05 悪魔付き令嬢の初めてのお菓子作り



 私、クリスティーナ・セレスチアルは完璧な淑女だ。恵まれた容姿、家柄、魔法から座学まで、さらには淑女としてヒロインの最大の壁となって戦う悪役令嬢だ。


 しかし、そんな彼女には唯一できないことがある。


 それは──料理である。


「ねぇ、クリス。本当に大丈夫なの?」

「大丈夫よ、心配性ね」


 キッチンで材料の準備を終えた私は腕まくりをしながら答えた。


 キッチンに向かうまでの間、ジェットは私の周りをぐるぐると回りながら不安そうに同じことばかりを口にしている。


「だって、クリスは料理したことないんでしょ?」

「大丈夫よ。簡単なお菓子だし、分量と焼き加減を間違えなければ失敗することなんてないわ」


 確かに、ゲームのクリスティーナ・セレスチアルは料理ができなかった。それにはちゃんと裏付けがあった。


 それは完璧な淑女ドールである私が料理で手を切ったり、火傷をしたりして怪我をしないように父と兄が止めていたのだ。本編ではシヴァルラスに手作り弁当を持ってきたヒロインに対抗し、料理をするイベントがあり、クリスティーナは生物兵器さながらの手料理を披露してしまう。


 しかし、それは彼女が今まで料理をした事がなかったからだ。


 今の私は前世の記憶がある。それに調理実習では成績が良かった方だ。


「私に任せてなさい、ジェット! 最初の味見は貴方にさせてあげるから!」

「うーん……不安だなぁ……何を作るの?」

「これよ!」


 私は部屋から持ってきた絵本を出した。


 それは私とジェットがまだ出会って間もない頃に一緒に読んだ絵本。絵本の最後のページには絵本に出てくるお菓子のレシピが載っているのだ。


 その名も『お友達クッキー』である。


「私、一度でもいいから作って食べてみたかったのよね!」

「うわぁ……懐かしい。ねぇ、クリス。ボクも手伝っていい?」

「もちろん。きっと型抜きとか楽しいわよ!」


 2人で生地を作ると、一緒に型を抜いていく。ジェットは器用に串で私の顔を作ってくれた。


 生地を焼いている間に、ジェットが生クリームを作ってくれて、私はクッキーに塗るチョコを溶かした。そして、クッキーが焼き上がり、私達がオーブンを開ける。


「……おお」

「うわぁ~……」


 オーブンにあったのは、こんがりきつね色に焼きあがったクッキーでもなく、まるで炭のように真黒く焦げたクッキーでもなく──ブクブクに膨れ、黒い瘴気を漂わせる紫色の物体だった。


 パタン……


 私は1度、オーブンを閉じてジェットを見上げる。


 彼は小さく首を振って、にっこり笑った。


「期待に添えなくて悪いけど、ボクが直接手を下すまでもなかったよね」

「いや、おかしいでしょ! なんで焼く前はクリーム色だったのに、紫になってるの⁉」

「何さ~? ヴィンセントにあげるならまだしも、ボクだって食べる気満々で作ったんだよ? せっかくクリスとの初めての共同作業だっていうのに」


 そうだ。ジェットも真剣な顔で私の顔のクッキーを作ってくれたのだ。それを自分で台無しにしようとするはずがない。


「そ、そうね。ごめん。と、とりあえず、オーブンから出してみましょう……」


 私はオーブンから紫色の物体を取り出し、適当な皿に盛りつけた。黒い瘴気が周囲に漂うが、決してまずそうな匂いがしているわけではない。むしろ、匂いそのものはクッキーだ。


 私は中を割って見てみると、中まで紫色に侵食されていた。ジェットは自分が作った私の顔を見つめている。


 クッキーはブクブクに膨らんでしまい、見るも無残な姿になっていた。


「これは食べられそうにないわね……ね、ジェッ……」

「へ?」


 私が横を向いた時、彼は紫色の物体を口に入れていた。


 さくさくとクッキーのような音を立てて食べるジェットに、私は顔を青く染めた。


「ジェット⁉ 貴方、何食べてるの⁉」

「何って、クッキーだよ。最初の味見役はボクでしょ?」


 平然な顔で紫色の物体を食べていくジェット。いくら悪魔だとしてもそんなものを食べて大丈夫なのだろうか。


「貴方、食べて大丈夫なの?」

「うーん、味はクッキーかな? ただ、クッキーとは違う舌ざわりと後味がする」


 ごくんと紫色の物体を食べきった彼は、ケロッとした顔をして新たに紫色の物体に手を伸ばしていた。


「本当に……大丈夫?」


 私がじっと彼の顔色が変わらないか見つめるが、彼は「大袈裟だなぁ」と苦笑する。


「まあ、生身の身体じゃないし、食べた物は基本的に魔力に変換されちゃうから別にだいじょうヴェエエエエエエエエエッ!」


 ぱちんっ!


 ジェットが叩くように自分の口を塞いだ。


 ちなみに今のは彼が食べ物を吐いた音ではない。彼の口から出た何かの音だった。


(まさか、げっぷ?)


 いや、いつもお茶会では優雅にお菓子を食べている彼がそんな失態を犯すはずがない。


 ジェットも何が起こったのか分かっていないのか、口を押えたまま目を泳がせている。


「ジェ、ジェット……だ、大丈夫? 気持ち悪くない? トイレ行く?」


 今のところ彼の顔色は悪くないが、かといって彼は口から手を放さなかった。彼はようやく口から手を放すと、にっこりと微笑んだ。


「大丈夫。この通りボクは何ともないよ?」

「ほ、本当? お腹、痛くない?」

「大丈夫だって。もうクリスったら心配性だヴァアアアアアアアアアアアアッ!」


 ぱちんっ!


 再び彼が口を塞ぐ。しかし、今度は彼の腹から妙な音が聞こえてくる。


『ぎぇぇえええええええええ!』

『ピャァアアアアアアアアアアア!』

『オカーサーン! オカーサーン!』

『タスケテェーーーーーっ!』

『イヤァアアアアアアアアアア』

『コケコッコーーーーーーーッ』


 喧しい悲鳴のような音(?)が彼の腹から聞こえ続け、しばらくするとその音も聞こえなくなった。


 しばらく、2人の間に沈黙が流れ、ジェットは天使のような笑みを浮かべる。


「ほら、なんともないよ!」

「いやいやいやいや! 貴方、胃袋から悲鳴が上がってるわよ!」

「お腹が空いてて腹の音がうるさいだけだよ~っ! もう、クリスは大袈裟だな~」

「いや、無理があるわよ! 本当に大丈夫なの⁉」

「本当に大丈夫だって! 生身の人間はダメだと思うけど」

「やっぱり食べられないものじゃない!」


 レシピ通りに作ったというのに、悪魔の胃袋に悲鳴を上げさせる物体を作ってしまうとは、おそるべしクリスティーナ・セレスチアル。


「どうしようかしら……これ」


 まさか作った食べ物を捨てるわけにもいかない。かといって、人が食べられるものでもない。私がため息をつくと、ジェットが私の袖を引っ張った。


「ねぇ、クリス。このクッキーもらっていい?」

「え?」

「だって初めてクリスと作ったお菓子だし、ボクしか食べられないでしょ? せっかくだからボクにちょうだい」


 彼は上目遣いで私を見つめ「ダメ?」と首を傾げる。その愛らしさに私は少しクラッと来てしまう。


「べ、別にいいけど……」

「やった!」


 彼はスキップをしながら棚から袋を持ってきて紫色の物体を詰めだした。その嬉しそうな様子は少し心配になるが、純粋に一緒に作ったものを喜んでもらえたなら私も嬉しい。


 私は後片付けをしていると、メイドがキッチンに顔を出した。


「お嬢様、ヴィンセント様がすぐお見えになるそうです」

「えっ⁉ ヴィンセント様が⁉」

「はい。たった今連絡がありまして」

「うそ……昨日会ったばかりでしょう?」


 昨日は彼の屋敷で彼の妹と一緒にお茶会をしたばかりだ。連日会おうとするなんて珍しい。最近の彼は少しおかしく「こんにちは」「さようなら」と同じ感覚で「婚約してくれ」と言ってくる。


 しかし、それも今日でおしまいだ。なぜなら私はシヴァルラスの婚約者候補になったのだから。


「急いで支度するわね!」


 私は慌ててエプロンを脱いでいると、クッキーを齧っていたジェットがにんまりと笑う。


「着替え手伝おうか?」

「貴方は、4号と一緒に先に客間に行ってて!」

「む~……は~い」


 ジェットは頬を膨らませて返事をすると、4号を連れてキッチンを出て行った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る