02 悪夢に溺れた悪魔は足掻き続ける。
忌まわしい未来を回避するためにボク、ジェット・アンバーは魔力が覚醒した日からやり直した。
やり直した世界線は穏やかなものだった。
ボクが人の心が見えることは隠した。でも、悪い事する奴らはボクが直接手を下さず、さりげなく悪事をばらしていった。すると、自然になんでも上手くいった。家族も家臣たちもボクから離れていかない。ボクが大好きな人たちは幸せになれる。
でも、なぜかボクは寂しかった。誰にも本心を見せず、魔力が強い優秀な王子ジェットを演じるのが息苦しかった。
ボクはそんな息苦しさを忘れるために魔法を使い、鏡を通して隣の国を見ていた。人の心を見るのは、昔から嫌いじゃない。様々に色を変える心が綺麗で、ずっと眺めていたかった。
そんなある日、ボクは見つけてしまった。気高く、美しい心を持った少女を。
真っすぐに伸びた黒髪、紫水晶のように澄んだ瞳、そして人形のように狂いの無い洗練された表情。
──クリスティーナ・セレスチアル。
彼女は侯爵令嬢で、人形使いらしい。
ボクは分身を作って彼女に会いに行き、彼女のお気に入りの人形に入り込んだ。
「やあ、クリスティーナ! 初めまして!」
突然、しゃべり出した人形に、彼女は目を大きく見開いた。
「あ、貴方……誰なの?」
「ボクは悪魔さ」
彼女の心は綺麗だった。そして、淑女として完璧な少女だった。
ボクがいたずらをして怒らせても、お菓子を盗み食いしても、彼女の心が揺らぐことはなかった。ボクが心を見えると知っても悪魔だからって納得してくれた。そして、本心を隠さずに接しられる相手を得たボクは、とても嬉しかった。彼女の心は変わらない。その安心感がボクの心の支えだった。
そんな彼女が変わってしまったのは、国の第3王子との出会いだった。恋を覚えた彼女は淑女としてさらに自分を磨いた。心の色は少し変わってしまったが、それでも綺麗だった。ボクは彼女のその心の色も好きだった。
しばらく歳を重ねると、彼女にも友達ができた。ヴィンセントとかいう公爵の子息。意地っ張りでからかい甲斐のあるヤツで、真っすぐな心を持っているバカだった。つい、からかい過ぎてよく彼女にも怒られた。
そして、彼女は大好きな相手の婚約者候補になった。彼女は完璧な淑女だ。誰にも劣る事のない、高嶺の花。きっと彼女は他の女性に打ち勝って彼と結婚するだろう。
ボクは本格的に公務に参加することになる。だから、ボクは彼女にお別れを告げることにした。
──さようなら、クリスティーナ・セレスチアル。
──ボクの初めての友達。大好きな人。
彼女が王族に嫁げば、きっとボクと会える日があるかも知れない。もし彼女に会えた時、きっとびっくりするだろう。そして、彼女に会えたら、ボクは幸せそうな彼女に「おめでとう」と伝えるつもりだった。
でも、未来は違った。彼女は大好きな相手と結婚できなかった。
──なぜ? 彼女は完璧な淑女だ。それなのになぜ選ばれなかったんだ?
聞けば、彼女の大好きな相手は別の女性を結婚したらしい。それも、婚約者候補にも挙がってない上に、彼女の家とはあまり仲がよくないラピスラズリ家の令嬢。しかも、その令嬢は元々平民出身だったらしい。
──どうして?
完璧な淑女である彼女がなぜ平民出身の子に負けてしまったのか分からなかった。
ボクは彼女が婚約者候補から外されたのを知り、婚約を申し込むため、彼女に会いに行った。しかし、もう彼女の心は以前のように綺麗ではなかった。
あの時、ボクに向けられた笑顔は──
そして、ボクはまたやり直した。
ボクは再び彼女に出会い、再び別れを告げた。そして、こっそり彼女の様子を見に行った。
彼女の大好きな相手と結婚する少女、イヴ・ラピスラズリ。見た目は可愛いし、心も綺麗な子だった。しかし、淑女としてはあまりよろしくない。さらに彼女は人の心に干渉する不思議な力を持っているらしい。
クリスティーナの大好きな人、そしてヴィンセントと話す度に心の色が変わっていった。時には心を浄化し、時には心を穢していった。
──彼女は何者だ?
彼女を知れば知るほど、心が見えるだけで悪魔と呼ばれたボクよりも悪魔な少女だった。
悪夢の箱も、心の強奪事件も、全て彼女が無意識に心を変えた者の仕業だった。
ボクは何度もやり直し、クリスティーナが幸せな未来を模索した。
──どうやったら、彼女は幸せになれる?
──どうやったら、ボクの大好きな人はまた笑ってくれる?
心を掃除する力を持つ悪夢を調教し、心が歪み切る前に安定化を図った。
あの女の魔力を奪おうと、悪夢の箱を生み出した。
しかし、どれも上手くいかない。
別れを告げず、できる限り彼女の傍についても、ボクは王族で公務や自分の学校もある。休みの日や夜に会いに行きイヴ・ラピスラズリから遠ざけようとしても、彼女はクリスティーナとは同じクラスで、互いに侯爵家。接点がありすぎた。
完全に心が歪んでしまえば、悪夢の力を利用したとしても、応急処置にしかならない。
ボクは彼女のお気に入りの人形に入り、落ち込む彼女を励まし続けた。
『大丈夫だ、クリスティーナ。君は完璧な淑女さ。あんな女に負けるはずがない。君は何も悪くない。悪いのはあの女さ』
心が大きく歪んだ彼女をどんな励ましても、その心の穢れは戻ることはなかった。
そして、最悪な事件が起こる。
イヴ・ラピスラズリの魔力に当てられたクリスティーナはボクが隠していた悪夢の箱をヴィンセントと使い、イヴ・ラピスラズリの心を奪った。
結果、2人は国外追放。
王族であるボクは友好国である隣国を追放された者に手を差し伸べることはできない。
ボクはクリスティーナも、ヴィンセントも大好きだ。大好きな人が苦しむのは見たくない。
ボクはもう一度やり直し、今度こそ彼女の心を歪ませない未来を手に入れた。
あとは悪夢の箱で、あの女の魔力を奪うだけだ。しかし、どういうわけか、クリスティーナが悪夢の箱に触れてしまい、眠りについてしまった。ボクが彼女を連れ戻すために夢の中へ迎えに行くと、彼女はボクに言った。
『ねぇ、聞いて! 私、イヴ様と友達になったのよ』
声を弾ませ笑顔でそう告げた彼女に、ボクは信じられなかった。
『クリスティーナ、君は騙されている。あの女は酷い女だ。すぐに君の大好きな人を掻っ攫っていくよ?』
そう言ってもボクの言葉は彼女には届かない。悪魔のボクの言葉は受け入れてもらえず、彼女はあの女を選んだ。
そして、彼女は裏切られ、心に深い傷を負った。
事実上婚約したという形で、療養のために異国の地に移り住んだ後も、その傷は癒えることなく、ずっと深窓の麗人として社交界にも顔を出すこともなかった。
こうして、ボクはまたやり直した。
──今度こそは大丈夫。今度こそは……
そう、聞き分けのない子どものように、何度も言い聞かせる。
今度の世界線は、ボクが知らない世界線。
彼女に取り憑く悪魔じゃない。
ジェット・アンバーとして、初めて介入する世界線。
今度こそ、ボクは──。
◇
「ん……?」
生徒会室でクリス達が作戦会議をしている間、ボクは階段に腰を掛けて転寝をしていたらしい。肩に乗るセピアが低く鳴いてゆっくりと尻尾を揺らす。
「うん……大丈夫だよ……」
この世界線は理想に近い形に近づいていた。ようやく望んだ未来が手に届きそうなところまで来ている。
きっと大丈夫、間違えればまたやり直せばいい。今のボクはそれを実現できるだけの力がある。しかし、この世界線を手放すのは正直惜しい。
シヴァルラスと婚約できなくても、今の彼女は傷つかない。
クリスとヴィンセントが喧嘩別れなんてしない。
大好きな人と、大好きな友達と一緒に笑い合いながら学校に通える。押しつぶされてしまいそうなほど、幸せな世界線。
夢の6年間の延長線上にある、たった2か月の夢にボクは一度目を瞑る。
『あの人は、私を選んで後悔しないかしら……』
前の世界線で見た彼女の笑顔を思い出し、ボクはポケットに入った悪夢の箱を握りしめた。
「後悔なんてしてないよ……」
後悔なんてするはずがない。彼女にボクの言葉が届くなら、ボクは何度だってやり直せる。
──そう、何度でも……
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