05 悪魔は友を悪夢に誘う



「あー、楽しかった~っ!」


 ボク、ジェット・アンバーは時計塔の屋根に腰を下ろして、軒の外へ放り出した足をブラブラと揺らす。

 ヴィンセントは予想通りに叫び声をあげ、クリスもなかなかの反応をしてくれる。今回の彼女は今までの世界線の彼女より、身体強化のうまみを生かして逃げていた。


(あれは誰の入れ知恵かな……?)


 今までのクリスよりも身体強化の質が上がっている。誰かにコツでも教えてもらったのだろう。身体強化が得意なのはブルースだが、彼ではないだろう。考えつくとしたら、シヴァルラスの兄、第2王子マーシャル。そしてクリスの兄、クォーツ。


 しかし、クリスの逃げ方はボクが知るマーシャルとクォーツの動きとは戦術が異なる。


(となると、前世の記憶ってやつかな……厄介だな)


 彼女が生まれる前の世界がどれだけ優れているのか、夢の内容を聞かされたボクには分かる。セピアのチョーカーだって彼女の夢の話を聞いて発明したものだ。

 おそらく彼女はボクが考えている以上の膨大な知識を得ている。まあ、本人の残念な思考と自覚の無さのおかげで上手いこと隠れ蓑になっているが。


(うーん、ますますこの世界線を手放したくなくなってきたなぁ……)


 今のクリスは今までのクリスに比べて物事に置いて柔軟性がある。

 シヴァルラスとクリスの仲もボクが求めている範囲で良好だ。

 ヴィンセントはクリスに恋をし、彼女から離れることもない。

 理由は分からないが、ブルースにとってイヴは恋愛対象外。

 問題はグレイムだけだったが、あの鈍感はストレートに言って扱いやすい。


 イヴ・ラピスラズリの魔力奪取が徒労に終わっても、それなりにボクの望みに近い未来を得ることができるのでは?


(それに今のクリスなら……)


 今まで世界線で見た彼女の笑顔が脳裏を過り、ボクは考えを振り払った。


(大丈夫、ボクならできる。一度は成功したんだ。この未来だって変えることはできるはずだ)


 ボクは胸ポケットから懐中時計を取り出す。

 時間は30分を越えたあたり。


(あと、30分ちょい……)


 まだ時間がある。まだ遊べる。自然と持ち上がりそうになる口元を抑えてボクは立ち上がった。

 残り2人。

 グレイムとシヴァルラスを捕まえれば、あとはクリスと存分に遊べる。

 正直、ブルースがボクの物語とやら読んでいるので、変な入れ知恵をされていないといいのだが。


(まあ、大丈夫だろう)


 彼がボクの物語を読んでいるのなら、ボクはほぼイヴ・ラピスラズリに干渉をしていない。問題視すべき相手は今のクリスだけ。あの勘の良さと奇行とも取れる貴族の娘にはない行動力はボクにとっても脅威に等しい。


 ただ、彼女に唯一欠点があるとするなら──今までのクリスに比べて彼女は素直アホすぎる。


(まあ、そこが可愛いんだけどね……おっ?)


 見覚えのある銀灰色の頭と金髪が見えた。

 ボクは足に魔力を集中させ、2人がいる第2校舎裏まで一気に跳躍する。


「殿下とグレイム、見ぃ~つけっ!」


 低い地響きと共に砂埃が舞い上がった。頭上から現れたボクに驚いて2人は固まる。

 グレイムが目を吊り上げ、元々悪い目つきがさらに鋭いものになる。


「テメェ、一体どっかから飛んできたんだ!」

「え? 時計塔から?」

「時計塔からどんだけ距離があると思ってんだよ!」


 うん、これはなかなか胸がすく怒声。ヴィンセントの次くらいに好きかもしれない。この間の腹いせにシヴァルラスと遊んでやろうかと思ったが、彼をいじり倒したい気持ちに駆られる。自重しろ、ボク。


「まさか2人とも同じ場所にいるなんて思わなかったなぁ~! さあ、2人とも慌てふためいて逃げるといいっ!」


 彼らはボクを黒幕だと思っているらしい。ボクを黒幕と言うのなら存分に黒幕を演じてやろうじゃないか。


(ああ、ここにクリスがいないことが惜しいなぁ……)


 クリスがいたら「この鬼っ! 悪魔……って悪魔だったわね!」と1人でボケからツッコミまでやってくれたに違いない。合いの手が欲しい。せめて5号だけでもさらってくるべきだったか。いや、5号を持ち出したらそれはそれで怒られそうだ。

 目の前にいる2人は目を合わせてから頷き合い、シヴァルラスが口を開いた。


「ジェット様、君は未来を知っているんだったね?」

「ええ、知っているといっても20代前後の未来ですけど」


 今更なんの確認だろうか。きっとシヴァルラスもグレイムもおおよその事情はブルースとクリスから聞いているはずだが。

 シヴァルラスの夕暮れ色の瞳にかげが落ち、緊張した面持ちでボクを見つめる。



「君は私達に重要な事を話していないね?」

「重要なこと?」



 確かに未来を大きく変えない為に話せる内容は限られてくるが、彼らが気になるような事を話していなかっただろうか。

 首を傾げてしまうと、ボクがしらばっくれていると思ったのだろう。しびれを切らしたグレイムの眉間に深いしわが刻み込まれる。


「イヴを狙うことに、テメェに何も利益がねぇだろ! テメェが言っているのはこの国の問題だ!」

「もし利点があるとしたら、君のお気に入りのクリスティーナ嬢に関係があるということだ。彼女の未来に一体何があるんだい?」

(ああ、なるほど?)


 ボクは思わず目を細めた。ボクがやっていることはクリスが言った通り自己満足に等しいが、ゆくゆくは未来に影響を及ぼす。

 ヴィンセントやブルースのように新たに不確定な要素を増やす必要はない。


「え~? やっぱり大事な友達には安穏な暮らしを送って欲しいと思うじゃないですか~っ!」


 ボクはもっともらしい事を言ってみるが、ボクがとぼけている事なんて一目瞭然だ。いくらなんでも2人が納得するわけがない。あの腹黒狸もボクに何を言っても無駄だと諦めたのだろう。一瞬、夕暮れ色の瞳を曇らせ唇を一の字に結んだかと思うと、その表情をやわらげた。


「まさかとは思うが……」

「?」


 ボクは小首を傾げる。シヴァルラスの瞳に緊張の色が混じり、躊躇ためらいがちに口を開いた。



「ジェット様は、を知っているのかい?」

「…………」


 ボクはにっこりと微笑んで、隠し持っていた新聞紙を棒状に丸める。



「おやすみ、殿下! グレイム!」


 ばちこーーーーーーーーーーんっ!



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