03 放課後の逢瀬



 これでセンチメンタル・マジックのメインキャラクターが揃ったが、プロローグはこれで終わりではない。


 このゲームにはプロローグには各キャラクターの1枚絵スチルが存在する。おそらく、もうすでに攻略キャラ達の1枚絵は出ているだろう。


 しかし、このプロローグでまだ出ていない1枚絵がある。


 そう、何を隠そうこの私、悪役令嬢クリスティーナ・セレスチアルの1枚絵である。


「ついに来たわっ! 私の出番!」


 ヴィンセントとジェットの誘いを振り切った私はウキウキしながら初仕事の現場に足を運んだ。

 夕暮れ色が差し込む放課後の図書室が本日の私の仕事場だ。


 実はシヴァルラス以外の攻略キャラはクラスメイトの為、彼だけ特別に出会いのシーンがあるのだ。


 今日の私の仕事は、その2人の出会いのイベントに水を差すことである。


 本が好きなイヴは放課後に図書室に向かおうとするが迷子になり、シヴァルラスに出会う。そして、ここまで案内してもらうのだ。そこで、図書室から出てきた私と鉢合わせする。この登場シーンが私の1枚絵。


「うふふっ……2人のツーショットも見られて、私の存在をどーんとアピールできる! なんて美味しいイベントなのっ!」


 嬉しさのあまり5号を抱きしめながら、その場でくるくると回っていると廊下から足音が聞こえてきた。


(きたきたきたっ!)


 私は淑女の顔を作り、5号を抱え直して近くにある鏡で身なりを確認する。まがりにも推しの前に立つのだ。完璧な自分でいなくてはならない。


(髪、良し。制服、良し。淑女の顔、良し)


 戦場に立つ準備は整った。図書室のドアの前に人影が見えたのを見計らい、私はドアに手を掛けた。


(行くわよ、悪役令嬢、クリスティーナ・セレスチアル! ヒロインと推しのたわむれに水を差してやる!)


 私が勢いよくドアを開けた時、目の前に立っていたのは推しとヒロインではなく、にこにこと微笑んでいる悪魔ジェットだった。


「クリス、見~つけたっ!」

「えっ⁉ じぇ、ジェットっ⁉」


 なぜ彼がここに。私が疑問をぶつけるよりも先に彼は私を図書室内へ押し戻すと、ドアをパタンと閉めた。


 にこっと笑った彼の顔を見て、私の脳内に警鐘が鳴り響く。


 私に向けたその笑顔は子どもの頃に悪戯を仕掛ける時と同じ顔。


「もう、クリスったらホームルームが終わったらさっさとどこかに行っちゃうんだもん。探したんだよ?」


 彼は嬉しそうに言うと、ずいずいと私に詰め寄ってくる。


「さ、探したって……なんで私を……?」

「なんでって……2年ぶりの再会だし、積もる話もいっぱいあるでしょ?」


 今すぐにでも逃げ出したい。しかし、ドアは彼の後ろにあり、この悪魔が私に逃げる隙を与えるわけがない。本棚まで追い詰められた私にジェットは覆い被さるようにして本棚に手をついた。そして、あろうことか悪魔は私の股下に足を入れ、身動きすらできなくなった。完全に退路を断たれた私は、おそるおそる彼を見上げる。


 赤い瞳がこちらを見下ろしており、私は心臓を鷲掴みされたような気分になる。


 どう見ても恐喝現場である。いや、ジェットの顔がいい分、人によってはラブシーンかもしれない。ジェットの綺麗な顔が目の前にあり、長い睫毛が1本1本見え、赤い瞳がきらきらとしていて吸い込まれてしまいそうだ。


(うん、顔が良い……ってそんなこと考えてる場合かっ!)


 私は考えている事を振り払い、ジェットを押し返そうとするがびくとも動かない。


「積もる話をするのにこんな事をする必要なんてないでしょっ⁉」

「だって、こうでもしないとクリス逃げちゃうでしょ?」

「に、逃げないわよっ!」


 うかうかしているとイヴ達が図書室に来てしまう。婚約者候補とはいえ、他の男とこんなところを見られるのは淑女として不味い。


「本当~?」

「ホント、ホントっ!」


 ジェットが股下に入れていた足を抜いて、私がほっと安堵を漏らす。さあ、あとはこの悪魔から距離を取るだけだ。私が彼の腕下から抜け出ようとした時だった。


「へっ……」


 私は一瞬にして身動きがとれなくなる。頭が真っ白になり、体が温かいものに包まれたこと以外、何が起きたのか分からなかった。


(え、ええぇっ⁉)


 私はようやく彼に抱きしめられている事に気づく。首と腰に腕が回され密着した状態。何度か彼に抱きしめられた事があるが、あの時とは違い、制服越しから彼の体温が伝わってくる。


(な、なんで抱きしめられてるのっ⁉)


 かーっと顔が熱くなった私はジェットの腕から逃げ出そう身をよじる。しかし、私を抱きしめる腕はさらに強くなる。

 今にも思考回路が吹っ飛びそうなのを堪えていると、耳元で「ごめんね」と囁かれた。


「え……?」

「あの時、勝手にさようならを言って……ごめん」


 思いもよらない謝罪。私を抱きしめる腕が緩まり顔を上げると、ジェットは叱られた子どものような顔をしていた。


「ボク、ちょっとした事情で子どもの頃は公の前に出られなくて……本格的に公務に参加することになったから、お別れを言わなくちゃいけなくなったんだ……」


 赤い瞳に翳が落ちたかと思うと、再び私を抱きしめた。


「ずっと、君に会いたかった……たとえ、怒られても、泣かれても……君にまた会いたかった。クリスと過ごした時間をもう手放したくない」


 まるで愛の告白のように紡がれた言葉に、私はなんて返したらいいのか分からなくなる。自分の鼓動の音がうるさい。強く抱きしめられているせいで、口から心臓が飛び出てしまいそうだった。むしろ、この早鐘のように打ち鳴らされている心音がジェットにも伝わっているのではないだろうか。


 ようやく腕の力が緩まったと思いきや、ジェットは私の顎をもって上を向かせる。叱られた子どものような顔はどこに行ったのか、赤い瞳を蠱惑に光らせ、口元だけ微笑んで見せた。


 それは昔よく見た、悪魔の笑みそのものだった。


「……君もそう思ってくれてたんでしょ? 泣いちゃうくらい嬉しかったんだもんね?」


 その一言で私の呼吸が一瞬止まる。


 なんだそのセリフは。まるで乙女ゲームのようだ……いや、この世界は乙女ゲームだった。このまま迂闊に返事をしたら、心臓を根こそぎ持っていかれてしまうような気がする。


「あ、会えたのは、う、嬉しかったけど……こ、この状況は、どっ、どうかと、思う……よ?」

「えー? 昔はよくハグもしたし、ちゅーもしたじゃないか」


 しどろもどろに言う私を見て、彼は楽しそうにしていた。


「それは子どもの頃の話でしょ! それに昔は誰にも貴方の姿が見えなかったんだし……というか。自分の立場を……」

「へぇ……じゃあクリス。誰にも見えなければちゅーもハグもしていいの?」


 煌々と輝く瞳の前に私は何も答えられなくなる。私の顔はジェットの手できっちりと固定され、腰に腕を回されている。


 なんだか私は大きな墓穴を掘ったのではなかろうか。


 悪魔はにっこり笑って首を傾げる。


「していいの?」


 彼の指が私の唇をなぞり、私は心の中で叫び声をあげる。


(ダメに決まってるでしょぉおおおおおおおおおっ!)


 私は殿下の婚約者候補。そして彼は隣国の王子。本来ならハグもキスもご法度である。


(というか、まるでジェットが私の事を好きみたいじゃない!)


 いや、しかし待て。彼は人を弄ぶことを生きがいにしている悪魔だ。きっと私の反応を見て面白がっているに違いない。むしろ、そうであってほしい。なんせ私はヒロインではないのだから。


 発狂寸前の私に救いを告げる誰かの足音が聞こえてきた。彼もそれに気づいたらしく不服そうな顔を入り口の方へ向ける。


「ん……誰か来た」

「離れて!」


 ここぞとばかりに私は彼の腕から抜け出そうとするが、ジェットはむしろ腕を強めてきた。


「えー、こんなからかい甲斐のある状況……じゃなかった、美味しい機会を逃したくないんだけど……それに離れたらクリスは絶対に逃げるでしょ?」


 今、さらっと本音を漏らしたぞ、この悪魔。


「あのねぇ! 自分の立場を考えて! 誰かに見られたらスキャンダルでしょ!」

「う~ん……」


 彼は頭の中で自分の体裁とおもちゃを天秤にかけているのか低く唸ると、何かひらめいた顔をしてにっこりと笑う。


 そして、私の顔を押さえていた手を放すと、何やら別の方向に手を伸ばし始めた。しかし、何をしているのかは分からない。


「ねぇ、クリス。ちょっと上を向いてくれる?」

「上……? こう?」


 天井を見上げると、ジェットがクスクスと笑う。


「上向きすぎ、そうだな……ボクの目の高さくらい?」

「ジェットの……?」


 私がジェットの赤い目を見つめると、彼はにっこりと笑う。


「そう、上手……」

「上手って、──んっ⁉」


 唐突に私の口が塞がれたのと、図書室のドアが開いたのは同時だった。

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