最終章 悪役令嬢は悪魔付きっ!

01 たどり着いた結末


 悪夢のイベントが予想外な方向で片付けられ、1か月が経った。


 私、クリスティーナ・セレスチアルはシヴァルラスの婚約式に招待されたのだが、当日の会場でシヴァルラスの婚約相手を知った私は、正直に言うとめちゃくちゃ怒っている。



(いや、私だってね……心の準備は出来てたわよ……イヴがシヴァルラス様の婚約者に選ばれないことぐらい分かっていたわよ……でもね……)



 シヴァルラスの隣を歩く可憐な女性は、癖のある金髪に陶磁器のように白い肌をし、癒されるような天使の笑みを浮かべていた。まさに優しいシヴァルラスとお似合いの相手だった。

 私の隣にいる悪魔にちらりと目を向ける。正装に身を包んだ悪魔はニコニコしながら私に言った。



「いや~、まさか殿下がボクの姉と婚約するなんて~! こんなことがあるんだね~っ!」



 そう、シヴァルラスの隣を歩いているのはジェットの実の姉である。


 実は彼の姉も婚約者候補に名が挙がっていた。向こうのパーティーで出会い、意気投合し両国ともさらなる友好関係を結びたかったのもあって決定したようだ。


 白々しいセリフを吐く悪魔を私は淑女の顔を捨てて睨みつける。


「貴方、この未来を知ってたんでしょ!」

「もちろん、イヴ・ラピスラズリと婚約しなかったらの話だけどね」


 なんてやつだ。きっとこの間の家族が遊びに来たという話は、自分の姉とシヴァルラスの婚約式の打ち合わせに来ていたに違いない。


 何が私の好きな人を奪うだ。自分が奪っているじゃないか!


「へぇ~、じゃあ貴方は私が婚約者になれないことを知ってて『君は完璧な淑女だ』とか『婚約者になれるよ』って言ってたわけ? へぇ~~?」


 八つ当たりのつもりで言ってやると、彼は小さく首を横に振る。


「恋する君が、もう可愛くて可愛くて…………その先に残酷な未来が待っているとも知らずに」

(この悪魔っ!)


 毒づきたい思いでいっぱいの私だったが、シヴァルラスと並ぶ彼の姉を見ては納得せざるを得ない。

 やや釣り目気味のジェットとは対照的に、目じりが下がり優しい印象を与える。そして王女らしく凛とした佇まいは気品があった。優しくしっかりしたお姉さんという印象である。しかし、シヴァルラスの好みとはまた違う印象だ。たしか彼は出来る女は敬遠しがちだった。それなのにとても仲良さそうに見える。


 私の心情を察してか、ジェットはにやりと笑った。


「家族の欲目抜きに、ボクの姉さんほど殿下に合う人はいないよ~?」

「でも、貴方の姉だからすごく出来そうな人に見えるけど?」


 私がそういうと、彼は舌を鳴らしながら首を横に振る。


「ボクの姉さんを甘く見ないでよ。確かにボクの姉さんの頭は悪くないよ。学年で主席取るくらいだし。だけどね……」


 彼は遠い目をしながら言った。


「1歩進めばつまずき、角を曲がれば人にぶつかり、ドアを開ければノブに袖を引っ掛ける。そして、ド天然」

「ええ、それはシヴァルラス様と相性が良さそうね……」


 イヴ以上に完璧な淑女と正反対にいる女性に、私は再度納得してしまった。

 たしかにこれ以上にシヴァルラスとお似合いな女性はいないだろう。


 隣でジェットはニコニコしながら私を見ており、すでに淑女の顔を捨てていた私は、不機嫌丸出しのまま彼を見上げる。


「何よ……?」

「いやぁ~、君の野望もボクの野望も見事破綻したわけだけど、感想は?」

「本当になんてことをしてくれたのよ! イチャイチャを見たくて8年も淑女としての研鑽けんさんを積んできたのに!」


 自分のフラグをへし折る為に死ぬ気でフラグを潰したり、彼女たちのお膳立てをすべく全力でぶち当たっていった私の努力がすべて水の泡である。怒る私をジェットは宥めることなく、唇を尖らせた。


「何さ~、ボクだってあの女の魔力を奪うつもりだったんだよ? 妥協したんだから感謝してほしいくらいだよ」


 先月の悪夢の箱事件で私はラピスラズリ侯爵にしたことを思い出した。



『それじゃあ、お休み! いい夢見ろよ、クソ野郎!』


 そう言って、彼は悪夢の箱にラピスラズリ侯爵の魔力を食わせ、再び魔力が生成されないレベルで枯渇させた。


 しかし、そこで問題が発生した。

 悪夢の箱が不完全だったのである。


 ジェット曰く、悪夢の箱は悪夢の能力を再現したものらしく、魔力を奪うだけでなく人の負の感情にも反応してしまったらしい。

 そして、ラピスラズリ侯爵はイヴの魔力に当てられて、心が歪みきっていた。そのため侯爵の歪んだ感情を吸いきってしまった。しかし、心を完全に吸い取られたわけではなく、感情が希薄になってしまった。



「クリスティーナ嬢、ジェット様!」



 後ろから声を掛けられ、私達は振り向いた。

 こちらに手を振ってやってきたのは正装に身を包んだグレイム、ブルース、そしてイヴだった。


「ジェット様、この度は御兄弟の婚約おめでとうございます」


 ブルースがそう型どおりの挨拶をするとグレイムは「おめでとー」と棒読みでいい、2人の間に挟まれたイヴが緊張気味に礼をした。


「お、おめでとうございます……」



 そう言って顔を上げたイヴの瞳は、ジェットと同じ赤い目ではない。綺麗な緑色の瞳をしていた。


 ラピスラズリ侯爵の魔力を吸った後、私やブルースの制止も甲斐なくジェットはそのままイヴの魔力を奪った。イヴは心に歪んだものがなかったので、感情が希薄になることはなかったが、イヴの中にあった魔力が多すぎた。悪夢の箱はすでに侯爵の魔力を吸い切っていたせいで、イヴの魔力を吸いきることはできなかったである。


 しかし、魔力が減ったせいで赤い瞳は元の瞳の色に戻り、強すぎる魔力で得た心を操作する力も消失した。ジェットが言うには現段階ではこれ以上魔力が増えることはないらしい。来年には成績上位者クラスから別のクラスへ移動することが決まっている。


 そして、ラピスラズリ侯爵は事実上の引退で、その地位はブルースが引き継ぐことになった。ラピスラズリ家が裏でやっていたことは、ブルースが「高値で売りたい」とまとめていたので、それを国王に提出したことにより生まれた結果だった。まだ学生である身のため、シヴァルラスの計らいによって代わりに管理してもらっている。


 私はイヴを見るジェットの顔を見て、軽く脇を小突いた。


「ちょっと、ジェット……なんて顔をしているのよ」


 いつもならどんな相手にも笑顔で接している悪魔が、あからさまに嫌悪の表情を浮かべていたのだ。いや、あれだけのことをしていて普段通りの笑顔を浮かべられたら、それはそれで怖いが。


「ボク、昔から彼女のこと嫌いなんだよね……」


 本人を目の前にしてこの一言である。


 無意識でやっていたとはいえ、彼女の心を操作する力をどうにかするために世界を何回もやり直していたのだ。全てが終わった今、口に出してしまうのも仕方ないと言えば仕方ない。今まで彼女に向けていた誠実な態度も、当たり障りのない対応をすることで彼女の魔法を間接的に阻害するためだった。


 イヴは完全に委縮してブルースの背後に隠れてしまい、ブルースが苦笑しながらジェットに目をやっていた。


「ジェット様……?」

「おい、悪魔」


 グレイムまでジェットをとがめるような目を向けはじめ、ジェットは静かに首を横に振った。


「大丈夫だよ。あの力が使えないならボクも彼女をどうこうする気持ちはないし、ボクは現時点で辺境公爵の地位が確定しているから、彼女の将来に口を出すこともないさ。まあ、君がボクとの約束事を破らなければだけど」


 ジェットはイヴにこれ以上手を出さないことを約束する代わりに、ブルースに条件を出した。


 まず、セレスチアル家の秘密と赤い瞳の真実を洩らさないこと。イヴを王族の直系にあたる家に嫁がせないこと。そして、今後ラピスラズリ家はセレスチアル家、レッドスピネル家、ヘリオライト王族に対して誠実であること。これを反故した時、悪魔が魔王に転身するとジェットは宣言した。


 前世のゲームで散々痛い目を見て、さらに現世でもそれを目の当たりにしたブルースが首を横に振るわけがなかった。


 グレイムやヴィンセントから隠れ鬼での彼の所業が暴露されたのもある。

 遊びであの実力なのだ。遊び抜きで暴れられたらきっと国の1つや2つ滅びるだろう。ましてや丸めた新聞紙で衝撃波を放つなんて、きっと前世の科学兵器を持ち出してもあの悪魔には敵わない。


 ブルースは「まったく」と嘆息を漏らしながら頭を掻いた。


「反故するわけがないでしょう。シヴァルラス様や陛下がどうしようもない我が家のために心を砕いてくださったのに……」

「それならいいよ。ボクはこれ以上、何も求めないさ……ほら、さっさと殿下と姉さん所に挨拶しに行っておいでよ」


 追い払うように「しっ、しっ!」と手を振るジェットを私は背中からド突いてやった。

 不意打ちを食らって顔を歪めるジェットに変わり、私は笑顔で3人を見送る。


「何すんのさ、クリス~っ!」

「貴方、態度が露骨すぎるわよ?」

「あのねぇ……あの女のせいでボクがどれだけ迷惑被っていたと思うの? 今も時々夢に出るんだからね……もう思い出したくもない」


 一体、今までの世界線で何を見てきたか分からないが、ジェットは苦虫を嚙み潰したような顔で言い、私は嘆息を漏らした。


「貴方、本当になんで世界をやり直してたのよ?」


 イヴの魔力奪取とラピスラズリ家の取り潰しが目的だと言っていたが、その理由は一切語ってくれなかった。今まで彼が語っていたものは、全てイヴがこの国で起こす内容ばかりだ。自分の姉が嫁ぐからだと思ったが、そうでもないようだ。彼がいう迷惑というものが一体何なのかが分からない。


 彼がクリスティーナに固執しているのも確かだが、過去の思い出を振り返っても理由が浮かばない。ラピスラズリ侯爵が私の家の秘密(?)を暴露した時の怒りの理由も分からずじまいだ。


 ちなみにあの暴露の後、家族に事実を確認しに行くと、「あの野郎……」と静かに言葉を漏らした変態父兄の2人の笑顔が最高に怖かった。ちなみに母は「明日の天気はきっと雨ね」と言っていたのだが、その雨が何色かは聞かなかった。


 私が彼を見上げると、彼は珍しく何か言いづらそうに口を何度か開閉させて目をそらした。そんなに言えないことなのだろうか。SFはあまり知らないので上手く言えないが、未来が変わってしまうようなことでもあるのかもしれない。


 私の視線に耐えられなくなった彼は短くため息をつく。



「何度もやり直してまでボクが望んだ君の幸せは……君が未来で笑うことだったんだよ」

「え……?」



 意外な返答に私は思わず聞き返してしまった。彼は気恥ずかしそうに口を開いた。


「もう未来が変わったから白状するけど……今までの君は、あの女の魔力で結構メンタルが脆くなっちゃってね……プライドはへし折られるわ、失恋するわ……それに加えてセレスチアル家の秘密を暴露されて、すごいショックを受けるんだよ」


 過去に私は、母から社交界は女の戦場だと教え込まれたことがある。社交界では老若男女問わず蹴落とそうとする輩がいるのだ。

 ジェットが言うには、誰かが噂でセレスチアル家の秘密を流し、それが社交界中に広まったらしい。



『魔法で作られた子だなんて気持ち悪い』

『お人形さんみたいと思っていたけど、本当に生き人形だったのね』



 好きな相手に恥じないよう努力を重ね、完璧な淑女であろうとした彼女はそう陰口を叩かれ続けた。


 微笑んでも、ダンスを踊っても、聞こえてくるのは耳障りな笑い声。


 普段の彼女だったら意に介さず、聞き流していただろう。しかし、イヴの魔力で心が脆くなったクリスティーナのトドメになってしまったらしい。


「君の心は軋む音が聞こえそうなくらいひどい有様だったんだよ。最終的には社交界に一切参加しなくなる」

「確かに、普通の女の子だったら卒倒ものよね……」


 セレスチアル家の秘密を聞いてショックを受ける女の子が多いので、本来長男にしか教えないものらしい。そして貴族の娘は料理もしないので、メシマズの呪いも本当は伝えるつもりがなかったと父は言っていた。私は前世の記憶でそういうSFの物語を読んでいて、さらにはここが乙女ゲームの世界だと理解していたせいもあって、自分自身のショックよりも「裏設定がヤバい」という衝撃の方が大きかった。そして、なぜ私はジェットルートをやらなかったんだと、ちょっと後悔もしている。


 私が、ジェットルートに手を出していれば、『センチメンタル・マジック』の魅力がさらにさらに楽しめたというのに。誰がクリスティーナにそんな設定があったなんて気づくか。設定集やイラスト集が前世で発売されているなら絶対に欲しかった。


 ふと視線を感じ、顔を上げると、ジェットの赤い瞳が煌々と輝いており、じっと私の胸元を見つめていた。


 そして、安堵のようなため息を零す。



「君は変わらないねぇ……」

「……安心した?」



 私はいつも彼がそうするように茶化した口調を真似ていうと、ジェットは表情をやわらげた。


「ああ、とても……」


 その一言は嫌味でも皮肉でもなく、まるで肩の荷が下りたかのように優しい言葉。

 彼は赤い瞳を細めるとさらに続けた。



「思っていた未来とは少し違うけど……ボクとしては最高の結末エンディングだ」



 その笑みは、いつもの天使のような笑みではなく、花が綻ぶような優しさのあるものだった。

 思わぬ不意打ちに、ドスッと何かが心臓に刺されたような音がした気がした。


(ん? 今の何の音だ?)


 不快な感じがするわけでもなく、私は首を傾げながら自分の胸に手を置く。


「クリス、急に胸を押さえてどうしたの?」

「え、うん? なんでもな……」

「お兄様っ!」


 背後から声がして私達が振り返ると、スカイブルーのドレスを身に纏った少女が小走りでこちらに駆け寄ってきた。

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