12 ゴングが鳴る前の舞台裏



 その日の授業が全て終わり、寮での夕食の時間。学食のハンバーグを食べている私の目の前にプリンとカップアイスが置かれ、私は顔を上げた。


 そこにはニコニコと笑うジェットの姿があり、彼は向かい側に自分の食事を置いた。


「今朝のリボンの話だけど、ボクの負けでいいよ」

「え、いいんですか?」


 席に着いたジェットは「ヴィンセントとシヴァルラス様にも言われちゃ、認めざる得ないよ」と彼は肩をすくませて見せた。


「ふふっ、私の言った通りでしょう?」


 得意げに言った私は戦利品のカップアイスが溶ける前に食べようと蓋を開ける。彼がジト目でこちらを見ていたような気がしたが、きっと私に負けて悔しいからだろう。


「それで、明日の勝負は大丈夫なの?」


 コンとアイスに刺したスプーンが小さな音を鳴らす。思っていたよりも冷やされていたようだ。


 私は1度アイスの蓋を閉じると、いつも通りの淑女の笑みを浮かべた。


「ええ、私は完璧な淑女ですから」

「ふーん? まさか克服したの?」


 克服。上達と言われるならまだしも、その言葉を選んだ彼に怪訝な目を向ける。

 ハンバーグを切っていた彼は、「ほら」と視線を別のテーブルに投げかける。その先にはブルースとイヴ、グレイムの姿があり、和やかに食事をしているようだった。


「前に彼女のお弁当を見たけど、なかなか美味しそうだったよ? 普段から作ってるんじゃない?」


 口元を持ち上げるように彼は控えめに微笑む。いつもの子どものような笑みとは違う意味深な笑みに私は淑女の顔を崩さなかった。


「大丈夫ですよ。私も絶対に負けられませんから」


 今回の衝突イベントは一見、ただの好感度の中間発表だが、もし物語がシヴァルラスルートに確定した時、重大なものに変化する。



 それは、バッドエンドへのフラグの第1歩となるのだ。



(絶対に負けないわ……私だってシヴァルラスルートを諦めてるわけじゃないし)


 このイベントはイヴが負けてもキャラの好感度が下がるわけではない。そもそも、イヴが負けることが前提のイベントなのだ。


 クリスティーナのステータスは高く設定されている。もちろんクリスティーナに勝つこともできるが、今のイヴでは無理だろう。本来のイベントだったならば。


「負けられないって……クリスはパンケーキ作れるの?」


 明日の料理のお題はパンケーキ。そんなに時間もかからずに簡単に作れるということで、材料はブルースが食堂の人に掛け合ってくれるらしい。パンケーキくらい前世の私もたくさん作ったことがある。今更不安もない。


「ええ、見事なパンケーキを作ってみせますよ。きっとジェット様も驚きますよ?」

「そうだな、驚くと思うぞ」


 突然後ろから会話に入ってきた声に驚き、私が振り向くと食事が乗ったトレーを持つヴィンセントが立っていた。

 彼は私の隣に座ると、ジェットの愛らしい目が半分になる。


「驚くって?」

「そりゃ、あまりの美味しさに叫びたくなるぞ」


 皮肉の利いたヴィンセントのセリフに、隠れて彼の足を踏もうとも考えたが、淑女の私は堪えた。


「まあ、ブルースが毒見役とやると言ったんだ。心配はいらない」

「そうですね、心配はいりません。ジェット様も明日を楽しみにしてくださいね?」


 そう言って、私は食事を再開した。


 翌日、決戦の時が訪れた。調理室にギャラリーも大勢集まっており、少し不安げにしているイヴ。そして、いつも以上に清廉された淑女の笑みを貼り付けた私は、ブルースに目をやった。


「お題はパンケーキで変わりないですよね?」

「ええ、そうです。トッピングなどはある物を自由に使ってくださって結構です」


 調理台の上にはパンケーキの材料の他にもチョコや果物もある。意外にも種類豊富に用意されていた。


「制限時間は40分。作るのは1人前で大丈夫です」

「あら、そうなんですか?」

「毒見も兼ねていますからね。あと食材を無駄にしてもいけませんし」


 へぇ……と私は内心で呟きながら、彼の言葉を受け流した。


「そうですね。ごもっともな意見だと思います」


 私はそう言って自分の調理台に着き、ブルースの合図で調理が始まった。

 私が小麦粉の袋を手に取ったところで、ヴィンセントとブルースの姿が目に入る。


「おい、ブルース」

「何ですか?」


 2人に背を向けた私はそんな会話を聞きながら、ボウルに小麦粉とふくらまし粉を入れ、淑女の顔を外して、口元を持ち上げる。



「オレは止めたぞ?」

「はい?」


 見てろよ、ブルース。美味しさのあまりに悲鳴を上げるがいい。

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