直した。

 今度こそは大丈夫。今度こそは……あの女に彼女の心を穢させない。


 次の世界線、ボクは今までよりも早く彼女に会いに行った。

 まだ彼女は7歳。

 寝ている彼女の部屋に忍び込んで、ボクは彼女に魔法をかけた。


 ──どうか、彼女が幸せになれますように。

 ──どうか、あの女に心を穢されませんように。


 祖国の偉大な賢者なんて信じていなかったが、今回ばかりは祈った。それはもう呪詛ととらえられてもいい。それだけボクは真剣だった。


 そして、ボクと彼女が本来出会う日、再び彼女に会いに行った時、彼女は頭がおかしくなっていた。


 なんでも、彼女はあの日を境によく知恵熱を繰り返しているらしい。そんなこと今までなかったのに。しかも、熱を出したり、夢を見る度に彼女の性格が若干変わっていった。さすがのボクも罪悪感を覚えて彼女の心を見たが、彼女の心は相変わらず綺麗だった。そして、彼女はよく夢の話をしてくれるようになった。


『ねぇ、ジェット! 聞いて聞いて! 今日はゲームって箱でね……』


 どうやら夢の中で物語を読んでいるらしい。その物語を問うと、彼女の口から「平民の子が貴族の家に引き取られて王子様と結婚する」と聞いた時、ボクは心臓が掴まれた気分だった。


 ──もしかして、彼女はボクがやり直した世界の夢を見ている?


 確信はなかった。なぜなら彼女が見ている夢は物語の話以外に、この世界にない道具の話もしてくれる。しかし、彼女がよく見る物語の夢は、ボクがやり直してきた世界に一致するものがいくつもあった。


 そして、彼女が最後の知恵熱を出した夜──彼女は、本当に頭がおかしくなった。


『目指せ~っ! 完璧な淑女~っ!』


 彼女は急に難しい言葉を使い、自分の周りのことを調べ始め、さらには暗号を作り出したのだ。おまけにこの近辺にはないおとぎ話まで聞かせてくれた。


 そして、運命のお茶会へのお誘いが来た日。


 前の彼女は王子様のお茶会と聞いて年齢相応にはしゃいでいたのに対し、今度の彼女はこれ以上にない絶望的な顔をし、よりいっそうマナーレッスンに励んだ。


(君、今まであんなに喜んでたよね……なんで戦地に赴くような顔をしてるの……?)


 運命のお茶会当日、彼女は失敗するはずだった挨拶まで完璧にこなして、ボクは驚きのあまり給仕に足を引っかけるのを忘れてしまった。


 ──一体、何が起きているんだ?


 正直、ボクは焦っていた。今回の世界はあまりにも違うことが多すぎる。



『生シヴァルラス最高――――ッ!』

『ああ、毎日がフルボイス……毎秒更新の表情差分……ありがとう、クリスティーナ・セレスチアル』



 前に比べて知能指数が上がっているはずなのに思考が残念過ぎた。あと、何を言っているかわからなかった。


(毎日がフルボイスで毎秒更新の表情差分って何?)


 いや、女の子は少しおバカな方が可愛いという。前より可愛げがあると思えばそれは問題ない。

 しかし、彼女がボクの人形を作ったり、できない料理に挑戦し始めたり、大富豪やドボンといった謎の遊びを誘ったり、やり直してきた世界では見られなかった行動だ。


 何より驚くべきことは彼女が恋を知る事なく終わったことだった。でも、相変わらずシヴァルラス・ヘリオライトのことは大好きなようで、彼女は恋ではなく憧れで止まっている。


 そして、さらなる問題が生じた。それは彼女の性格が変わったせいでヴィンセントとシヴァルラスに内面的な影響を及ぼしたことだった。


 イヴ・ラピスラズリに恋をするはずだったヴィンセントはクリスを好きになった。



(お前ぇえええっ! あの女にゾッコンだったくせになんでクリスを好きになるんだ! それにお前と出会う未来はもっと先だろォ!)



 どうやらボクが給仕に足を引っかけるタイミングが違ったせいで、本来出会わないはずのヴィンセントと出会ってしまった。ヴィンセントと出会うまで2年くらい猶予があったのに、彼女と遊ぶ時間が減ってしまう。


 全力で妨害してやるっ!


 ボクはクリスもヴィンセントも大好きだが、ヴィンセントに彼女を渡すつもりはない。

 しかし、ボクの妨害工作がクリスの奇行として受け取られ、元々世話焼きな性格が起因してヴィンセントはさらに彼女を構うようになった。


 そして、今までの世界線では完璧な淑女に成長していくクリスにプレッシャーを感じて遠巻きにしていたシヴァルラス。今度の彼はクリスの数々の奇抜な言動に感化されてヴィンセント同様に手のかかる妹として彼女を可愛がっている。



(どうしてこうなっちゃったかなぁ~~~~~~っ?)



 ここまで大きく未来が変わるなんて思ってもなかった。いや、これは好機と考えるべきなのだろうか。

 このままボクが2年の間、国でボンクラを演じ、この国に遊学するまでヴィンセントとクリスの仲が進展していないか少し心配だ。しかし、あのヴィンセントとクリスだ。ヴィンセントはクリスがシヴァルラスを好きだと思っているし、今のクリスは今までのクリスより鈍感である。


(まあ、なんとかなるか)


 今のクリスも根本的なところは今までと何も変わっていないし、面白いし、いじれるところが増えたと思えば万々歳である。

 色々予定は狂ってしまったがクリスの社交界デビューの日、ボクは再び彼女に別れを告げた。


 そして、運命の日は訪れた──魔法学校へ入学する日。


 ここからはボクが知らない世界線。

 ボクが初めてジェット・アンバーとして介入する世界線だ。


 寮へ運ぶ荷物は入学式にまでついてきた心配性の部下に任せ、ボクは入学式が行われる講堂へ向かった。


(クリス、怒るかな?)


 最後に見た彼女の泣き顔を思い出して、怒られて当然かと苦笑する。これから彼女やヴィンセント達と同じ学び舎で過ごすことに期待で胸を膨らませ、ボクは新たな分岐点に足を踏み入れた。





【悪役令嬢は悪魔付きっ! 完】

 本編はこれにて終了となりますが、次回、Extra Episodeをおまけとして3話更新いたします。

もう少しお付き合い頂けたら幸いです。

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