15 悪夢の箱(5)
彼が言い放った言葉に、私も、ブルースも絶句する。
(イヴに人の心を癒す魔法がない?)
いや、そんなはずはない。ゲームではシヴァルラスも、ブルースも、グレイムも、そして、クリスティーナも彼女の魔法で心を癒され、彼女と絆を深めていった。
私が好きだったシヴァルラスルートも、彼女の魔法と後押しによって彼は前に進むことができた。
「そんなはずがない!」
私の心を代弁するかのように、ブルースが叫んだ。拳を震わせて睨む彼に、ジェットは冷たく瞳を光らせた。
「あるんだよ、ブルース。君達は致命的な勘違いをしている」
淡々と告げるジェットは、ドラゴンが持ってきた鳥籠にかかっている布を取り外す。
鳥籠から出てきたボールようだと思っていた生き物は悪夢だった。
「なんでボクの国では、赤い目は悪魔の目だって言われているのか。それは覚醒した魔力で赤く変色した目を持つ者は、特殊な力を得るからだ。ボクの場合は、人間の心の色が見える」
彼の瞳が煌々と輝きだした。赤く輝く瞳は綺麗にイヴの姿を映していた。
「そして、その女の力は──人の心を操作する力なんだ」
「──え?」
全員の視線がイヴに注がれる。
突然告げられた事実に、彼女は顔を真っ青にし、口を覆う手が震えていた。
「ボクは繰り返してきた世界線の中で、彼女と関わってきた人間の心が急激に変化する様子を見てきた。君が好意を持つ相手は好意的に心を傾かせ、嫌だなと思った相手はその心が黒く蝕んでいった。学園に通う令嬢達を、君は少なからずこう思ったんじゃないかな? 『なんかあの人達、嫌だな。感じ悪いな』って」
イヴの赤い瞳が大きく見開かれ、そんな彼女を見てにやりと笑った。
「魔力は感情に左右されることが多い。魔力を上手く扱えない君は無意識下で心を操作していたんだ」
攻略キャラが彼女に恋をするのも、クリスティーナやヴィンセントが嫉妬に狂ってしまったのも、全てイヴの魔法のせいだというのか。
私は改めて乙女ゲームのタイトルとキャッチコピーを思い出す。
『センチメンタル・マジック』
『貴方の心に魔法をかける』
タイトルもキャッチコピーも、なんて皮肉を含んだものなんだ。
「ホント、悪魔みたいな女だよ。どの未来でもその女は厄介ごとしか運んでこない」
彼はそう吐き捨てるようにいうと、シヴァルラスとヴィンセントに目を向ける。
「シヴァルラス様は直前まで婚約者として決まっていた相手を蹴ってその女を選んだせいで、貴族の勢力バランスは崩れるし。ヴィンセントはクリスとケンカ別れまでしてその女を選んだのに、ラピスラズリ家が隠れてやっていた悪事が明るみに出て、レッドスピネル家も大混乱さ」
次々と明かされる未来に、誰もが口を閉ざした。
(そういえば、そうだ……)
ブルースエンドで明かされたラピスラズリ家の内部事情は他のルートでは触れることはない。
ゲームでは各攻略キャラの物語は、他のルートでは触れられることなく進むこともある。もし、各キャラが抱えている問題が、そのまま現実に反映されるならゲームでハッピーエンドとして語られた未来は、ほんの一部でしかない。
「ボクは何度も世界をやり直し、最善の未来を模索した。そして、この学園で起きる事件を知ったんだ」
悪夢に心を奪われ、眠り続ける事件。このゲームの最大のイベント、悪夢の箱。
「君達が悪夢の箱と呼んでいた箱は、彼女の力で心が歪んだ生徒が偶然生み出したものだった。最初の悪夢の箱は、歪んだ心を吸い寄せるだけの箱だったんだけど……ボクはそれを見て、いいことを思いついちゃったんだよね」
彼は天使のような笑みを浮かべて、胸ポケットに手を入れた。
「本物の悪夢みたいに、あの女の魔力を吸っちゃえばいいんだ」
まるで思いついた悪戯を語る彼の手には小さな白い箱が握られていた。
信じられない思いで私は彼を見上げる。
「じゃあ、ジェットの目的は……」
「ボクの目的は、イヴ・ラピスラズリの魔力奪取及びラピスラズリ家の取り潰しだ」
ジェットはそういうと、白い箱を手遊びするように宙に放り、それをキャッチすると指の上でくるくると回して見せる。
「ラピスラズリ侯爵はその女の力の価値に気付いている。正直、その女もラピスラズリ家もロクでもないし、ぶっ潰しちゃっても問題はない」
彼は手元にある小さな箱を握りしめ、にっこりと微笑んだ。
「前の悪夢の箱は未完成だったせいで、前のクリスにも、その前のクリスにも迷惑かけちゃったけど、今度の箱は大丈夫。最悪、心まで吸っちゃっても、責任を被るのはボクだけだし……この世界線を手放すのは正直痛手だけど、またやり直せばいい」
笑顔で言い切った彼に私は絶句する。
またやり直す?
また彼は6歳からやり直して、同じことを繰り返していくのか。
彼はそれで本当にいいのか。
私は彼を掴んでいた手にさらに力を込めた。
「どうして……」
「?」
彼がきょとんとした顔で私を見下ろす。
「どうしてジェットがそこまでしようとするの? それにまたやり直すって……ジェットはそれでいいの?」
彼が言う『この世界線を手放す』という言葉は理解できない。しかし、時を戻すというなら、また彼は幼い頃に戻って、何食わぬ顔で私の目の前に現れるのだろう。
『やあ、クリス! 初めまして!』
お決まりの挨拶を口にして。
『ふふーん。ボクはキミと違って経験豊富だし、女性をエスコートもリードすることも他の誰よりも上手だよ?』
誰よりも私に合わせたステップを踏んで。
『クリスが大人になっちゃうの……やだな…………大人になんてならないでよ、クリス』
願いの本当の意味は誰にも届かない。
また彼は、一人ぼっちになる。
いや、今も彼は──……
私を見下ろす赤い瞳は静かに翳を落とし、そして優しく微笑んだ。
「…………うん、これでいいんだ。これがボクの考える……最善の未来だ」
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