04 隠された言葉

 ドアを開けた人物の姿は見えないが、その人物は「失礼しましたっ!」と言って勢いよくドアを閉めていった。その声は間違いなくイヴの声だった。しかし、廊下を駆ける足音は1人分しかなく、遠ざかっていく足音が聞こえなくなるとジェットの唇が離れる。私と彼の間に1枚の小さな紙がひらりと舞い落ちた。それは図書室の掲示板に読んだ本の感想を書いて貼る紙で──私とジェットの唇の間に仕込まれていたものだった。


「いや~、上手くいったね!」

「な、ななななっ!」


 紙越しとは言え、2度も唇を奪われた私は言葉にならなかった。彼は私の気も知らずにニコニコと天使のような笑みを浮かべる。


「いや~、ちゅーしてる所に出くわしたらみんな出て行くと思って! 来たのが女の子だったのが功を奏したね!」


 大成功~っ! そう言いながら私を解放し、私はあまりの衝撃な出来事に腰を抜かしてへたりとその場に座り込んでしまった。


 心臓に悪すぎる。紙1枚で隔てられていたとはいえ、自分の唇にはジェットの唇の温かさがまだ残っていた。2年前のキスは、感触はあれど熱は感じられず、ジェットがいなくなった事のショックの方が大きかったせいであまり覚えていない。


(心臓が痛い……やばい……)


 数々の悪戯を仕掛けられて心臓は丈夫になった方だと思ったが、どうやら勘違いだったようだ。今も心臓が私の胸を激しく叩きまくっている。


(え、乙女ゲームのヒロインはいつもこんな経験してるの? 心臓に毛でも生えてるの?)


「クリス、大丈夫? もしかして、ちゅーしたの、唇じゃなくてがっかりした?」


 しゃがんで私の顔を覗き込む悪魔はこの上なく嬉しそうにして私を茶化してくる。


「がっかりも何も! あんなの見られて学校中の噂になったらどうするのっ⁉ それに、ドアを開けたのがシヴァルラス様だったら……!」


 そうだ。イベントではイヴとシヴァルラスがこの図書室に来るのだ。声はまさしくイヴの物だった。それならシヴァルラスも一緒にいるはずだ。


「大丈夫だよ。ボクは後ろ姿だし、君は小柄でボクの身体で隠れちゃうから誰かなんてわからないよ。それに、シヴァルラス様は図書室になんか来られないよ?」

「へ……?」

「たまたまさっき彼に会って、顧問の先生に山ほど仕事を押し付けられてたんだよね。だから、彼は絶対来ないから大丈夫」


 つまり彼のイベントは潰れ、私は待ちぼうけだったというわけだ。いくら乙女ゲームの世界とは言え、こんな事があるのかと私は頭を抱える。しかし、シヴァルラスがいなかった事に私は安堵を隠し切れなかった。


「ホント、クリスって殿下の事が大好きだよね~……ちょっと妬いちゃうなぁ……クリスはボクが予約してたのに~」


 昔の頃のように彼は唇を尖らせて拗ねて見せる。それが無性に腹が立ってしょうがない。


 私は気合で立ち上がると、キッと彼を睨みつけた。


「ジェット! 貴方、何がしたいわけ⁉」

「え? 何って?」

「急に私の前に現れたり、愛の告白みたいな事言って来り、キスしたり! もしかして私の反応見て楽しんでるの⁉」


 私がそういうと、彼はこれ以上にない笑顔を私にぶつけてきた。


「うん、もちろんっ!」


 穢れを知らないような笑みでそう答えられ、私は頭が痛くなる。

 彼はニコニコしながら再び私の距離を縮めてきた。


「まあ、本当の事を話してもいいかな。ボク、自分の容姿のせいで子どもの頃は公務に参加できなかったんだよね」

「よ、容姿……?」


 彼の容姿に一体なんの問題があるのだろうか。私にはさっぱり分からない。どう見ても彼は見目麗しく、攻略キャラクターとして申し分のないイケメンである。私からすれば、顔はシヴァルラスの次に好みかもしれない。


 ふわふわな金髪、ややつり目の赤い瞳、天使のような甘い笑み、どれをとっても最高である。子どもの頃は可愛かったが、今は男の子の身体になって格好良くなっている。


「そ、ボクの目って赤いでしょ? ボクの国では悪魔の目だって言われてて縁起が悪いんだ」

「そ、そうなんだ……でも、にじり寄ってこないでくれる?」


 彼はにこにこしながらにじり寄ってくる。私がそういうも彼の侵攻は止まらない。


「それでね、公務がない王子って暇で暇でしょうがなくて。暇つぶしに魔法で国内外を見てたら、君を見つけたんだよね。正確には君の心っていうか」


 確か、私を見つけて遊びに来た理由は、心の色が綺麗だったからというのは覚えていた。私を見つけたのはそういうわけだったのか。


「さすがに城を抜け出すわけにもいかないから、魔法で分身を作って君の下へ送っていたってわけ。ずっと暇を持て余していたから君をイジメるのが楽しくて楽しくて……もはや生き甲斐だったよね……」


 そんな事を生き甲斐にされても困る。


「だから、君と別れたこの2年間がとても暇で暇で……」


 さらににじり寄ってくるジェット。私は退路を断たれる前に移動しようとすると、悪魔は長い手足で私の行く手を阻んできた。


 そして、私を再び本棚まで追い詰めると、片手で唯一の退路を塞ぐ。


「君との時間が忘れられなくて、会いに来ちゃった!」

(さっきの私との時間を手放したくないっていうのはこれかーーーーっ!)


 あんな甘い言葉を囁いてきて、言葉の裏に隠されていた本音がこれとは、それに惑わされた私はまるでピエロではないか。


「え、ちょ、何それ⁉ ひっ!」


 彼は私の髪を掬うと、口づけを落とした。


「それで、ボクが一体何がしたいか……だっけ?」


 彼は形の良い唇を持ち上げ、誰もが見惚れてしまうような笑みを浮かべる。


「ボクはね、クリス。君をいじめるのが大好きなだけだよ?」


 こいつ、悪魔だ。2年ぶりに再会しても彼はまったく変わっていない。

 さらに彼は続けた。


「今度は君以外にもボクの姿は見えるし、新しい友達おもちゃも手に入れたし……ボク、今が一番幸せ!」

「貴方、自分の幸せを見つめ直した方がいいわよ⁉」

「え~? こんなに幸せなのに」


 コイツは本物の悪魔だ。悪魔でなくても木の股から生まれたに違いない。

 きっと2年前の別れも、悲しむ私を見て陰で笑っていたのであろう。


「まあ、これからもよろしくね。ク・リ・ス?」


 甘く紡がれた言葉に、私は思考を半分吹っ飛ばしながらも「勘弁して」と呟くのだった。

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