三章 悪魔付き令嬢の初めてのお友達

01 予想外の報せ


 城でのお茶会からしばらく経った。私は父に呼ばれて屋敷の仕事部屋に向かっている。隣ではウキウキ顔のジェットがわざとらしく首を傾げた。


「なんで呼ばれたんだろうねぇ?」

(きっとヴィンセント様のことでしょうね)


 あの時のことは父にきちんと報告している。貴族には派閥がある。セレスチアル侯爵家は中立のレッドスピネル公爵家の派閥に一応所属していた。それに、ヴィンセントの父親は父の上司にあたるのだ。何かないわけがない。


 父にお茶会の時の出来事を話した時、目を丸くして驚いていた。


(そりゃそうよね。淑女として育てた娘が初めてのお茶会で罵詈雑言吐いて相手を怒らせたなんて聞いたら)


 私はため息を漏らし、父の部屋に入った。


「お父様、失礼します」

「ああ、クリス。そこに座りなさい」


 私は父の向かい側に座ると、父は少し困った顔で私を見ていた。


「えーっと、クリス。この間のお茶会の件なんだけど……本当に、ヴィンセント・レッドスピネルって子と喧嘩をしたのかい?」


 やはりお茶会の時の話か。私は緊張の面持ちで頷いた。


「悪口をたくさん言って、相手に恥をかかせてしまいました……お父様やお兄様にもご迷惑を……」

「あ、それは全然いいんだ。私やクォーツだって気にしてないさ。まあ、ローゼに私とクォーツがいう淑女のせいでストレスが溜まっていたんだって怒られたけどね。それ以外は何も問題ないさ」


 そう言えば、母に「きっとストレスが溜まっていたのね! 淑女の顔が辛気臭いと言われた? そうよ、だから女の子は笑っていた方がいいのよ、クリスティーナ!」と言われた。


 私の隣に座っていたジェットは足をぶらぶらさせながら、頬を膨らませていた。


「クリスパパ! 別にクリスは悪くないんだよ! アイツが悪いせいで」

(いや、8割は貴方のせいよ、ジェット)

「えぇ~っ!」


 頬をぱんぱんに膨らませているジェットを置いておいて、私は父に目をやると父は困ったように声を唸らせていた。


「ねぇ、クリス。本当に喧嘩したのかい?」


 父の言葉に私は首を傾げる。それはジェットも同じなようで、きょとんとした顔でこちらを見ている。


「喧嘩したよね? アイツ、捨て台詞吐いていったし」


 やはり、ジェットも同じ認識だ。


「はい、喧嘩をしました」


 私がそう言うと、父は困った顔をしてさらに項垂れてしまった。父の困り顔に私は少し不安になる。


「えーっと……クリス。実はね……君に婚約の申し込みがあるんだよ。相手は私の古くからの友人の子でね」


 婚約。嫌な予感が私の頭の中を過った。父はとても言いづらそうに口を開く。


「ヴィンセント・レッドスピネルって子……なんだよね」


 それを聞いた瞬間、隣にいた悪魔がこれ以上にない笑顔を浮かべていたのを私は気のせいだと思いたかった。





 それから数日が経ち、私は物置でジェットと一緒にお茶会をしていた。


「あれだけ捨て台詞吐いておいて婚約を申し込むってバカじゃないの?」


 彼はまだヴィンセントから婚約の申し出があったことに不満を漏らしている。


「私もちょっと信じられないわ……」


 なんでもあの日、お茶会が終わった後、ヴィンセントは父親の仕事場へ突撃して「婚約したい相手がいる」と言ったらしい。たまたまその場に居合わせていた父は「いや~、昔のキミを見ている気分だ~」と笑っていたら、婚約したい相手が自分の娘で、父も公爵も戸惑いが隠せなかったようだ。


 もちろん、お断りをした。相手は公爵家だが父の友人でもあるので「もし嫌なら断るよ。まだクリスは8歳だしね」と言ってくれた。


 ジェットはヴィンセントの名前を聞いた瞬間、「ボク、ヴィンセントの家に行ってくる~」と満面な笑みで出て行こうとした。私は寸前のところで彼を捕まえたのだった。


「まったく、クリスはもうボクが予約してるんだから」

「予約されてないわよ。それにヴィンセント様は私と婚約したところでいつか破棄されちゃうわよ」


 なんせ彼はヒロインのイヴに首ったけになるのだ。もし彼と婚約したら、互いに動きづらい状態になってしまう。婚約しない選択が最良なのだ。


「無理矢理婚約を迫っておいて婚約破棄なんてしたら、ボクは末代先まで呪ってやる」


 ジェットはクッキーを口に放り込むと、私の秘密ノートを眺めていた。


 ノートの中身は日本語で書かれていて、彼はいつの間にかひらがなとカタカナをマスターしていた。彼はノートを見ながら首を傾げた。


「ねぇ、クリス。これって本当に前のノートと同じ?」


 ぎくっ……

 私はジェットに悟られないようにすまし顔を作った。


「当たり前でしょう……」


 実は彼が読んでいるノートはゲームの内容を書いたものではない。前世のおとぎ話を書いたものだ。


 赤い瞳が私をじぃ~っと見つめてくる。


「ほんとぉ~? 大体、君がボクの前でそんな顔をしている時って、隠し事してる時なんだよねぇ~?」


 赤い瞳をきらりと光らせる。それは私の心の色を探る目だ。しかし、私は知っている。


 彼の瞳は心の色が見えても、心の中までは読めない。2号を媒体に思念通話できるようにしたのがその証拠だ。


「そんなカマを掛けたって引っかからないわよ?」

「ちぇっ!」


 ジェットは再びノートに目を落としたのを見て私はホッとし、裁縫セットを取り出した。


 私が裁縫セットを出した事に気づいて、ジェットは愛らしく首を傾げた。


「今度は何作るの?」

「ジェット3号よ」


 お茶会でジュースがかかって洗ってもらったのだが、洗えない素材だったせいで布が毛羽立ってしまったのだ。おまけに彼がお菓子を食べていたので体の中は食べカスまみれ、綿を吐き散らしていたので、中身もスカスカだ。そこで私は新たに人形を作る事にしたのだ。


「できたわっ!」


 出来上がった3号を見て、ジェットは顔をしかめた。


「可愛くない……」

「失礼ね! 今回もばっちり可愛いわよ!」


 今度はちゃんと洗っても大丈夫な素材を使い、口を作ってあげた。それに彼がお菓子を食べても大丈夫なように口の中はポケット状になっている。


 しかし、ジェットは3号の顔を見て、むっとする。


「さらに凶悪さと不気味さが増してるよ……それに何、その口」

「ふふーん! よく気づいたわね!」


 彼が指摘した口、それは私が今回頑張った3号のチャームポイントである。


「この口、チャックなのよ! 笑ってるみたいでしょ?」


 そう、3号の口はチャックになっており、取っ手の部分は口から舌がぺろっと出しているように見える。


 前回のお茶会ではジェットが色々やらかしてくれたので、次の子は絶対にチャックを付けようと思ったのだ。


 ジェットもそれを聞いて私が考えていたことが読めたのだろう。彼は不敵に笑って見せた。


「へぇ、それでボクの口を閉めようって? クリスのくせに」

「うふふふっ! あれだけの大惨事起こしてくれたんだもの。対策くらい練るわよ。私、次のお出かけも決まってるんだから」


 それを聞いて、ジェットはきょとんとする。


「え? またお茶会に行くの?」

「ええ、でも今度は本物のパーティーでダンスも踊るんだから!」


 次に行くのは兄の友人の誕生日パーティーだ。兄のクォーツは今年で14歳だが、まだ婚約者がいない。なので、兄のパートナーとしてついて行くのだ。


『クリスがいれば他の令嬢なんて霞んじゃうし、野心家の令嬢に捕まらなくて済むし、我が家の淑女を自慢できる』と兄は変に張り切っていた。そんな彼の好みの女性は『憂い顔が似合い、ドレスアップしがいのある女性』なので、彼に婚約者ができるのは遠い未来になりそうだ。


「クリス、ダンス踊れるの?」


 嫌味ではなく純粋に質問をぶつけるジェットに私は胸を張った。


「当たり前でしょ。私は淑女なのよ?」

「へぇー……」


 ジェットは呟くように言うと、にんまりと笑って私の隣に移動した。そして、片膝をついて私の手を取り、赤い瞳を蠱惑に光らせた。


「それでは、素敵なお嬢さん。1曲ボクと踊ってくれませんか?」


 こちらを見つめる彼は12歳の子どもとは思えないほど大人っぽい。いつもと違う紳士的な態度に私は少し驚いた。


「ジェット、踊れるの?」

「ふふーん。ボクはキミと違って経験豊富だし、女性をエスコートもリードすることも他の誰よりも上手だよ?」


 やけに自信満々な態度だ。しかし、彼が悪魔で私以外に色んな女性に会っていたなら納得できる気がする。


 私は立ち上がり、ジェットと一緒に部屋の中央に移動する。


 腕と腰に手を回され、彼を見上げるとにっこり微笑まれた。


 彼はヒールのあるブーツを履いている為、私は彼を見上げてしまう。しかし。兄や父と違う視線の近さになんだか恥ずかしさを覚えた。


(……って、相手はジェットよ! 悪魔なんかに恥ずかしくなってどうするのよ、私!)


 私は気を取り直してジェットを見上げる。


「ジェット、音楽は?」

「ダンスは3拍子だよ? 音楽がなくても、淑女のクリスなら大丈夫さ。ほら、いち、に、さん」


 ジェットが刻むリズムに合わせてステップを踏む。ダンスの先生と踊るより、ジェットと踊る方がとても踊りやすかった。顔を上げると、彼の赤い瞳と目が合い、こちらに微笑みかけてきた。いつもの悪戯っ子のような笑みでも社交辞令のような愛想笑いでもない。まるで恋人に向けるような、甘い笑顔だった。


「クリス、本当に上手だね? さすが淑女だ」

「あ、当たり前でしょ?」


 気恥ずかしくなって思わず顔を逸らすと、彼はクスクスと笑う。


「ちょっとクリス~っ! ボクの顔を見てよ? ただのダンスで恥ずかしがっちゃだめだよ?」

「は、恥ずかしくなんてないわよっ!」


 私がそう反論した時、近くで足音が聞こえて口を噤む。


「お嬢様ーっ! お嬢様はどこですかー!」


 慌ただしい足音ともに聞こえる私を探す声。私とジェットは顔を見合わせた。


「何かしら?」

「さぁ?」


 私達は物置から出ると、顔を青く染めたメイドが私に気づいた。


「ど、どうしたの?」

「お、お嬢様っ! 大変ですお客様です!」


 お客様。一体誰だろうか。残念ながら私はジェット以外に友達がいないのだ。私を訪ねてくる人なんて誰一人思い浮かばない。


「友達がいないクリスにお客様? それも連絡なしで来るなんて失礼な人だな~」

(貴方も十分失礼よ)


 しかし、メイドが血相を変えてやってくるような相手だ。それなりの人だろう。


(もしかして、前のお茶会でやらかしたから城から苦情とか……?)


 それは怖い。


「そのお客様って……誰なの?」


 私がおそるおそる聞くと、メイドは気まずそうに口を開いた。


「レッドスピネル公爵家のヴィンセント様です!」


 その名前を聞いた瞬間、ジェットが飛び出して行こうとしたのを、私は全力で阻止した。


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