06 その刹那まで



 ──あと10分。


 私、クリスティーナ。セレスチアルは懐中時計を確認し、ため息をついた。

 今いる場所はいつも私が1人でいる時に使う人目がつかない中庭のベンチ。


 残り10分、私はもう隠れても無駄だと腹を括り、ベンチの前で堂々と仁王立ちをする。


(さあ、来いジェット……貴方が最後まで遊びきるのは分かってるんだぞ……)


 正直、10分前まで来なかったのは意外だったが、さすがにそろそろ私の前に姿を現すだろう。

 5号の髪を撫でつけながら、ジェットの瞳によく似た赤い目を見つめる。新しくジェット人形を作るたびに瞳の石は変えているが、大事に扱っていても傷んできていた。それがなんだか寂し気に映る。



「あれ? もうかくれんぼはしないの?」



 いつもの明るい声が聞こえ、私は顔を上げると茂みの向こうから彼が現れた。

 天使のような笑みを浮かべ「やっほ~」とこちらに手を振るジェット。なぜかその手には丸めた新聞紙が握られている。


 陽が沈みかけ辺りはもう薄暗い。木の葉が風で揺れ動く音がやけに大きく聞こえ、この場所にあるのはただの静寂だった。


「……私のところに来たということは、もうシヴァルラス様とグレイムは……」

「あの2人ならもう保健室送り」


 新聞紙で肩を叩きながら彼はそういうと、赤い瞳を楽し気に歪ませる。


「あとは君だけだよ、ク・リ・ス?」


 甘ったるく私の名前を口にしているが、その顔には「どうコイツを料理してやるか」といつになく生き生きとした笑顔が張り付けられていた。正直、今の彼の笑顔は凶悪面と称した2号を彷彿とさせる。


 私は怖気付きそうになりながらも、負けじと彼を見つめた。


「わ、私が……何も策を練らずに、姿を現すと思っているの?」

「ふ~ん、何か面白いことでも考えてるの?」


 丸めた新聞紙で肩を叩きながらケタケタ笑いをし、首を傾げた。


 相手は魔法に置いて規格外な知識と実力を有する悪魔。

 もはや悪魔というより魔王だが、私はどんな手を使っても時間まで逃げなければならない。

 私は強大な敵の前に生唾を飲み、5号を抱きしめる手が若干汗ばむ。


「ええ、そうよ。その前に……実は私、貴方に話さなければならない秘密があるの……」


 これが吉と出るか、凶と出るかは分からない。最悪、逆鱗に触れるかもしれない。

 しかし、たとえ捨て身だろうとなんだろうと、やらねば。


「え~? まだあるの?」


 一切隙を与えない笑みを浮かべるジェットに、唯一届く一撃。


(行くわよ、クリスティーナ・セレスチアル!)


 私は彼の目の前まで近づき、赤い瞳を見上げる。


「ジェット」


 クリスティーナにだけ許された最初で最後の一撃を食らうがいい。



「実は、私の初恋の人は貴方なの。求婚を喜んで御受けいたします」

「………………──えっ?」



 ジェットが大きく目を見開き、素っ頓狂な声を上げた瞬間、私は隠していた魔力の糸を思いっきり引っ張った。


「うわっ⁉」


 仕掛けていた魔力の糸に足を絡めとられ、ジェットは逆さまに宙ぶらりんなった。


「え、ええッ⁉ なにこれ、全然解けないんだけど!」


 ジェットが足に絡んだ糸をどうにかしようとするが上手くいかず、自分の足元と私を交互に見つめていた。


(ふふふ……驚いただろ、ジェット!)


 元々強度がある魔力の糸をロープを作る要領で縒り合わせて作った特製の糸だ。正直、作るには時間がかかるし、目に見えるので人間相手には不向きなものだ。しかし、この一瞬の為に私は彼の隙を作ったのだ。あとは即座にずらかるだけである。


「じゃ、ジェット! またね!」


 私はそれだけを言い残して踵を返した。

 これでいくらか時間を稼げる。あとは身を隠しながら時間まで逃げられれば……


 ぶちんっ!


 背後で何かが勢いよく引き千切る音がし、私は「まさか」と恐る恐る振り返った。


「ひどいな~、クリス」


 彼の周囲に真っ黒な瘴気が漂い、葉音が悲鳴のように響く。色濃くなる暗闇に浮かぶ2つの三日月が笑った。


「人の純情を弄ぶなんて…………君はなんて悪い女なんだ……」

「ひぃっ!」


 私は、悪魔の顔を見て悲鳴を上げた。


「これはもうボクが再教育してあげなくちゃダメだね?」


 これまでに見たことがない深い慈しみの笑みを浮かべている。

 それは一流の画家が魂を込めて描いた1枚の絵画のような美しい笑み。



「ねぇ? ボクの可愛い奥さん?」



 しかし、その額にはきっちりと青筋が浮かんでいた。


「わぁあああああああああああああっ!」

「待て、クリスーッ!」


 身体強化で必死に足を動かしながら、捕まりそうになった瞬間に魔力の糸で急旋回を繰り返す。それでも私を悪魔が見逃すことなくぴったりと後ろについてくる。


「ホント! 嘘だと分かり切ってたのに、少しでも喜んでしまったボクが憎い!」

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさーーーーい!」

「絶対に許さん」

「ひぃいいいいいっ!」


 一瞬でも隙が作ればいいと思い、彼がクリスティーナに固執している事を逆手に取った作戦だったが、逆効果だった。

 それでも逆鱗にまでは触れていないらしい。彼はそれなりに手を抜いて、私を捕まえるギリギリの距離を保っていた。


 私は懐中時計を確認する。時間はあと1分。

 あと1分で、この隠れ鬼が終わる。


「コラーッ! 待てーッ!」


 ──あと、30秒。


 5号を強く握りしめ、魔力の糸を縒り合わせる。


 ──あと10秒。


 汗ばむ手で糸を握りしめた。


 ──5、4、3、2……


(ここだ!)


 私は糸を引き抜き、隠していた人形達がスカートの下から飛び出した。

 そう、これが最後の最後でジェットの隙を付くための苦肉の策。


「うわっ!」


 背後で驚いたジェットの声が聞こえた私は勝ちを確信し、足を止めてすぐさま振り返った。


「やった…………え?」


 私は振り返ってすぐに固まる。私のすぐ後ろにあったのは、ジェットを捕まえているはずの人形達。ヴィンセント人形、シヴァルラス人形、グレイム人形の3体は、芝生の上に転がっていた。


(ジェットはどこに? いや、そんなことより……)


 私は懐中時計を見つめる。時計の針はすでに6時を回っている。

 しかし、6時を知らせるチャイムが鳴っていなかった。



「クリス、捕まえた」


 背後から抱きすくめられた時、ゲームの終わりが告げられた。

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