15 墓穴



 保健室へ運ぶと私達は投げ捨てるようにジェットをベッドに寝かせる。外出中なのか保険医がおらず、ヴィンセントが「先生呼んでくる!」と保健室を飛び出して行った。


「ジェット、貴方大丈夫なのっ⁉」


 魔力を抑えたとは言え、過去に生身で食べない方がいいと言っていた手料理だ。以前とは違い、ジェットは生身で昔のように胃袋から悲鳴を上げていた。かつてヴィンセントが食べた時のように私はジェットの顔を掴んだ。


「吐き気は⁉ 頭痛は⁉ お腹とか下してない⁉」


 私が血相を変えて問い詰めると、彼は嬉しそうな、それでいて困ったような笑みを浮かべる。


「本当に心配性だな……ボクは生身でも変なものは自分の魔力に変換しちゃうから平気だよ」

「ほ、本当⁉ 本当に大丈夫なの⁉」

「うん、平気。本当に美味しかったしね」


 見れば彼の顔色も悪くないし、胃袋から悲鳴も聞こえない。私はほっと胸を撫で下ろすと、ジェットが私の手を掴む。


「ところで、クリス。これはボクを誘ってるのかな?」

「へ?」


 私の手はジェットの顔を包み込むように掴んでおり、私の手の上に自分の手を重ねていた。思わず手を放そうにもきっちりと手を掴まれ、赤い瞳が蠱惑に光り、私の姿を捉えて離さない。


「えいっ」

「わむぐっ!」


 そのまま抱きしめられ、ジェットの胸に顔を埋めるような状態になっている。


(く、苦しいっ! そして硬い……!)


 以前に抱きしめられたからか、まだ私には彼の胸板が硬いと思える程度には余裕が残っていた。なんと言ったらいいのか、まるで温かい壁に顔を押し付けられているような。そう思うとさらに余裕が生まれてくる。


(それにしてもこの壁は無駄に良い匂いがする。違う、そうじゃないっ!)


 暴れようとするもしっかりと抱きすくめられてしまい、全く身動きができなくなる。そもそも、私は普通の女の子より小柄なのだ。ジェットが私の身動きを奪うなんて造作もないことだ。

 しかし、こうしているうちにヴィンセントが帰ってきてしまう。私は顔を上げ、ジェットを睨み付けた。


「こらっ、ジェット! いい加減、放しな……」

「ねぇ、クリス?」


 彼は私の言葉に被せるようにいうと、にっこりと微笑んだ。


「キミ、ボクに何か隠しごとしてるでしょ?」


 一瞬、何の事を言われているのか分からず、ポカンとしてしまう。さらに彼は続けた。


「他の婚約者候補達のいざこざに自ら入って行ったり、殿下とイヴ・ラピスラズリが一緒にいる事に落ち込んでたと思ったら急に嬉しそうにしてたり……昔から君の頭はどこかおかしかったけど、最近さらにおかしいよね? なんかボクに隠し事してない?」

「…………し、してないよ」


 正直、ジェットに隠していることなんて山ほどある。特に前世のこととか、セレスチアル家の面食いの呪いとか。この2つは絶対にバレたくない。


 私がしどろもどろに答えると、彼は「ふーん」と言いながら私と目を合わせようと顔を押さえてくる。ここで目を逸らせば彼は調子に乗って嫌がらせをしてくるに違いない。しかし、彼と目を合わせたら合わせたで心臓を握り潰されそうなことをされそうな気がする。


「本当に隠し事してないの?」

「あはは~、貴方に隠すことなんて……ぎゃあっ!」


 ちゅっ、とわざとらしく音を立てて私の額にキスを落とし、私の肩に捕まっていた5号にもキスをすると私の頭に乗せた。

 ジェットのその突拍子のない行動に、私は悲鳴を上げた後、2年前の事を思い出す。


(え、まさか……)

「うん、思念通話、開通」


 がっつりと心の声が漏れ、私はさーっと血の気が引いていく。

 彼はにっこりと微笑んだまま「ねぇ、クリス?」と形の良い唇を動かした。


「ボクはね、知ってるんだよ?」

「し、知ってるって何を……?」


 一体彼が何を知っているのだろうか。まさか私が1番隠していることを彼が知っているとでもいうのだろうか。


 ジェットは笑みを消し、いつになく真剣な顔に変わる。


「セレスチアル家の人間がどうしようもない面食いで、クリスはシヴァルラス様の次にボクの顔が好きなこと」

「な、なぜバレたっ⁉」


 うちの変態達のおかげでセレスチアル家が面食いの家系だと彼に気づかれても仕方がない。しかし、私はジェットの顔が好きだって1度も言った事がない上にずっと隠してきたはずだ。


「そりゃ、ボクの顔を見て、『ジェット可愛い』ってお姉さんぶったり、『目の保養』とか『美少年』とか呟いてるの聞いたら、嫌でも分かるよ」


 隠し切れないオタク属性の自分が憎い。私はかつてないほど自分を呪った。


(だって、しょうがないじゃない! そりゃ、最推しはシヴァルラスだけど、ジェットの子どもの頃なんて天使そのものだったし、ぶっちゃけ好みの顔だったわよ! そりゃ、マジマジ見るよね! ジェットルートはプレイしたことなかったんだもん!)

「ジェットルート……?」

「────っ!」


 リアルで自分が息を呑むのが分かった。今まで数々の墓穴を掘ってきた自分だが、人生最大級の墓穴を掘ってしまった。

 私が絶句し、ジェットはにやりと口元を持ち上げる。


(あ、悪魔に食い殺される……)


 本能的に私が悟った。

 目の前の悪魔は駄々洩れの心の声が聞こえて、瞬時に元の笑みに戻すと私の顎を捉えた。


「そっか、そっか~っ! まだ隠し事あったんだ? で、何を隠してるの?」


 赤い瞳を昏い光が宿り、このままでは確実に精神的に死ぬような、そうでなくてもこれまでにない嫌がらせをされそうな気がする。


「な、なにもっ、か、かくしてないヨー……というか、顔が近っ……っ!」


 上ずった声で私が言うと、彼の顔がぱっと天使の笑みに変わる。


「え? でも嫌じゃないんでしょ? 昔からボクの顔が大好きなんだもね~?」

「だからってなんで顔を近づけるの!?」

「君が素直じゃないからボクの最大の武器(顔)でキミに迫ってるんだよ? 大人しく吐いて楽になりなよ?」


(拷問だーーーーーーっ!)


 すぐ目の前には天使のような甘い笑みを浮かべたジェットの顔が徐々に近づいてくる。私はジェットにバレてはいけないことを頭で思い浮かべないように、ただジェットの顔を見つめてしまう。


 彼はこつんと自分の額を私に額に当てた。


「クリス、そんなに見つめてると本当にちゅーしちゃうよ?」


 ふっと吐息交じりに笑った彼に私はようやく手放しかけた意識が徐々に戻ってくる。


「それとも本当にちゅーしていいの?」

「ダメに決まってるでしょ! 嫌がらせにキスをしようとするんじゃない!」

「え? 口にして欲しいって? 任せて!」

「そんなこと言ってな……いっ⁉」


 彼が私に頬にキスをし、私は小さく悲鳴を上げると彼はその反応を面白がって肩を震わせる。


「ねぇ、クリス? キスくらい君が相手だったらいくらでもしてあげるよ? さあ、自分で口を割る? そんなに喋りたくないならボクが口を塞いであげてもいいよ?」


 そう甘く囁く悪魔に、私は心臓を鷲掴みされる。恋愛経験が2次元のみの私にはあまりにも刺激が強すぎた。


(つ、潰される! 確実に心臓を潰される! こうなったら無理にでも信じてもらうしかない!)


 私は腹を括り、余計な事を考えないよう意識を目の前のジェットに集中させ、息を大きく吸い込んだ。



「な、何もっ! 隠してません!」

(ジェットの顔が近い!)



「ほ、本当にっ! な、な、何もっ、隠してないの!」

(でも顔がいいっ!)



「たまーに変な言葉とか使ってたりしてたかもしれないけど、本当に何も隠してないの!」

(ああ、睫毛が長いっ! 赤い目が綺麗! あと顔が良い! あ~~~~~~~~、本音オタクと建前がうるせぇ~~~~~~~っ!)



 私は内心頭を抱えながらどうにかこうにか弁明をすると、彼はにっこりと私に微笑みかけた。


「……分かった」


 彼の言葉に私はほっと胸を撫で下ろす。


「ほ……本当?」

「うん、だからちゅーしてあげるね?」

(あ……私、死んだ……)


 私がジェットルートを口走った時点でもう自ら絞首台の階段を上がっていたのだ。今の私の気分は絞首台に立たされた罪人そのものである。


 みるみる近づいてくるジェットの顔に私は意識を半分すっ飛ばして見つめていると、絹を裂いたような叫び声が耳に届いた。


 私もジェットもハッとして顔を離す。


「今の声……イヴ?」


 そう私が口にすると、ジェットが大きく目を見開いた。


「そういえば、クリス……パンケーキを置いてきたよね?」

「で、でも……私の料理事情を知ってるシヴァルラス様がいるんだから誰かが食べるわけ……」


 じゃあ、さっきの悲鳴はなんだ?

 ジェットは私を膝から降ろし、声が聞こえた方へ駆け出した。調理室に近い、昇降口にその人物がいた。


「シヴァルラス様! しっかりしてください!」


 顔を青くしたイヴが倒れているシヴァルラスを必死に呼びかけ身体を揺すっていた。シヴァルラスはまるで深い眠りについたような穏やか顔をしており、いくら呼びかけても目を開けない。私達に気づき顔を上げたイブの目には涙が浮かんでいた。


「どうしたのですか!」

「シヴァルラス様がっ、黒い靄のようなものに襲われて……」


 それを聞いて、私はハッとする。


(ま、まさかこれって……)


 何度も繰り返し見た光景、そして私が待ち望んでいたものが目の前にあった。しかし、私は今、目の前で起きている光景に驚きを隠せなかった。


(なんで……?)

「シヴァルラス様!」


 そう叫んだイヴの目から涙が零れ落ちた時、シヴァルラスの胸元が柔らかな光を放ち、身体を包んでいく。


 その光が徐々に小さくなると、閉じられていた彼の瞼が小さく震えた。


「ん……ん? あれ?」


 開かれた瞼からオレンジ色の瞳がぼんやりとこちらを見上げていた。


「イヴ嬢? それから、クリスティーナ嬢にジェット様まで……?」

「よ……良かった……」


 泣いているイヴがそう言った時、ジェットがシヴァルラスを支えながら身を起こした。寝起きのようなぼんやりとした顔でシヴァルラスがジェットを見上げる。


「ジェット様、ありがとう……」

「何があったかは分かりませんけど、まずは保健室です。イヴ嬢はボクと一緒に殿下を保健室へ。クリスはブルースとグレイムを呼んできて」


 私はジェットの言葉に頷き、イヴからブルースとグレイムは調理室にいると聞いて足を向けた。


 しかし、その足はとても重く、私の頭の中は疑問だらけで目を回しそうだった。


(どうして……どうして今、確定イベントが起きたの?)

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