09 悪魔VSツンデレと狸



 オレ、ヴィンセント・レッドスピネルは今、悪魔にりつかれている。午前の授業が終わると同時にその悪魔は赤い目を光らせてオレに襲いかかってきた。


「ねぇ、ヴィンセント。そろそろ素直に吐いたら?」

「何のことか分からんな」


 のしかかる様に後ろからオレの首に腕を回して、ジェットは怨嗟えんさを込めた声で言ってくる。

 幸い、クリスティーナは昼食を買いに出かけてしまっているのでジェットは堂々と、あの事を口にする。


「あのリボン……シヴァルラス様からじゃなくてヴィンセントのでしょ?」

(なんでそういう所まで察しが付くんだよ、コイツは!)


 元々目敏めざどい男だと知っていたが、ここまで鋭いと恐怖心すら芽生えてくる。ヤツはオレの髪をもてあそびながら続ける。


「昔からクリスにクローバーマークのプレゼントをあげてるのは知ってるけど、ボクは分かってるんだぞ……クローバーのマークが将来君の紋章に使われることぐらい。それを安易にシヴァルラス様が使うわけないだろう……」


 本当にこの男は鋭い。というか、その情報を一体どこで掴んだというのだ。クリスティーナにプレゼントをあげている事は彼女から聞いていてもおかしくはない。紋章の話はここ最近の話だ。シヴァルラス辺りから話が漏れたのだろうか。しかし、オレがそれを認めるわけにはいかない。


「あのな……確かに髪飾りはオレだが、リボンはシヴァ兄で……」

「へぇ……シヴァルラス様は自分の婚約者候補に、人の紋章になるマークの付きの髪飾りをあげることを許しちゃうんだ? ふーん、知らなかったなぁー……彼がそこまで浅はかだなんて……」


 かちんと来たが、ここでオレが怒れば最大級の墓穴を掘ることになる。冷静になれ、オレ。

 ジェットはオレの首に回していた腕を解くと、弄んでいたオレの髪で器用に編み込みを始めていた。一体、何をやっているんだ、コイツは。


「男の嫉妬は醜いぞ、ジェット」

「婚約者候補から外れるまで、ずっと待ってるような執念深い男よりずっとマシだと思うよ」

 

 見事なカウンターを食らい、今のオレは苦虫を噛み潰した顔をしているに違いない。ヤツはオレの頭の後ろでため息をつくと、オレに鏡を差し出してきた。


「分かった。ボク、シヴァルラス様の所に言ってくるから」

「は、ちょっと待て……っ⁉」


 オレはもらった鏡を見てぎょっとする。綺麗に編み込まれた髪には何をどうやればこうなるのか、ハート型が綺麗に並んでいた。それも両側。


「ジェットォオオオオオッ!」


 オレの怒号を聞いた途端、アイツは「べっ」と舌を出して駆け出した。このままヤツはシヴァ兄の下へ行くつもりだ。


「あのバカ、ふざけるなよッ!」


 しかも固く編み込んでいやがる。いったいこれはどうやって直せばいいんだ。鏡を見ながら髪を解いていくと、ブルースが憐みの目をこちらに向けていた。


「今日の被害者はヴィンセント様ですか、おいたわしや」

「うるせぇ、両手を合わせるな! 手伝え、バカ!」

「はいはい」


 ブルースが女子からくしを借りると、あっという間に編み込みが取れていく。癖は残ったが、これであのバカを追いかけられる。


「助かった! またあとでな、ブルース! おいこら、どこ行ったジェットーっ!」

 オレは教室を飛び出して行った。



 ◇



「やっと見つけた、シヴァルラス様」


 ボク、ジェット・アンバーは生徒会室の前でお目当ての人物を見つけると、その相手は何食わぬ顔をして振り返った。


「おや、ジェット様、どうされたんですか?」

(どうされたんですか、か……)


 この2年でとんだ狸に化けたものだとボクは目を半目にする。前の彼はここまで精神的に強い男ではなかったはずだ。もっと儚げで、すぐ手折たおれてしまいそうな花のような男だった。


「あのリボン……ヴィンセントのでしょ?」


 ボクが単刀直入に口を開くと、彼は「はて?」と首を傾げる。


「リボン?」

「先日、ヴィンセントを通してクリスにあげたリボンはヴィンセントのでしょ?」


 まだはぐらかすつもりでいる彼にイラつきながらも、ボクはさらに踏み込んだ。彼は朗らかに笑みを浮かべており、その腹の中が読めない。


「私があげたなら、私のプレゼントだろ?」

「じゃあ、用意したのはヴィンセントなんですね?」


 否定も肯定もしないシヴァルラスに、ボクは頬を膨らませる。いくら従兄弟同士とはいえ、卑怯な連携プレーだ。まだクリスが知らないことを良いことに……いや、クリスが鈍感過ぎるからこそできることだろう。


「ズルい……」


 思わず出た言葉に、シヴァルラスは笑みを浮かべたまま首を横に振った。


「ズルくはないよ、フェアだ」

「どこがフェアですか! そっちは幼馴染じゃないですかっ! 幼馴染の特権をフル活用して、さらには職権乱用ですよ!」


 相手はこっちの事情なんて知らないだろう。表向きあっちは幼馴染と婚約者候補。こっちは新しくできたばかりの友人。彼はそれを承知してやっているから、なお性格が悪い。


 目の前にいる狸はころころと笑っている。


「手元にある手札で切るのが勝負だ」

「手札にジョーカーを潜ませておいて、よく言いますよ」


 いけしゃしゃと。ボクは心の中で悪態をついた。普段は彼の可愛い弟分をいじっているからか、シヴァルラスはしてやったりと言わんばかりに嬉しそうしているのがさらにむしゃくしゃする。


「ジェット様?」

「なんですか?」


 ボクは堂々と不貞腐れた顔をすると、彼は笑いそうになっているのを堪えながら口を開いた。


「私はね、ヴィンセントもジェット様も可愛い弟のように思っているよ?」

「へぇ、それで?」

「だからこそ、ヴィンセントには婚約発表までに気持ちをはっきりさせて欲しいと思っている」

(ほう……なるほど)


 ボクは思わず目を細めた。


 婚約発表までの間、最大限ヴィンセントの力になれるだろう。しかし、婚約発表の日を過ぎればそれは不可能になる。まだ発表まで時間があるがそれ以上は引き延ばせない。


「自分の手の内にあるうちに外堀を埋めておけって? へぇ~?」


 これは良い喧嘩を吹っ掛けられた。それも王族にだ。


(まあ、それでも勝つ自信はあるけどね)


 内心で彼にあっかんべーをしてみせる。

 婚約発表の内容をヴィンセントはまだ知らない。生真面目で奥手なヴィンセントはまだ足踏みしているだろう。


「でも、それならまだボクに分がありますね。なんたってボクは……」

「それとジェット様?」

「ん?」


 言葉を遮ったシヴァルラスは普段見せる愛想笑いでなく、心底楽しそうな笑顔を浮かべた。


「ヴィンセントは、

「…………はぁ?」


 理解が遅れてようやく出た声は、自分でも驚くほど低い声だった。こんな低い声を出したのは一体いつぶりだろうか。人生最大級の不機嫌な声を出したのも関わらず、目の前の狸は笑みを崩さない。


「だけど、クリスティーナ嬢には内緒だ」


 ね?と彼は口の前に人差し指を立てて可愛い子ぶっている狸に、正直憎さしか感じられなかった。


「ジェットォオオオオッ!」


 階段の方から新たな悩みの種が駆け上がってくる。


「おい、お前! シヴァ兄にまで迷惑をかけるのは……うぇッ⁉」


 ボクの顔を見てヴィンセントはさぞかし驚いている事だろう。こんなにボクも心を苛立てさせられたのは数年ぶりかもしれない。ボクはまだ癖の残る彼の赤毛を引っ掴んだ。


「ヴィンセントのくせに生意気だぞーっ!」

「なんで急に逆ギレされるんだっ! おいバカやめろっ!」

「ヴィンセントの髪なんて全部縦ロールにしてやるーっ! 髪飾りに白薔薇とカスミソウを使ってその赤毛の魅力を十分に惹き立ててやるからな!」

「地味にセンスのいい嫌がらせはやめろっ!」


 ボクは彼の肩までよじ登り、道具がないのでいじけて彼の髪で三つ編みを始めた。

 きっとヴィンセントは訳が分からないだろう。事情を知っているシヴァルラスだけがその場で笑っていた。あとで覚えていろ、狸め。


 ヴィンセントの髪で3本目の三つ編みが終わった頃、外から大きな音が響き渡った。


「きゃぁああああああああああああっ」


 そしてさらに続く何か空の容器が地面に落ちたような音。それと先ほどとは違う大勢の女子生徒の悲鳴が上がった。


「え? 何?」


 3人で顔を見合わせ、ボクはヴィンセントから降りるとその声がした方向へ向かった。



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