10 悪魔付き令嬢の初めての友達
そう、ジェットだった。
私は彼の姿を見て、ホッと安堵を漏らした。
「もう来ないかと思ってた!」
私がそういうと、彼は「ごめんごめん」と笑いながら答えた。
「人がいっぱいいたから、話しかけるタイミングがなかなか見つからなくて。会場から連れ出すようなことしてごめんね」
珍しくすまなそうに謝ると改めて私に向き直り、私の手を取って指先に口づけをする。
「社交界デビューおめでとう。今日から君も大人の仲間入りだね……」
彼は私を見上げ、愛おし気に赤い瞳を細めた。
「どんなに美しいと言われたおとぎ話のお姫様も嫉妬してしまいそうなくらい、今日の君はとても綺麗だよ」
まるで愛の告白のように甘く告げられた言葉に、私は頬に熱が帯びていくのが分かった。
(な、なんて恥ずかしいセリフを!)
相手が12歳の姿をした悪魔だと分かっていても、私は恥ずかしくなってしまう。
頬が赤くなっていることをジェットにバレないよう祈っていると、遠くから演奏が聞こえてきた。
「あ、始まるね」
ジェットは私の手を引いて、月明りが差し込んでいる部屋の中央へ連れて行く。
そして、彼は片膝をついて私を見上げた。
「決して手に届かぬ高嶺の花。どうか私と踊ってくれませんか?」
まるでおとぎ話の王子様のようなセリフにどきりとして私は一瞬、返事が遅れた。
「はい……喜んで」
私は彼の手を取り、ジェットはその容姿が霞んでしまうくらい大人びた笑みを浮かべた。
久しぶりのジェットとダンス。多分、8歳の時に踊った時以来ではないだろうか。
遠くから聞こえる演奏に合わせてステップを踏む。今日は色んな男性とダンスを踊ってきたが、彼とのダンスが1番踊りやすかった。
「クリス、上手になったね。さすが淑女だ」
そう言って微笑む彼に、私は強がってみせる。
「当たり前でしょ? 私は完璧な淑女を目指してるんだから」
「うん……そうだね」
彼は頷くと寂しいような懐かしむような目を私に向けた。
「本当、大きくなったね……」
まるで成長した我が子に向けた言葉を口にする。
以前は私が見上げてしまうほどの身長差があったのに、ヒールを履いている私は、彼を見下ろしてしまう。
彼は出会った頃と同じ、12歳の姿のままだ。声変わりもしない、背も伸びない。ずっとそのままだ。
「それに、綺麗になった……とても……」
呟くように言われ、月明りに照らされた赤い瞳が煌めいた。宝石よりも綺麗なその瞳をずっと見ていたくなる。
しかし、やけに褒めちぎってくる彼になんだか違和感を覚え、私は苦笑する。
「今日はどうしたの? 褒めてばっかりじゃない」
私が茶化すようにいうと、彼は静かに俯いた。
遠くから聞こえていた演奏が止み、私とジェットはステップを止める。
私とジェットの間に沈黙が流れ、彼は静かに顔を上げた。
「ねぇ、クリスは知ってる? 幽霊ってね、子どもの頃にしか見えないんだって……」
「……え?」
彼は一体、何を言っているのだろう。幽霊は子どもの頃にしか見えないなんて。
何か嫌な胸騒ぎがし、一気に不安の波にさらわれた私は落ち着かなくなる。
「何を……言ってるの?」
「もう、さようならなんだ」
「──なっ」
全身から血の気が引いていく。まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、私は息苦しくなる。
「14歳は昔の成人。明日になったら、ボクのことはもう見えなくなる」
嘘だ。そんなの嘘に決まっている。彼は悪魔で、この乙女ゲームの黒幕なのだ。彼が私の前からいなくなるなんてありえない。
「う、嘘よ……また私をからかってるんでしょ? そうなんでしょう、ジェット?」
いつものように笑って冗談と言って欲しい。私が祈るように彼を見つめると、ジェットはただ優しく微笑むだけだった。ジェットのその優しい笑みに私は心臓を抉られる。
「ねぇ、ジェット! 変な冗談はやめてよ!」
「…………」
「だって、ジェットは私の傍にいてくれるんでしょ? お嫁に行けなくなったら、どうにかしてくれるんでしょ? それに──!」
「──クリス」
私の言葉を遮って、ジェットは私の名前を呼ぶ。
「実はね……ボク、この1か月間、ずっと君の傍にいたんだよ?」
「え…………」
──ジェットが……いた?
その言葉を聞いて私は混乱する。
「ずっとね、君の隣で名前を呼んでたんだ。だけど、君はボクの声が聞こえなかったみたいで……今日も…………」
「────っ!」
この1か月、私は彼の姿をほとんど見ていない。
もし彼が言う事が本当なら──
『クリスが大人になっちゃうの……やだな…………大人になんてならないでよ、クリス』
先週、彼がそう言っていたのを思い出し、胸が締め付けられた。
私は部屋にある時計に目をやる。日付が変わるまでにもう5分もない。
「ジェット、私……」
貴方とお別れしたくない。そう口にしようとした時、ジェットは私を抱きしめた。
「クリス……ボクはね。今の君と出会えて、とても嬉しかったんだ」
抱きしめられても、彼の体温は感じない。鼓動の音も聞こえない。
「一緒に絵本を読んだり、小さなお茶会をやったり、ヴィンセントをからかったり、すごい楽しかった」
いつも私を見下ろしていた赤い瞳が私を見上げるほど、彼を追い抜いてしまった。
「もっと……キミと一緒にいたかった。君に……大人になって欲しくなかった」
私を抱きしめる腕が強くなる。私はそれに応えるように彼の背中に腕を回す。
喉の奥が苦しい。目頭に熱が帯び、熱いものが頬を伝って流れた。
「ジェット……」
「何?」
「私……ジェットが大好きよ」
初めてできた私の友達。一緒にお菓子を食べたり、遊んだり、彼の悪戯には何度も困ったが、それでも楽しかった。たとえ、彼が乙女ゲームの黒幕でも、私をバッドエンドに導く存在だったとしても、私は彼が大好きだ。
「貴方が悪魔でも、見えなくなっても、私はずっと大好きよ」
「…………」
抱きしめていた彼の腕が緩み、赤い瞳が私を見つめた。
彼は私に優しく微笑みかけ、そして──
「────っ」
ジェットの唇が私の唇と重なった。それはたった一瞬の出来事だったが、まるで時が止まったかのように長く感じた。
彼は唇を離すと、いつもの天使のような笑みを浮かべた。
「さようなら、クリス──」
彼の声をかき消すように、12時を報せる鐘が鳴る。
暗闇に1人残された私は、ただ涙を流していた。
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