16 悪夢の箱(6)
最善の未来。
彼がいう未来が、それが本当に最善なのか。
魔力を失った彼女はきっと貴族社会から追い出され、元の平民の暮らしに戻るのだろう。それはどの未来にとっても平凡で、当たり障りのない未来なのだろう。ゲームでも彼女が平民の生活に戻りたいと願うシーンもあった。
しかし、もし失敗してしまったら? もし、彼女の魔力を奪った未来でまた何かがあったら?
「……だめ」
「……」
震える口からようやく出た言葉だった。
「ダメよ、ジェット……」
きっと彼は何度でも繰り返す。
求めていた未来が待っていたとしても、その先に再び何かあれば、また彼はやり直すだろう。
ボタン1つでやり直しが利くゲームのように、試して、消して、試して、消して、何度も、何度も。
「そんなの、ジェットがツラいだけじゃ……!」
「…………君が……1番の被害者なんだよ?」
伏目がちに私を見つめる瞳がわずかに揺れ動いた。
「今の君は息の抜き方も人の接し方も上手だけど、今までの君は自分にも他人にも厳しかった。だから彼女とよく対立して魔力に影響を受けた君はどの未来でも心に癒えない傷を負う」
かすかに彼の唇が震えたように見え、彼は私の頬に触れる。
「プライドはズタズタにされて、大好きな人を取られて、仲が良かったヴィンセントと喧嘩別れをして……あの女は君から何もかも奪っていく。ボクは……君に幸せになってもらいたい……それがボクの願いだ」
ようやく口にした彼の願いに、私は胸が痛くなる。
何故、彼はそこまでしてクリスティーナに執着をするんだ。彼の願いの先に彼は本当に幸せになれるのか。
「幸せ……? 私の幸せって何よ……」
「え……?」
驚く彼の赤い瞳を見上げ、私ははっきり言ってやった。
「私の幸せを望んでくれたなら、私がシヴァルラス様とイヴのイチャイチャを見たいって言ったら、貴方は協力してくれたの? 私がシヴァルラス様と結婚したいって言ったらそうしてくれたの?」
そう私がまくしたてると、彼の瞳に戸惑いの色が混じる。
彼が知る私の未来が一体どんなものなのか、私にはわからない。しかし、私の幸せを望んでいるとしても、私の望むことなんて彼は何も理解していないのは確かだ。
彼が願う私の幸せは、彼の自己満足だ。
「私はクリスティーナがシヴァルラス様の事を大好きだったことも知ってる! 確かにイヴに負けてプライドがずたずたになったかもしれない! ヴィンセント様と喧嘩して落ち込んだかもしれない! でもそれをあなたに不幸だって言ったわけ⁉ クリスティーナを知ってる私だから言わせてもらうわ! クリスティーナはぜッッッッたいに言ってないわ! 口が裂けてもそんな不幸だなんて言わないわ! 絶対に!」
あのプライドの高い完璧な淑女のクリスティーナが、昔馴染みとはいえ彼にそんな事を言うわけがない。ゲームで数々のルートで登場したクリスティーナを見てきたが、彼女はイヴに負けても凛として前を向き、負け惜しみも泣くこともなく、イヴを褒めたたえた。
淑女の中の淑女の彼女は、自分が不幸だなんて言わない。それでも前を向いて立てる少女だ。
「いつどこのクリスティーナが言ったのか知らないけど、今の私の幸せを押し付けないで!」
私がそう言い切ると彼はぽかんとした顔で私を見つめ、沈黙が流れた。その沈黙は彼によって破られた。
「ふふっ……あはははははっ!」
突然腹を抱えて大笑いジェットに、私はびくりと肩を震わせる。
他の皆も笑い出したジェットを心配そうに見つめ、彼はひとしきり笑うと目に滲んだ涙を拭った。
「あー……そうだね。うん。確かに今までのクリスはそんなこと言ってなかったよ……でも、ボクの結論は変わらない。彼女の魔力奪取が最善の選択だ」
「最善? 笑わせないで! 貴方はきっとどの未来にたどり着いても、きっとまたやり直すわ!」
私はジェットの胸倉をつかんで、睨みつけた。
「私と勝負しなさい、ジェット! 貴方が知るクリスティーナが一体、どんな女か。貴方が知る未来にどう抗うか見せてやるわ!」
堂々と啖呵を切った私に、ジェットは口元を持ち上げる。
「勝負? ボクにババ抜きも勝てないクリスが?」
「そうよ、私が勝ったらみんなで一緒に最善の未来を考えて……それから……」
「それから?」
憂いを帯びた瞳が私の姿を捉えた。その瞳に映るクリスティーナは強く彼を見つめる。
「もう……やり直さないで……」
彼の瞳に映るクリスティーナが、唇を震わせながら願いを紡いだ。
彼は大きく目を見開いた後、「ぶっ」と失笑する。
「ふふふっ……そっかー……そうだよね。君が勝ってまたボクがやり直しちゃったら、元も子もないもんね。いやー、考えてなかった」
彼は天使のような笑みを浮かべ、嬉しそうに口元に手を置いた。
「そうだね、じゃあボクが勝ったらどうしようかなぁ~」
「貴方はイヴの魔力を取るんでしょ?」
「そっちは条件2つあるじゃん? それに、ボクもやる気が出るような条件ないとつまんないなぁ~」
彼はニコニコしながら「ん~何がいいかなぁ!」と言葉を繰り返して、手のひらを打った。
「そうだっ! 休学してボクと結婚して!」
「はぁああああああああああああ⁉」
笑顔で突拍子もないことを言い出した彼に、私がそう叫んだのも無理はない。
(え、結婚? いや、それならなぜ休学を……ん?)
なぜ彼と結婚しなくちゃいけないのかとか、なぜ休学しないといけないのか、色んな考えをすっ飛ばすように大きく首を横に振った。
「あ、貴方っ! な、何言ってるの⁉」
「実はボク、未来でどうしても結婚しなくちゃいけなくて……でも、ボク色んな世界線を渡りあるいてるけど、結婚なんて1回しかしてないし、独身で終わった未来もあるし、このままだとちょっと困っちゃって」
冗談にしか聞こえない彼の口ぶり、しかしこちらを見つめる目は本気だった。
私は蛇に睨まれたカエルのように身を固くしてしまう。
「それにボクが負けたら、もうやり直せない。自分が望む未来を放棄するんだよ? だから、君も自分の未来を諦めて」
ジェットは形の良い唇を持ち上げ、私の耳元でささやいた。
「他人の未来を賭けるより、自分の未来を賭ける方が真剣になれると思わない? ク・リ・ス?」
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