07 ゲームセット
無情に鳴り響くチャイムに私はただ呆然とする。
どうしてだ? 私の頭の中で疑問だけが浮かぶ。時間もタイミングも間違いはなかった。彼が最後まで遊ぶ癖は確かに間違いじゃなかった。
背後からクスクスとジェットの笑い声が聞こえ、私は彼を見上げる。
「なんで?」
「クリスがボクの癖を逆手にとることくらい容易に考え付くよ」
にんまりと笑った彼が私に見せたのは、6時になったばかりの懐中時計。
「だから、最初にみんなと針を合わせた教室の時計を1分ばかし早めておいたんだよね」
それを聞いて私はさっと血の気を引いた。
私達が作戦会議をしている間、彼が唯一した妨害工作に私は全く気付かなかった。
それもそうだ。
懐中時計は手巻き式。私の懐中時計は5分前行動の癖をつける為に5分早めており、ヴィンセントとシヴァルラスはそれを真似ている。グレイムに至っては時計を持っていない。この隠れ鬼に参加している人間は、誰1人正確な時間を知っていなかった。
「ず、ずるいっ……きゃあっ⁉」
文句を言う前にジェットが私を小脇に抱え不敵に笑う。その笑い声が不気味で私の背筋が凍った。
これはまずい。大いにまずい。これから死ぬよりひどい目に遭うこと間違い無しの方向に全力で舵を取っている。
「ねぇ、クリス?」
私は上げそうになった悲鳴を抑え、恐る恐る顔を上げると、天使の笑みを浮かべた悪魔がそこにいた。
「ボクの求婚、喜んで受けてくれるんだよね?」
──私、オワタ。
結婚は人生の墓場だとはよく言ったものだが、その墓場に我が身をダンクシュートしてしまった。おまけにあの悪魔を挑発までしている。
終わった、確実に終わった。
きっと彼は明日にでも私を自国に連れて帰って、私を悪魔の
心臓1つじゃ足りない。絶対に足りない。
私の頭上で悪魔は心底嬉しそうに低く笑った後、歩を進めた。
「さーて、未来の嫁も手に入れたし、黒幕は黒幕らしくイヴ・ラピスラズリの魔力を奪いに行くぞ~っ!」
「わぁあああああっ! 降ろしてーっ!」
身体強化で加速したジェットは本校舎まで飛ぶ。ジェットコースターよろしくの急降下から昇降口前に着地すると、彼はそのままヴィンセント達が待機している保健室を華麗に通り抜け、イヴとブルースがいる応接室まで駆け抜ける。魔王のような高笑いが校舎中に響いた。
「やぁ、お待たせブルース! イヴ・ラピスラズリの魔力を奪いに来たよ! 抵抗するなら別に構わないさ、お得意の身体強化でもなんでもかかって来~いっ!」
応接室のドアを乱暴に蹴破ったジェットは高らかにそう言うと、ソファで不安そうに身を寄せ合うブルースとイヴを見て、ぴたりと動きを止める。
ジェットの赤い瞳が煌々と輝いたかと思うと、深い深いため息をついて怯える2人に近づいた。そして、2人の額を指で弾いた。
ぱちんっ!
そのまま、後ろに倒れた2人の姿が愛らしい人形に変わる。それは人形使いである私が使える身代わりの魔法。
──もし最後の一秒を読まれていたら。
それは隠れ鬼が始まる前の作戦会議でも話していた。私が彼の癖を読み、それすらも彼は読んで勝負に負けたら。
『クリスティーナが相手なら、ジェットはそれすらも先を読んでくるかもしれません。なので、予防線を張っておきます。ブルース様、私が貴方とイヴ様の身代わりを作ります。その隙に逃げて。身体強化で1時間もあれば距離はいくらでも稼げます』
もうブルース達を追おうにも距離はだいぶあるだろう。それも私達すらも彼らが逃げる先を知らないのだ。私達が負けても、ジェットの手の届かないところまで逃がし、ジェットを諦めさせる。それが今回の作戦だった。最悪、彼のドラゴンにイヴ達の動向がバレても彼らを追うことはできない。使役しているドラゴンが飛行するためには国の許可が必要である。シヴァルラス曰く、彼のドラゴンはこの学園内の飛行しか許されていないのだ。
ちなみに後日、ブルースから連絡をさせることも約束している。
彼の赤い瞳が不機嫌に光る。
「ふーん……ボクが遊んでいる間にイヴ・ラピスラズリとブルースを逃がしたんだ? まあ、クリスにしては上々かな? ねぇ、クリス……?」
「ええ、貴方が時間ギリギリまで遊ぶってことは分かってたから。逃がしてあげる時間は十分だったわ」
にっこり笑ってこちらを見下ろす彼が怖く、私は震える声を抑えて強がって見せる。しかし、それはバレバレだ。もうこれ以上、彼が怖すぎて目が合わせられない。
しかし、これで私の勝ちは決まったものだ。試合には負けたが、勝負には勝った。私はようやくこの悪魔から勝利をもぎ取ったのだ。
ジェットはしばらく沈黙すると、小さく頷いた。
「うん、確かにそうだね。身体強化はブルースの十八番だし、イヴ・ラピスラズリも上手になってきていたしね、確かに1時間もあれば十分に逃げ切られる。でも、ボク以外の相手だったらの話だけど」
「え……」
ボク以外だったら?
私は彼を見上げると、ジェットの赤い瞳には完全に怯え切った私が映り込んでいた。
「ねぇ、クリス。ボクはこの世界線に来るまで、一体何回やり直して、何度彼女の未来を見たと思う?」
「まさか……!」
彼はただ天使のような笑みで答えた。
◇
オレ、ブルース・ラピスラズリはイヴの手を引いて薄暗くなった森の中を走っていた。イヴの魔法を扱うのが上手くなってきているとはいえ、さすがに1時間も身体強化を保つのは無理だった。しかし、ここまでくれば大丈夫だ。
「イヴ、こっち!」
「ま、待って……ブルース!」
息を切らしながら必死にオレの引っ張られるように走るイヴ。だいぶ、彼女にも限界が来ていた。
(大丈夫……この先の船場にボートがある。それに乗って、さらに知人を頼れば……アイツに……)
確定イベントが起きた日、オレは知人の商人にイヴと一緒に尋ねるかもしれないと話を通している。このまま行けば、あの悪魔から逃げ切れる。
もう隠れ鬼は終わったことだろう。作戦会議でクリスティーナは捨て身覚悟でジェットを挑発すると言っていたが、彼女は無事だろうか。一体どんな挑発を使ったのか分からないが、今頃精神的に耐えられない嫌がらせを受けているかもしれない。
死にはしないと分かっていても、あの悪魔の道楽に等しい嫌がらせは想像するだけでも恐ろしい。
(すみません、クリスティーナ嬢。この恩は絶対に忘れません……)
再来週あたりに出す予定の手紙の返事に『結婚しました!』と書かれていたらどうしよう。ご祝儀はヴィンセント辺りにツケておいてもらうとして、今案ずるのは我が身である。
(しかし、オレは何か忘れているような……)
そう、自分は何かを忘れている気がする。この身一つで逃げ出してきたので、忘れ物しかないわけだが。一体自分は何を忘れているのだろう。
ようやく森を抜けて開けた場所に出た。目的の船場についたオレ達は、目の前に現れた影に驚き足を止める。
その船場にいたのは少しくすんだ金髪に空色の瞳をした痩身の男と下男と思われる大柄の男達だった。痩身の男は厳しい顔つきでオレを射抜くように見つめる。
「どこに行く気だ。ブルース」
「…………父さん?」
そう、オレの父親であるラピスラズリ侯爵。なぜ、この男がここにいるんだ。オレはイヴをかばうように前に立つ。
「なんで……父さんがここに?」
戸惑いを隠せないオレを小ばかにするようにラピスラズリ侯爵は鼻を鳴らした。
「お前が最近、市井に出てイヴとラピスラズリ家から逃げる手筈を整えていた事は知っている。すべてお前の行動は筒抜けだったんだよ」
その言葉を聞いて、オレは目を見張った。
(そうだ……ブルースルートのバッドエンドは……!)
イヴと駆け落ちする計画をラピスラズリ侯爵にバレてしまい、イヴはラピスラズリ家に連れ戻されてしまう。その後のブルースのことは語られることなく、タイトル画面へ戻されるのだ。
あの悪魔から逃げることばかり考えていたオレは失念していた。
「ブルースからイヴを引き離せ。最悪、ブルースは死んでも構わん。そいつは、イヴほどの価値はないからな」
ラピスラズリ家の下男達は身体強化を扱える。たった数人とはいえイヴをかばいながらどうにかするには無理がある。さらにオレは1時間走ってきた疲れも残っていた。
「ブルース……」
怯えたイヴがオレの服を掴み、こちらを見上げる赤い瞳が大きく揺れる。
その様子が前世の姉の姿と重なり、オレはまっすぐ前を見据えた。
(せめて、イヴだけでも……)
必死に思考を巡らせていると、遠くの方から何かが聞こえてきた。異変を感じ、その音の方向へ誰もが目を向ける。
「ひゃっほーーーーーーっ!」
そんな声と共にオレ達の前に大きな物体が飛来し、大きな地響きと砂煙が舞った。
「い、いったい何だ!」
周囲に立ち込める砂煙の中に2つの人影が浮かび上がり、場違いな明るい笑い声が響き渡る。
「やっほ~、ブルース! 楽しい逃避行はそこまでだぞっ!」
風が流れ、砂煙の中から現れたのは天使のような笑みを浮かべた悪魔と半分腰を抜かしながらも必死にしがみついているクリスティーナだった。
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