06 幼馴染の呼び名戦争

 私達は談話室に足を向ける。普段は歩調を合わせてくれる彼が珍しく早足で先を歩く。消灯時間が近いので急いでいるのだろう。


「お前は、ジェットの話をどう思う?」


 唐突に彼がそう口を開き、私は彼を見上げる。


「多分、私達に誓ったことは本当なんだと思います……」

「アイツは誤魔化すのが上手いからな……それが本当だとしても、きっとその裏に何か隠してるぞ?」


 ヴィンセントも散々彼に弄られてきたのだ。実際に私もそう思う。彼が簡単に誓うということは、真実は別のところにありそうだ。

 談話室に来ると、彼は自分が座っていた場所に行き、再び腰を掛けた。


「あれ? 忘れ物は?」

「そんなの口実だ……お前にも聞きたいことがあるからそこに座れ」

「え、男女が2人きりで1室にいるのは……」

「どうせやましい話じゃないんだ。ジェットは2人が捕まえているし、他の誰かに聞かれても分かる話じゃない。扉を開けておけば、そんな気がないことは分かるだろ?」

「わ、わかりました……」


 私はあえて彼から少し離れた椅子に座ると、ヴィンセントは頷いた。


「まず、再確認なんだが、アイツは本当に子どもの頃から一緒にいたのか?」

「はい、6年の間、一緒にいました。実はヴィンセント様やシヴァルラス様と一緒に遊んでいた時もそばにいたんですよ?」


 彼はそれでも信じられないという顔で頬杖をつき、私が抱えている5号に目を移した。


「じゃあ、その人形はアイツがモデルか?」

「はい。あと、あの腹話術は私じゃなくて、全てジェット様の仕業です」


 私がそう暴露すると、彼は膝に乗せていた肘を大きく滑らせた。そして、ばっと私に顔を上げた。



「初めて会った時に『チビ』だ『クソガキ』だって暴言を吐いたのは?」

「ジェット様です」


「小さい頃に妹のダリアの相手をしてたのは?」

「ジェット様です」


「じゃ、じゃあ……2年間、ジェット人形が喋らなかったのは……?」

「ジェット様が実家に帰っていたからです」



 ヴィンセントはそっと頭を抱え、ため息をついた。



「……クリスティーナ、オレとシヴァ兄はお前に大きな勘違いをしていたようだ」

「ええ、たぶん私が考えている以上に大きな勘違いをなさっていると思います」



 数々の暴言、問題行動、ほとんど彼の仕業である。これで私の名誉が挽回されたも同然だ。きっと彼は私とジェット人形の思い出を振り返っているのだろう。それでも整理しきれないほど、彼が悪魔として過ごしていた6年の時は長すぎる。


「もう1つ確認させてくれ……お前がシヴァ兄に向けている感情は本当に憧れなんだな?」


 一体なんの確認だろうか。確かに私はシヴァルラスの婚約者候補になる為に研鑽を積んできたが、私はちゃんと答えてきたはずだ。


「何度も言っているでしょう……ずっと憧れだったって」


 前世の頃から好きで、顔も好きだが、それは恋愛感情でない。だから胸を張って言うことができる。私がそういうと彼は両手で顔を覆い、長く息を吐いて長い足を前に投げ出す。



「分かるか、バカ……」



 呟くように文句を言われる。なぜ、私が文句を言われなければならないのだ。私は「そんなこと言われても」と返すしかなかった。


 彼はこちらに顔を向けないまま言った。


「お前はオレと出会う前からオレを知ってたのか?」

「え、ええ……知ってましたよ?」


 彼としては少し気まずいものがあるだろうが、それはこちらも同じ事だ。なんせゲームの彼はイヴに恋をしていたのだから。


「じゃあ、お前は……見たのか? その、イヴ・ラピスラズリとオレが……恋をする物語を……」


 気まずそうにそう口にするヴィンセントに私は首を横に振る。


「いえ、見ていません」


 彼が口を開けたままこちらに顔を上げた。


「は?」

「実は私、ヴィンセント様とジェット様の物語は見ていないんですよ。友人があまりにもヴィンセント様の物語を勧めるので、最後に見ようと思って……」


 私がそう言うと、彼は再び顔を両手で覆い、地を這うようなため息をついた。


「ホント、バカか……」


 そう彼が呟いた言葉が一体何に向かって言ったのかは私には分からない。


 顔を上げた彼は不貞腐れたような顔を私に向けた。


「クリスティーナ……お前……オレのことは呼び捨てにしないのに、ジェットのことは呼び捨てなんだな……」


 急に何を言い出すんだ、彼は。

 あまりにも唐突な話の切り出し方に、私は怪訝な目をすると、ヴィンセントは続ける。


「ブルースとアイツの話していた時は呼び捨てだった。ってことは、普段は呼び捨てなんだろ?」


 私は前世の事を彼に話していた時は敬称を抜いていた事を思い出した。キャラクターや有名人を呼び捨てにしてしまう癖で喋っていたが、そもそもジェットと2人きりの時は昔のように呼び捨てだ。


 かつて、ヴィンセントに呼び捨てで呼べと言われたことがあったが、幼馴染であっても彼は公爵家の子息だ。呼び捨てなんてできるわけがない。



「ヴィンセント様は公爵家でしょう?」

「アイツは王子だぞ?」



 痛いところついてくる。私はなんとか彼を言いくるめようと思考を巡らせる。


「か、彼とは出会い方が違いますから……それに人前ではちゃんと敬称をつけていますよ?」

「なら、2人の時にオレを呼び捨てでも構わないよな?」


 彼は膝の上に肘をついて口元で手を組んだ。彼の目から「イエスというまで逃がさない」という強い意志を感じる。昔、「はいと頷かせるまで屋敷に帰さなければよかった」と言っていたので、きっと私の読みは間違いではないだろう。



「ヴィンセント様、それは恋人です」

「ジェットは恋人じゃないだろ? さらにアイツはお前を愛称で呼んでるぞ? それこそ恋人じゃないのか?」



 確実に彼は私に「はい」と言わせる気でいる。しかし、そこまで彼が意固地になる理由がわからない。親しい友人だと思っていた相手に自分は愛称呼びも呼び捨てもしてくれないのに、他の友人だけ許されている。それに妬いているのだろうか。いや、妬く理由がわからない。


(ここまで言われてしまうと……いや、2人きりでも呼び捨てや愛称呼びはなぁ……)


 様々なものを天秤にかけたとしても、彼を呼び捨て、さらに愛称呼びを許すのは今になっては遅すぎる。対外的に考えても絶対に天秤がヤバい方向へ傾きかねない。そして、それを許したことを知ったジェットが拗ねるのは目に見えている。


 しかし、彼に目を向ければ、こちらに剣呑な目をやって「おかしいなー……なんでだろうなー……」といつぞやに聞いたことがあるような言葉を呟いていた。



「ヴィンセント様……なんでそこまでジェット様と張り合おうとするんですか……」



 呆れたように私がいうと、彼は青い瞳を鈍く光らせた。



「なんで張り合うかって……クリスティーナ、オレは……な……」



 彼は途中で言うのをやめ、一点を見つめて動かなくなる。まるでネジが切れた人形のように、本当にぴたりと止まった。


「どうしたんですか?」


 彼の視線の先は私の後ろに注がれる。私は彼の視線を追って振り返り、そして絶句した。


 私の背後にあった窓に2つの紫色の光を放つ白くてぼんやりしたモノがこちらを凝視している。


 見つめ合うこと数秒。


 ヴィンセントが無言で窓へ駆け寄り、カーテンを閉めるとすぐさま私を小脇に抱えて談話室から飛び出した。身体強化をしたせいか、その間10秒もなかったと思う。

 そして管理人室の扉を叩きまくり、驚いた顔をして出てきた寮父に向かってたった一言。



「出たぁ!」



 ビビりな癖に叫び声を上げずに逃げてきた彼を誉めてあげたいが、小脇に抱えられて目を回していた私には無理だった。


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