07 悪癖



 懐かしい夢を見た。

 熱で魘されている時に見る夢が、前世の記憶だと気づく前。


 私は兄とかくれんぼをしていて、物置に隠れていたのだ。


(ここならお兄様にも見つからないわ)


 息を潜めて隠れる私の後ろで、コトンと小さな音がした。

 私が振り返ると、大きな姿見のカバーが揺れている。そして、そのカバー下から男の子が現れたのだ。


 柔らかそうな癖のある金髪、やや釣り目の赤い瞳をしたその男の子。

 彼は私と目が合うと天使のような笑みを浮かべてこう言った。


「やあ、クリス! はじめまして!」


 兄と同い年くらいだろうか。背が高く、男の子なのにヒール付きのブーツを履いているのが印象的だった。


「だ、だれ……?」


 何故、彼は私の名前を知っているのだろう。驚く私に反して、彼は嬉しそうに声を弾ませた。



「ボクの名前はジェット。悪魔さ」



 これが、私とジェットの出会いだった。



 ◇



 私は顔にかかる眩しさに気づいて、ゆっくりと目を開いた。


 そこは寮の自室。昨夜は寮母に管理人室に泊まるか聞かれたが、結局、強がって自分の部屋で寝たのだ。ちなみにヴィンセントは迎えに来たジェットに回収されていった。


 幽霊を見たかもしれないと訴えるヴィンセントに対して「幽霊なんているわけないじゃん」と、かつて自ら悪魔だと名乗っていた男は一蹴いっしゅうした。


「ホント、何だったのかしら……」


 私はそう呟きながら身支度を整え、食堂に向かう。


「あ、おはよぉ~、クリス……」


 食堂の一角でヴィンセント達と座っていたジェットが大きなあくびをしながらこちらに手を振っていた。


「おはようございます。ブルース様以外みんな眠そうですね……」


 ヴィンセントはうっつらうっつらと船をこぎ、グレイムはテーブルに突っ伏していた。いかにも徹夜で遊び貫きましたという3人に対して、ブルースはきっちりしており朝食のトーストをかじっていた。


「昨日はブルースが熱くなっちゃって……ヴィンセントとグレイムが寝落ちしても、トランプに付き合わされてさ……」


 彼は赤い瞳を眠たそうにしながらコンソメスープを口に運んでいた。


 昨日、大富豪に負けたのが相当悔しかったのだろう。スピード、神経衰弱、ドボンと2人でできるものをやっていたらしいが、ブルースは「イカサマしてるんじゃないかって思うくらい惨敗でした」と不機嫌そうに語った。


 ちなみに、私はババ抜きすらジェットに勝てたことがない。


「楽しかったですか?」


 私がそう聞くと、ジェットは少し照れながら頷く。


「うん、楽しかった……」


 友達と徹夜で遊ぶなんて前世の私でもあまり経験したことがない。王族の彼ならなおのことだろう。


「でも……もうしばらくトランプはいいかな……」


 満足した、というよりりたといった方がしっくりくる言い方に、私はつい笑ってしまった。


(本当、ジェットは黒幕なのかしら……?)


 彼がイヴに手をかけるなんて微塵にも思えない。現に昨夜だってイヴを遊びに誘っていたくらいだ。ヴィンセントや私のように遠慮なくちょっかいを出すことはないが、彼女への扱いはむしろ丁寧に思える。正直、私より女の子として扱っているのでは?と感じるほどだ。


 昨日、自室に戻って彼との思い出を振り返ってみたが、やはりジェットルートのカギになるようなことは思いつかない。


 食事を終えた後、ブルースはイヴと合流し、ヴィンセントとグレイムを連れてどこかへ行ってしまった。


「あの、ジェット様?」

「ん~? 何~?」


 まだ眠たそうに間延びした返事をする彼に、私は言った。


「少し、お時間をいただけませんか?」

「え?」



 ◇



 私は寮の裏手にある温室にジェットを誘った。人目につかれたらまずいので、ジェットに頼んで姿を見えなくする魔法をかけてもらい、2人で手ごろなベンチに腰を掛けると、部屋から持ってきたトランプを取り出す。


「久しぶりに2人でババ抜きしましょ?」


 それを見たジェットは赤い瞳を半分にする。


「2人でババ抜きなんてしてもつまらないでしょ?」


 そう言いながらも彼は私からトランプを受け取るとジョーカーを1枚抜いて、適当にシャッフルをした山札を2つに分ける。微妙に量が違い、若干少ない方を私に渡す。


 どうせ捨てるカードの方が多いから、と昔から彼はちゃんと分けないのだ。


 手札のカードがあらかた絞られると、「レディファースト」と私に自分の手札を差し出す。

 私はカードを引いて、そろったカードを捨てると彼に自分のカードを突き出した。


「それで、急にババ抜きしようだなんてどうしたの? もしかして、ボク達が夜遅くまでやってたのが羨ましくなっちゃった?」


 彼は私の手札からカードを引きながら、茶化すように言う。


「そうね……でも、ジェットが友達と朝までバカ騒ぎしたって聞いて、どちらかと言えば少し安心してるの」

「安心? クリスがなんで?」

「ジェットがいなくなった時、ひとりぼっちで寂しくないかって……心配してたから」


 私は、ジェットとお別れをした時、ひどく後悔をしていた。

 彼は黒幕なのだから消えるはずがないと思い込み、その慢心から彼を消してしまうフラグを立てたのではないか。


 前世で読んだ転生もの小説で転生者の主人公と関わることで登場人物の運命が大きく変わってしまう物語もあった。知らず知らず私は、彼を1人ぼっちにさせてしまったのではないかと、ずっと思っていた。


「あの時は、貴方を知っているのは私だけだった。一緒に遊んだり、お茶会をしたり、そんな思い出を共有して、懐かしむ相手は……貴方しかいなかった……だから、安心したの」


 今の彼は私以外に思い出を語る相手がいる。彼の名前を言って、思い出を共有してくれる人がいる。


「ねえ、なんであんな嘘をついたの? 大人になったら見えなくなるって……」


 互いの手札が減っていき、私は彼の手札から1枚引き抜いて捨てると、ハートのAとジョーカーだけが残される。


 ジェットの手元には残り1枚しか残っていなかった。

 彼は1枚1枚指先で触れながら悩む素振りをし、わざとジョーカーを引き抜いた。


 彼の悪い癖だ。


「そういった方が都合がいいと思った……なんて言ったら信じる?」

「いいえ……」


 彼は背中でカードを切って、私の前に出す。

 どちらかがジョーカー。私はさっき彼がやったようにカードに触れながら悩む素振りをし、指を止めた。彼の顔を見上げると、彼は穏やかに微笑んで見せる。


「そっちはジョーカーかもしれないよ?」


 私を困らせるために彼はそういうのは、いつものことだ。私はそのカードを引き抜くと、ジョーカーが笑っていた。


 私はむっとしながらも隠してカードを切って前に出す。


 ジェットはもったいぶったように、「これかな?」「それともこれかな?」と1枚1枚つまんで見せる。それも、私の目を見ながら。昔は私の表情を読むジェットがじれったくて、怒ったこともある。


 そして彼が引き抜いたのは、やはりジョーカー。


 再び私が引く番になり、私はすぐに選んだカードを引き抜こうとすると、彼はそのカードを引かせないように力を込めていた。


「ちょっと、引かせてよ?」

「やだよ、クリスに上がられちゃうもん」

「往生際が悪い……あっ」


 ようやく引き抜いたカードはジョーカー。恨めしくジェットを見ると彼は声を押させて笑っている。


 彼には悪い癖がある。


 はじめは、ただ彼の性格が悪いだけだと思っていた。その癖は、実にどうしようもなく、もう身に染み付いてしまっているのだろう。

 私は彼の前にカードを出すと、彼は唐突に口を開いた。



「夢から覚めるべきだと思ったんだ」

「え……?」



 彼は伏目がちにカードを見つめる。


「ボクはね、君と過ごした6年が本当に幸せだったんだ。それはもう、夢の中にいると思うくらいに……今も……」


 彼が最初に触れたのはジョーカーのカード。彼はそのカードに触れたまま、指を動かさなかった。


「友達と一緒にトランプやゲームブックで遊んだり、おやつのクッキーを取り合ったりしたのも君が初めてだった。まるで本当に幼馴染を手に入れたみたいだった」


 憂いが帯びる瞳は私を一瞥し、再びカードに目を戻した。


「でもね、ボクは……ずっと優しい夢に浸ってはいられないんだ」

「あ……っ!」


 次に彼はAのカードに触れ、それを引き抜いた。


 彼はハートとスペードのAを捨て、にっと口元だけ笑って見せる。そして、私の髪に手を伸ばした。彼は私の髪を弄ぶように指に絡め、私の髪はするりと指から流れていく。



「ねぇ、クリス。君が何を隠してるか今は聞かないであげる。でもね、ボクは欲しいと思ったものは全て手に入れるし、誰にもあげないよ。ボクは強欲だからね……」


 彼はカードを集めると眠たそうに眼を細め、私の膝に頭を乗せて横になった。



「ちょっ⁉」

「というわけで、ババ抜きに勝った強欲なボクは君の膝枕で仮眠をとります。どうせ、誰にも見えてないし……昨日もヴィンセントに独り占めされたしね……」


 責めるように赤い瞳が一瞥したあと、ゆっくり目が閉じられた。しばらくすると、静かな寝息が聞こえ、その呼吸音もゆっくりと深いものに変わり膝にかかる重みが増す。


 完全に寝た。そう察した時、私はため息を漏らした。

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