10 トラブルメーカー、 イヴ・ラピスラズリ



 私、イヴ・ラピスラズリはトラブル体質だ。


 孤児院にいた頃から色んな人にやっかみを受けたり、いわれのないことで嫌がらせをされたりする事もあった。さらに街をあるけば、人の喧嘩に巻き込まれたり事故に遭遇したりと不運と言っても差支えがないほどだ。


 孤児院から出てラピスラズリ家に養女となった日に義兄のブルースに出会ってから、彼の助力もあってそれなりに緩和したかのように思えた。しかし、魔法学園に入ってそれはまったくの勘違いだったことを思い知らされる。


 見知らぬ令嬢達に校舎裏に呼び出されているのが、この状況が今まさにそういうことだ。


「イヴ・ラピスラズリ様ですわね?」

「はい、そうです」


 かなりの大人数の中に見知った顔がある。それはこの間、私に物申してきたシヴァルラス殿の婚約者候補だ。他にもブルースに熱を上げている令嬢達の姿もあった。


(ああ、またこれか……)


 私は状況を悟って、ため息を漏らす。幾度となく見てきた好きな人の取り合い。所謂いわゆる、「私の大好きな男の子を取らないで!」というヤツだ。残念ながら私はただ他の友達を同じように仲良くしているだけなのに、そんな目で見られてしまう。さらに貴族の娘となった時はあまりにも環境の変化に度肝を抜かれた。婚約者だから喋らないでというのは些か無理はなかろうか。用事があれば普通に呼び止めるし、人を通して通して本人に伝えるなんて効率が悪い。


 しかし、貴族の彼女達はこういうのだ。


『これだから平民の出身は』と。


 正直、面倒くさい。ブルースはグレイムと一緒にいた方が幸せだと言っている。まさしくその通りなのだが、正直な気持ち彼は友達なのだ。

 私は彼女達の突き刺さる視線に負けないよう背筋を伸ばした。いつも教室で見る完璧な淑女、クリスティーナのように。


「何が私に御用でしょうか?」


 私の堂々とした態度に、少し相手もいつもと様子が違うと思っただろう。彼女達の代表と思われる令嬢が1歩前に出た。


「私はブルース様親衛隊隊長、3年のレイチェル・レイティンです」


 はい、知っていますと内心で返事をする。


 入学して早々挨拶という名の牽制をしてきた相手だ。


『ブルース様は皆のブルース様。たとえ、義妹でも独占しないで』と言われたのは記憶に新しい。


 そして、別の令嬢が1歩前へ出た。言わずもがな、それはシヴァルラスの婚約者候補の1人。彼女達の中にもう1人の婚約者候補の姿がなく、私は安堵を漏らした。


「私はシヴァルラス様の婚約者候補、フローラ・チェイサーです」


 ブルースの親衛隊、シヴァルラスの婚約者候補が揃えば言われることは分かっている。私は内心で耳を塞ぐ準備をした。


 しかし、──また1歩前に出た令嬢がいた。


「わたくしは、真紅の薔薇とカナリアを鑑賞する会の会長、デラネラ・トムソンですわ」

(うぇええっ⁉ だ、誰⁉)


 新たな勢力が現れ、私は内心でぎょっとする。正直私は、植物や鳥を鑑賞するような気品のある趣味はない。ましてや喧嘩を売るようなこともした覚えがない。いや、知らずに喧嘩を売ったなら仕方がないが。


「あら、どうやらわたくし達の会を知らないようね?」

「は、はい。はじめまして……」


 混乱のあまり挨拶で返してしまった私。真紅の薔薇とカナリアを鑑賞する会(以下、鑑賞会)の会長は、巻きに巻いた縦ロールをなびかせ、真っ赤に口紅を引いた形の良い唇で微笑んで見せた。


「まあ、知らなくても無理がないわ。なんせ、わたくし達の会は隠密するのが常ですもの」

(スパイかなんかですか、貴方達は)


 喉元まで出かかった本音を飲み込み、弱さを見せないように平静を装った。


「そ、それで……なんの御用でしょう?」


 そう言うと代表者3人はカッと目を見開いた。


「シヴァルラス様に近づかないで!」

「ブルース様を独占しないで!」

「薔薇のきみとカナリアのきみの逢瀬の邪魔をしないで!」

「一斉に喋らないでください!」


 あまりの喧しさに私は思わず一喝してしまうと、3人は誰が先に話すか顔を突き合わせていた。とりあえず、義兄の親衛隊と婚約者候補達の言い分はわかっているので、問題は鑑賞会の方である。


「フローラ様とレイチェル様はおおよそ言いたい事は分かりますが、デラネラ様……その、薔薇の君とカナリアの君とは一体誰のことなのでしょう?」


 これ以上、火に油を注がないように私は慎重に言葉を選ぶ。鑑賞会会長のデラネラはその綺麗に巻いた縦ロールを背中へ払うと、音を立てて扇子を開いた。


「言わずもがな、最高にして至高、そして最も美しいわたくし達の、ヴィンセント・レッドスピネル様とジェット・アンバー様ですわ!」


 そんな当然のように言われても。


 私は呆気に取られてしまうと、彼女は不敵に笑って見せた。


「まあ、わたくし達は常に隠密行動。さらに情報統制も完璧ですので、知らないのも無理がありませんわ」

(ますますスパイ染みてきたわ。助けて、ブルース)


 あの軽やかでユーモアセンスに富んだトーク力で、ぜひ私をここから連れ出して。


 しかし、そんな私の淡い願いもかなわず、この鑑賞会の会長は持っていた扇子で自分の手のひらを叩いた。


「わたくし達は、真紅の薔薇の君とカナリアの君の仲睦まじい姿をただ鑑賞し、愛でる、いわば慎み深い淑女の集まりなのです」


 言っている事はまともそうに聞こえるが、1歩間違えればストーカーにも等しい行為ではなかろうか。

 まあ、それを置いても、私自身には全く関係ないはずだ。彼らと私はクラスメイトという枠組みはあっても決して仲がいいというわけではないのだ。


「それなら……」

「しかし、知らないとはいえ、それとこれとは別です」


 メキッと彼女の扇子が大きく悲鳴を上げた。


「貴方はわたくし達の薔薇の君とカナリアの君の逢瀬にちょこちょこと立ち合い、さらには薔薇の君の隣に座ってカナリアの君の紅茶を厚かましく頂くなんて! 許されまじき行為ですわ!」

「言いがかりですよ、それっ⁉ クリスティーナ様も頂いてますし、ブルースやグレイムだってジェット様から紅茶を振舞われていますよ!」


 常に彼らと一緒にいるクリスティーナはどうなるというんだ。それにジェットなんて色んな人にちょっかいを掛けているのだ。


「何を仰いますか。鳥は自由に羽ばたいてこそ良いのです。鳥が他の華をついばむことに何の問題があるのでしょうか? それにクリスティーナ様は淑女の中の淑女。きちんとご自身の身分を弁え、必要以上の干渉はなさいません」

「そうよ! むしろ、彼女は我らの薔薇とカナリアを引き立てる、いわばカスミソウ!」

「1人の少女に愛を向けるように見せかけた薔薇とカナリアのラブロマンス!」


 鑑賞会のメンバーが追従し、最後には「素敵……」と色めいたため息を零した。


 正直、言わせてもらおう。


 何を言ってるのか分からない。



 とりあえず、クリスティーナの信頼が思った以上に厚かったことは理解できた。さすが、完璧な淑女。


 私が彼女達になんて返せばいいのかと考えあぐねていると、「そこまでよ!」と高らかに声を上げた人物がいた。その声を聞いて鑑賞会の会長が「その声は!」と眉をつり上げた。


 現れたのはワンポイントで赤いバラの刺繍を入れた白いリボンを身に着けた女子生徒達。


「私達は、薔薇貴公子と白百合の姫を見守る会! 真紅の薔薇とカナリアを鑑賞する会、その腐った趣向はそこまでよ!」



 また変なのが出てきた。



 私は内心でそっと頭を抱える。一体全体どうなっているんだ。

 見守る会とやらの代表格がそっと私の下へ来ると「もう大丈夫よ」と私の肩に手を置く。


「あ、あのぉ……貴方達は一体……」


 私が恐る恐る聞くと、彼女は優しく微笑んだ。


「私達は薔薇の貴公子と白百合の姫、いえ……ヴィンセント・レッドスピネル様の意地らしい恋心を見守る会です!」

(どうしよう、全力で関わりたくない)



 私がそう思っている事もつゆ知らず、彼女は恍惚とした顔で話し出した。


「従兄弟の婚約者候補であるクリスティーナ様に淡い恋を抱いているヴィンセント様。いけない恋だと知りながらも、幼馴染の彼女から目が離せずにそっと想いを胸に秘めて……そして、入学式で現れたジェット様が加わって、ヴィンセント様の内に秘めていた想いが……っ!」


 ガシッと私の両肩を強く掴み、キラキラと輝く瞳を私に向けた。


「貴方も彼を応援しているのですよね!」


 違います。


 私はそう口に出そうとした時、横から鑑賞会会長が「解釈違いですわっ!」と声を上げ、鑑賞会と見守る会の間に火花が散っていた。


 なんだかあらぬ方向へ問題が飛躍していく。今のうちに逃げ出した方がいいのではないだろうか。しかし、ブルースの親衛隊とシヴァルラスの婚約者候補達も目を光らせているせいで、逃げ出すのは無理そうだった。



(ああ、ブルース、グレイム。いや、誰でもいい。誰か助けてっ!)



 私は己のトラブル体質を心の底から呪う。この混戦しきった状況から誰でもいいので救って欲しい。


 そう願った時だった。


「きゃああああああああああ」


 そう上から悲鳴が聞こえ、誰もが上を見上げた。すると、上の階からバケツが降ってきていた。


 私は咄嗟に手を上にかざし、手のひらに魔力を集中させる。


「危ないっ!」


 手の平から風の塊が飛び出し、当たったバケツは中身の水と共に私達の頭上を逸れて行った。

 空のバケツが地面に落ちた音と、勢いよく水が落ちる音がしたのはほぼ同時だった。誰もが安堵を漏らして、私に視線が集まる。


「ありがとう、助かりました」

「ええ、本当」

「あははは……皆さんにお怪我がなくてよかったです……それでは……」


 皆が私にお礼を言い、私も何もなかったことにホッとする。空気が柔らかくなり、それに乗じて逃げようとしたが、一斉に肩を掴まれた。


「それはそれ、これはこれ。話は終わってませんわよ!」


 鑑賞会会長がそう言い、他の令嬢達が「そうだそうだ」と声を合わせる。



(もう勘弁してっ!)


 私が泣きそうになるのを必死にこらえていた時、それは音もなく現れた。




「あら、皆さん。ごきげんよう」




 よく通る声だが、それは決して声を張っているわけでなく、すんなりと耳に通る声だった。その場にいる全員がその声の主を見て、目を瞠る。


 濡れたような光沢を放つ漆黒の髪、透き通るような深紫の瞳。肌は朝露に濡れた花弁のような瑞々しさがあり、頬には薄桃色が差している。小柄な体格はその人物の儚げな印象を強めるが、身に纏う制服から滴る水が、彼女の強かさを演出していた。



 ずぶ濡れでも、その気高さと、美しさを失わない清廉なる完璧な淑女、クリスティーナ・セレスチアルがそこにいた。



「とても楽しそうですわね、私も仲間に入れてくださらないかしら?」



 神よ、誰でもいいから助けてと言ったが、鬼神を連れてこいなんて誰が言った。

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